マラトンの戦い〜42.195kmの伝令〜

加賀倉 創作【ほぼ毎日投稿】

『マラトンの戦い〜42.195kmの伝令〜』

 ▲

 真昼。

 山の頂。

 真螺遁山マラトンやま

 天空の要塞。

 要塞の名は三稜郭さんりょうかく

 最奥部には山神やまがみが祀られる。

 山神とは大和国やまとのくにの民が崇拝する神。

 俊足と雄叫おたけびの神、フモトカケルノミコト。

 山神の神域で、大和国と蝦夷国えぞのくにの大戦が勃発した。

 ▲▲

 光。

 耳鳴り。

 天を仰ぐ。

 顎にヒヤリと伝う汗。

 俺の右目が捉えているのは。

 さっきまで青かったはずの黒い空。

「どうやら間に合ったようだ」

 男。

 将軍。

 敵の総大将。

 胸を貫かれている。

 血塗れの銃剣によって。

 それを握る俺の傷だらけの手。

「どういうことだ! あの爆発の正体……お前知っているな!?」

 俺は激しく息切れしながら叫ぶ。

「フフフ……たった今、我が国の軍事衛星が、核による高高度爆発を起こした」

 激痛に顔を歪めながら不敵な笑みを浮かべる将軍。

「高高度爆発!? 貴様の狙いは一体……」

 俺は。

 通信兵。

 肉体の鍛錬や。

 銃器の訓練にはあまり。

 時間を割いてこなかったが。

 電波工学のことは誰よりも熟知している。

 無論高高度爆発が何を意味するかも知っている。

「教えてやろう。あの光の下にある全ての電気回路、通信回路は過電流や過電圧で破壊された」

 EMP電磁パルス

 高高度での。

 核爆発による。

 強烈なα・β・γ線。

 人体には害を及ぼさないが。

 その一手で地上の電子機器は停止。

 俺の仕事である戦果報告もできなくなる。 

「だからどうしたというのだ! 大和軍は三稜郭を! 山神の聖域を守り切った!」

 俺は怒鳴り散らし銃剣をグリグリと押し込む。

「うぐぐっ!! そうだな……ここでは、な」

「どういう意味だ! 答えろ!」

 何?

 ここでは?

 意味がわからない!

偽情報フェイクニュースを流した……つい三十分前にな……真螺遁山にて大和軍が蝦夷軍に大敗を喫したとな!!」

 まずい。

 なんてことだ。

 そんな情報を流せば!

 三稜郭が落ちたと大和国民が知れば!

 山神への信仰が崩れ去り戦意喪失してしまう!

 だが待てその情報もまた通信によるもののはずだが?

「間抜けが! その偽情報もまたEMPによって無に帰す!」

「間抜けは貴様だ通信兵!」

 は?

 なぜだ?

流言りゅうげんも真実も……広まるのは早い。三十分もあれば十分」

 くそ!

 せっかく!

 勝利したのに!

 なんてことをしてくれた!

「おのれええええ蝦夷国!!!!!!」

 俺は。

 銃剣を。

 将軍の胸から。

 勢いよく引き抜き。

 今度は将軍の首めがけて。

 水平方向へと思い切り振り抜いた。

 この首を大和軍勝利の栄冠とするのだ!

 俺は。

 将軍の。 

 生首を拾い。

 背嚢はいのうに押し込む。

 俺は。

 周囲を。

 ぐるっと見渡す。

 荒廃した三稜郭には。

 数え切れない小火ぼやと瓦礫と死体。

 多少。

 味方の。

 兵の中には。

 息のある者もいるが。

 動けるのは俺だけのようだ。

 一刻も早く真螺遁での勝利報告をして。

 大和国民が戦意喪失するのを防がなければならない!

 俺が。

 やるしか。

 ないようだ。

 俺の次の任務は。

 マラトンヤマ、クダレ!

 ▲▲▲

 俺は。

 走り出した。

 山頂から麓へ続く。

 巻貝のような螺旋上の山道。

 下り坂は俺の脚の筋肉に加勢するが。

 戦いで裂傷と痣だらけの体にはかなり応える。

 しかし早く走れるのは何にも増してありがたい!

 地面が。

 でこぼこだ。

 一歩踏み込む度。

 振動で左目の傷が痛む。

 右目に額から垂れる汗が染みると。

 目の前が見えなくなって転んでしまいそうだ。

 喉が。

 乾いた。

 気づけば。

 何時間も水を。

 口にしていなかった。

 背嚢に入った水筒の中は空だ。

 敵の死体の荷物から盗めばよかった。

 今なら引き返しても遅くないだろうか。

 いやだめだ一分一秒を争う事態なのを忘れるな。

 俺は。

 消耗した。

 傷ついた体に。

 強く鞭を打って。

 真螺遁山を下り続ける。

 あ。

 そうだ。

 我が母は。

 元気だろうか。

 腰が痛くて家事が辛いと。

 毎日訴えていたのをふと思い出す。

 父は。

 相変わらず。

 漁師の仕事に。

 励んでいるだろうか。

 いつか戦争が終わったら。

 父の釣った新鮮な魚をまた食べたい。

 ん?

 魚だと?

 真螺遁山には。

 川が何本も流れている。

 水が手に入るかも知れない!

 俺は。

 傷ついた。

 右目を使って。

 周囲を見渡すのだが。

 川の流れらしきものは無い。

 俺は。

 爆発で。

 難聴気味に。

 なった両耳を使い。

 川のせせらぎを求めるが。

 聞こえるのは森のささやきと誰かの囁き。

 ん?

 待て。

 誰かの。

 囁き声が。

 聞こえるだと?

 俺の耳はそんなにも。

 おかしくなってしまったのか?

 耳を。

 凝らす。

 確かに誰かの。

 声が聞こえるのだ!

「おい、つわものよ。口を聞かぬか」

 声。

 男の。

 それも。

 古めかしい。

 妙な言葉遣いで。

 こちらへ語りかけてくる。

 俺は。

 周囲を。

 見渡すが。

 近くには誰も。

 いるはずがないよな。

 と思ったのだが目の前に。 

 突然甲冑をまとった武神ぶしんが現れ。

 霊のようにふわふわと俺の周りを漂い始めた!

「お前は誰だ?」

 いや。

 待てよ。

 もしかして。

 あなたはもしや!

「我が名は麓駆尊フモトカケルノミコト。俊足と雄叫びの神だ」

 あ!

 やっぱり!

 ついに謁見が叶った!

 早くひざまずかなければ失礼に値する!

 俺は。

 山を下る。

 速度を落とし。

 立ち止まろうとする。

「ああ神よ! 今立ち止まるところでございます。失礼をお許——」

「ええい止まるな! つわものよ、駆けろ! 駆け続けるのだ!!」

 ああ。

 そうか。

 このお方は。

 俊足の神だった。

 俺に立ち止まることを。

 勧めるはずがないではないか。

「おお神よ!! 仰せのままに!!」

「それでよい」

 よし。

 走るのは。

 確かに辛いが。

 神が俺の背中を押すなら。

 いっそう早く村へ着くことができる。

 神がついていれば恐れるものなど何もない!

 だが。 

 疑問だ。

 なぜ神は。

 現れたのだ?

 俺が心の奥底で。

 そう願ったのだろうか?

「神よ、なぜあなたは——」

「必要だからだ。そなたを山のいただきからずっと見ていた。走れそうな状態の人間はそなただけだったが、あまりに弱そうな面をしている。我が加勢しないで、誰がしようか。いいや誰もしないだろう。誰もできないだろう。大和国の存亡がかかっているのだぞ?」

 心を。

 読まれた?

 全て俺の心は神に。

 筒抜けだとでもいうのか? 

 だが俺が弱そうだというのは。

 訂正させてもらいたいところだ。

「神よ。私めは通信兵ですが決して弱——」

「知っておる。そなたは敵の大将の首を取った。勇猛な戦士だ。だがそなたが村まで走り切れるかどうかとは、話が違ってくる」

 うん。

 やっぱり。

 思ったことは。

 全てお見通しなのだな。

 それに話が通じそうな相手でよかった。

 伝説では幼い頃から猛々たけだけしい神だとされるからな。

「神よ。恐れ多くも村までご同行お願い申し上げ——」

「そのうやうやしい言葉遣いはよせ。かえって慇懃無礼いんぎんぶれいに聞こえる。それと、我はことわりを重んじる」

 ああ。

 まさか。

 神の方から。

 タメで話そうと。

 提案するだなんて!

 じゃあ遠慮なくいくよ?

「オッケー。じゃあ、のコトワリ重んじエピ聞かせてもらえる?」

 やば。 

 まじやば。

 神にタメ口!

 人類初かもしれない!

 でもちょっとやりすぎたかな?

「おう、ええやで。さっき敵ブチ殺すのと村まで走るのは違う的なこと言ったけど、あれは深い意味があってな」

 キタ。

 キタコレ!!

 神の砕けた語り口!

 というか神は関西弁だった。

「深い意味? というと?」

「殴ったり、剣で切ったり、パワー系の技やんか? 要は瞬発力のある筋肉を使う。で、街まで走るのは……キツい事実言うと実は四〇キロメートルくらいあるんやけど、それだけの長距離走るんは、単純なパワーやなくてスタミナの話。つまり持久力のある筋肉使うわけやん? 使ってる筋肉違うんやから、人間の強い弱いを議論する時に、そのへんごっちゃにしてまうんはちゃうやん? そういうこと。まぁ、知らんけど」

 で。

 でた!!

 知らんけど!!

 関西人が使うワード。

 二千年連続堂々の第一位!

 神からその言葉を聞けたのは貴重だ!

「ふもとっち、すごい物知りでびっくりした」

「ありがと! あ、知らんけどってのは冗談やで? ちゃんと科学的根拠はある。キーワードは、ミオグロビンてやつ」

 え?

 うそ!

 カシコな。

 話もいける感じ?

 というかミオグロビン。

 普通に聞いたことがないな。

「ミオグロビン? 何それ? ヘモグロビンなら聞いたことはあるけど……」

「ヘモグロビンが血流で全身に大雑把に酸素を届けてるとしたら、ミオグロビンの方は、受け取った酸素を筋肉へ運ぶやつやな。で、筋肉によってミオグロビンの量には差があるんよ。ミオグロビンが少ないところが速筋そっきんていうパワー系の筋肉になって、逆に多いところは遅筋ちきんていうスタミナ専門の筋肉になる。チキン、鶏肉! なんつってな」

 ほ!

 神が。

 現代科学を。

 我が物にしている。

 しかもダジャレまで習得?

 やっぱり神ってすごいんだな。

「へぇ……そうなのか」

「ちなみに遅筋の赤色は、ミオグロビンの色から来てるんよな。ミオグロビンはヘモグロビンと同じく鉄を持ってることで酸素とくっついたり離れたりできるんよ。有酸素運動てあるやん? ランニングとか負荷の小さい運動長く続けるやつ。あれってつまりトータルでは酸素めっちゃ使うわけやん? 必要なミオグロビンの量も増えるやん? ミオグロビン鉄めっちゃ持ってるから赤いやん? やから赤いねん」

 え。

 しかも。

 めちゃくちゃ。

 わかりやすくないか?

 予備校講師だって務まるぞ?

 山でぼーっとしてるのが勿体無い。

「でもさ、速筋はパワー系の筋肉なのに、何を使ってそんなに力強く動かせるの? 酸素がないと動くものも動かない気がするけど」

「そう来ると思ったわ! 速筋の動力源には、酸素の代わりにグリコーゲン、つまりは糖質を使うんよ! 車で例えたら、ガソリンをエンジンの燃焼室で思いっきり燃やす感じよな。だからさっきのお前みたいに、銃剣で敵の胸貫いたり、首切り落としたりできるわけや!」

 うわ。

 完璧な説明。

 非の打ち所がない。

 こういう人が友達にいたら。

 人生がとてつもなく豊かになりそう。

 もしかしてこの山神は全知全能なのだろうか?

 だとすれば俺は無事村まで走りきれるような気がしてきた。

 いざという時は俊足と雄叫びの神フモトカケルノミコトに頼ればいいんだ!

 ▲▲▲▲

 もう。

 どれほど。

 この山道を。

 走っただろうか。

 でも話が楽しすぎて。

 あっという間に感じられる。

 と思ったがやっぱりきついものはきつい。

 俺の足はすでに棒のようになり感覚がほとんどない!

「あ、そろそろ限界きた感じ? でもあともうちょっとやから頑張ろ?」

「…………」

 俺は。

 答える。

 余裕もなく。

 ただひたすら走る。

 山神は。

 読心術により。

 俺の心を見透かして。

 発破をかけるがもう本当に限界だ!

 本当に本当に限界で根性などではどうにもならない!

「ごめんマジで無理かも」

 俺は。

 白状した。

 もう無理だ。

 最後に残された力を。

 勢いを殺すエネルギーに利用し。

 今にも立ち止まろうと踏ん張るのだが……

「止まれない? どうして?」

 俺は。

 もはや。

 最後の力すら。

 使い切ってしまったのか。

 ただ位置エネルギーを利用して。

 下り坂だから走れているだけの木偶の坊か?

「いや、お前ならいける! もう一踏ん張り! すぐそこや!」

「…………」

 ああ。

 本当だ。

 村が見える。

 大和国の民の影だ。

「ほら、あとちょっと! じゃあ我は野暮用が……」

 神は。

 そう言うと。

 突拍子もなく。

 全身を輝かせ始めた。

 そして俺の背にぶさる。

 一体何が始まるというのだ?

 山神の輝きは一層強さを増していく。

 目の前に『これより先、倭宇村わうむら』の立札。

 よし。

 村に入る。

 ここまで来れば。

 もう安心していいだろう。

 あとは誰かに真実を告げるだけ!

 が。

 俺は。

 そこで。

 力尽きて。

 地に倒れた。 

 ・

 ・・

 ・・・

 ・・・・

 ・・・・・

 ・・・・・・

 民が俺を見ている。

 何かを期待している。

 俺は。

 再び動き出す。

 俺は。

 体を起こすと。

 俺の。

 身体中に駆け巡る。

 俺と。

 フモトカケルノミコトのエネルギー!

 俺と。

 山神は。

 一つになり。

 立ち上がると。

 渾身の雄叫びを。

 大和国中に轟かせた!

「我が名は耶馬御嶽陽尊やばおたけびのみこと! 大和軍は真螺遁山マラトン三稜郭さんりょうかくにて、蝦夷えぞ軍に勝利した! 敗北の知らせは偽情報である! これがその証拠だ!!!!」

 俺は、背嚢はいのうから蝦夷軍の将軍の生首を取り出し、空高く掲げた。

 

 ▲▲▲▲▲


 俺は、『戦果ランナー』として称えられ、大和国の英雄になった。

 真螺遁の戦いの勝利を受け、大和国の士気は上がり、快進撃を続け、戦争に勝利した。 

 こうして、真螺遁山から村までの四二・一九五キロメートルを走る競技『マラソン』が生まれた。

 この奇跡的な話の裏に、真螺遁山に住む神、つまりは国民全員が崇拝する神の活躍があったなど、誰も知る由はない。


〈完〉

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

マラトンの戦い〜42.195kmの伝令〜 加賀倉 創作【ほぼ毎日投稿】 @sousakukagakura

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ