逆オリンピック

ユウグレムシ

 

 第×××回、夏季オリンピック競技大会。陸上百メートル走、男子、予選第一組。


 代表国ごとに色とりどりのユニフォームとランニングシューズという、レギュレーションに則り、かつ動きやすい服装を身に着けたアスリート達が、満場の観客からの声援と注視を浴び、選手紹介のアナウンスに笑顔で応え、競技トラックの各コースでスタート位置に並んだ。そしてスターターの合図により競技開始の電子音が競技場に鳴り響くと、トラック内の芝生に設置されている大型タイマーが百分の一秒単位で競技時間を記録し始め、選手達は一斉に……


 ……選手達は一斉に、スタートラインの手前で座り込んだ。


 百メートルの距離をすみやかに走破することとされていた競技ルールが今大会から変わり、いかなる理由であれ選手がスタートラインを越えれば失格とみなされるようになったのだ。同様のルール変更は種目を問わず全競技に及び、トラック競技や競泳や幅跳び高跳びでは誰もスタート地点から動かず、球技では誰もボールに触れず、格闘技では誰も対戦相手を攻撃せず、遠投や射撃や体操や芸術競技では誰も技を披露しなかった。

 開会式では「参加することに意義があるが、誰も優勝しないことが今大会の目標」とさえ宣言されていた。先立って国際社会の亀裂がついに招いてしまった史上最悪の惨事を受け、これまでうやむやにされてきた「オリンピアンは競技場の外の現実から目を背けていていいのか」「誰かと戦って勝つことを目的とし、誰かの勝利とひきかえに必ず敗者を生み出すという点で、本質的にスポーツも戦争と同じではないのか」との問題に向き合ったIOCの総意にもとづく宣言であり、数億名にものぼる世界中の犠牲者への弔意もあった。悲劇のあとだからこそ晴れやかに、オリンピックが掲げる平和の理念を示すには、“誰も優勝しない”という究極の平等を今こそ体現せねばならなかったのである。


 百メートル走の選手達はスタートラインを越えない限り、どんな体勢で何をしていてもよかったが、仮眠を取ろうと横たわった拍子にランニングシューズがはみ出てしまったり、眠りに落ちてから寝返りを打った拍子にはみ出してしまったり、競技が長引くほど集中力が途切れがちだったので、一日に三度の食糧補給や、排泄物処理を兼ねたメディカルチェックの折などに、各選手のコーチが喝を入れた。食事は何を飲み食いしてもいいというわけではなくて、ドーピングを防ぐためにレギュレーションが厳しく、従来なら一レースにつき十秒あれば済んだ短距離走の競技なのに、アスリート達の戦いは長距離走のような体力と根気の勝負になっていった。


 競技開始から数ヶ月経った頃、ひとりの選手がよろよろと腰を上げた。


 観客席に毛布やテントを持ち込み、あるいはバラック小屋を建ててまで競技の行方を見守る人々のどよめきに包まれながら、その選手はスタートラインを踏み越えた。何ヶ月ものあいだ遮る影のない日差しを浴び、吹きさらし雨ざらしで同じところに留まり続けるとなると、座っていても寝ていても構わないとはいえ、選手達の心身にとってかなりの負担だったが、立ち上がった選手は我慢比べに屈したのではなかったし、ホームシックに陥ってもいなかった。彼の心はアスリートとしての使命に燃えていた。今大会まで四年間……いや、全人生を、来る日も来る日も練習に明け暮れてきたのは、百メートルという距離を世界中の誰よりも速く駆け抜けるためではなかったか?オリンピックの理念とは、平和の実現ではなかったか?こんなところにいつまでも座っていて何がアスリートか?何がスポーツか?

 誇り高い彼は観衆向けに演説をぶったりはせず、ただ一歩一歩の足どりによって、走ってこそアスリートという抗議の意志を表明してみせた。前のめりにふらつく歩みを観客の手拍子が支え、転倒しても這いつくばるようにゴールへ手を伸ばし……そのまま息を引き取った。


 その一方、スタート地点に居残る選手達は、勇気ある失格者や棄権者に対して拍手を贈りながらも、彼らなりのプライドに基づき戦っていた。走ってこそアスリート、それは正しい。しかしオリンピック選手は国家の代表でもある。自分ひとりの力でオリンピックに出場できたのではない以上、どんなに時間がかかっても、自分を支えてくれたファンや出資者や政府に対して出場競技を全うしてみせる責任があり、アスリートの魂にルールがそぐわなくなったからといって、自分勝手な都合で競技から離脱するわけにはいかなかった。それに、ルールあってのスポーツなのだから、ルールが変わったなら新しいルールに従うのがスポーツマンシップとも言えるはず。


 現ルールでの競技にこだわりスタート地点で生涯を終える選手達は、医師立ち会いのもと最終確認が行われる場で競技継続の意思を持っているか、遺書で競技継続を望んでいるか、遺族が棄権の意向を示さないうちは、遺体となってもコースに留め置かれた。遺体の移動は失格となるので棺桶は使えず、土葬の場合は国旗を被せられ、火葬の場合は延焼しないように注意深く燃料を撒いたうえで焼却された(テレビ中継や動画配信では遺体の映像にモザイク処理が施された)。ただし遺体や遺灰がスタートラインを越えてもやはり失格であり、選手達の死後も観客は競技の行方から目が離せなかった。


 そして数千年ののち、オリンピック会場は“聖なる墓所”と呼ばれるようになっていた。


 競技場としての機能があったことやオリンピックが開催されていたことは過ぎゆく時とともに忘れ去られ、観客の末裔はスポーツファンというより、先祖代々いにしえの聖所を守る敬虔な信徒と化していった。オリンピアンが石碑に刻んだオリンピック憲章やオリンピック賛歌や五輪のシンボルマークの意味を解読できるものなど、もうどこにもいなかった。文明は荒廃し、人類は衰退し、地球大気の温暖化が進んだ影響で南極と北極の氷が溶け、やがて海面上昇により競技場は水没した。


 推定競技時間、数十億年。太陽系の終焉とともに地球は消え去った。


 人類史上、最後のオリンピックであった。

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