第7話 大団円
「人間には、来世や前世の記憶はない」
というが、本当であろうか?
確かに、前世で、
「来世への救いを求めて死んでいった人」
のことを思えば。前世の記憶がないのは、おかしいと思うのだろうが、現世で生きている人間とすれば、
「前世のそんな悲惨な記憶であれば、ない方がいい」
と思うことだろう。
少しでも、今の方が前世よりもいい時代に生きていて、幸せを感じるのであれば、
「前世など関係ない」
と思うのであって、完全に、前世の自分というのは、
「今の自分とは別人でしかない」
という発想になるのであろう。
それを考えると、
山之内教授の研究が、
「前世と来世の記憶の融合」
というものであり、それを、
「タイムリープに生かせないだろうか?」
というものであった。
普通であれば、
「タイムリープというのは、自分に憑依するということなので、自分の生きていた時代でしか通用しない考えだ」
ということになるのだが、教授はそれを、
「来世、あるいは、前世であり得ることにしたい」
ということで、タイムリープの範囲を広げる研究をしていた。
その研究が、一体どこに繋がっていくのかということは正直分かっていないが、その発想が、
「新たな教授の名誉となることは間違いない」
と思っていた。
だが、
「俺たちに何の得があるというのか?」
ということを言い出したのは、坂巻の昔からの親友で、同じように研究室に残ることになった山村だった。
山村は、一度、民間の会社に就職したのだが、その会社が、倒産してしまった。いきなりの倒産で、そもそも、表から見ているのと、中とでは、まったく違うという、
「ブラック企業だった」
ということである。
だから、会社を辞めることで、路頭に迷うところだったのを、坂巻が教授にお願いして、「研究室に入れてもらった」
ということであるが、実は教授も、最初から、
「山村に目をつけていたようだ」
だから、坂巻の要請を、二つ返事で了承し、今は、皆で研究しているということになるのだ。
ただ。山村は、
「元々、民間志望たった」
ということもあって、ずっと大学にいて研究に没頭している人たちに比べれば、
「したたか」
だったのだ。
だから、目の前のあることを、まともに信じるようなことはしない。
しかも、彼には、
「いきなり会社が倒産し、さらに、倒産ということを社員に悟られまいとして、最後まで、ごまかしながらの、
「自転車操業を続けてきた」
ということになるのだった。
それを考えると、
「俺たち、本当にこれでいいのか?」
ということを化が得たとしても、それは無理もないことだった。
ただ、坂巻の中では、
「宗教や洗脳」
であったり、
「前世や来世」
というものと、
「タイムリープや、タイムスリップ」
などという、普通の人間が考えないというような発想ばかりを考えているのだ。
それを思うと、
「山村とでは、そもそもの頭の構造が違う」
ということであった。
この構造というのは、頭の良しあしではなく、考え方や、その方向性という考え方であった。
というのも、
「研究にしても、将来のことにしても、問題となるのは、その考え方であり、その方向性である」
ということになるのだろうが、そのことを、坂巻は考えていないということが問題ではないだろうか。
山村は、
「俺が正しい」
というところまでは思っていないが、世間一般と呼ばれる目線で見ると、
「この研究室は、怪しい」
というところしか見えてこない。
つまりは、
「坂巻よりは、広い範囲で見えている」
ということだろう。
だから、山村から見れば、坂巻は、
「盲目ではないか?」
としか思えない。
教授に洗脳され、その考えは、ほとんど、研究への没頭であり、
「ある意味、まわりにアクリル板が貼ってあって、表が見えなくなっているのではないか?」
ということであった。
だから、山村には、山之内教授が、
「悪魔の化身」
に見えたのだ。
完全な独裁者であり、それに踊らされているのが、研究員だということなのだ」
ということであるが、山村にも、
「教授が何をしたいのか?」
ということが分からなかった。
ただ、独裁者の仮面をかぶって、表には、
「恐ろしい」
という印象を受けさせ、その間に、研究員を洗脳し、何かの開発をさせているということになるのだろうが、その
「目的地」
というものが分からないのだから、山村にはどうすることもできない。
そもそも、一研究員でしかない山村に、自分以外の研究員を味方につけた博士なのだ。
当然大学も、学会も、
「教授の味方に違いない」
ということであれば、山村は、
「四面楚歌」
という状態であることは紛れもない事実だということだ。
「せめて、坂巻だけでも、こっちの陣営に引き込みたい」
と思っているのだろうが、実は。坂巻もウスウスながら、
「何かがおかしい」
と感じるようになっていた。
坂巻は歴史にも造詣が深いので、彼は、明治維新を想像していたようだった。
「明治維新」
というと、開国から、明治政府の成立までの間、
「尊王攘夷」
から、
「尊王倒幕」
へと舵を切り、そして、それまでの、
「封建制度」
というものをぶち破り、
「中央集権国家」
としての、
「議会内閣制」
というものを作り出したという意味で、元勲と呼ばれる人たちの、努力があったことは紛れもない事実であろう。
それまでの過程にいくらかの問題があったことはさておき、そのおかげで、日本は植民地化されることもなく、
「近代国家へと進むことができた」
といってもいいだろう。
もちろん、最初はあれだけ、
「攘夷」
といっていたものを、
「外国に追い付け追いこせ」
とばかりに、考え方を変えるまでには、相当な発想の転換のための、柔軟な頭脳と、さらには、それを先手必勝でやり切る行動力と判断力があったからに違いない。
つまり、
「明治の元勲」
のような発想がなければ。今回の、
「山之内教授の陰謀」
というものに立ち向かえるわけはない。
ということになるのだろう。
教授の考えていることというのが、
「前世と来世というものの垣根を取っ払うことで、昔の宗教の悪いところを取り除こうとしている」
ということまでは分かったのだが、この発想を、額面通りに受け取ると、
「宗教を、いかにいいものだとして宣伝する」
ということになるのだろうが、これこそ、
「現代の宣教師」
ということになる。
つまりは、
「かつての戦国時代のザビエル」
にでもなろうとしているのか?
ということである。
今のまま、ザビエルになったとしても、その運命は、下手をすると、
「テロ組織として、世界を席巻しようとして、最後は悲惨な末路をたどった、新興宗教における、教祖」
と同じ運命になってしまう。
しかし、それを少しでも緩和させることができれば、今の時代であれば、自由な発想が頭をもたげることで、博士は、
「救世主になりえる」
ということになる。
そのためには、
「いい意味での、洗脳」
というものが必要となる。
そのためには、宗教団体における問題として、
「来世に救いを求める」
ということが、いかさまであり、曖昧過ぎるということで、
「決して、受け入れられない発想」
ということになり、まったく将来に期待が持てないということになってしまい、何をやっても、
「宗教団体というのは、最後は、悲惨な運命にしかならない」
ということになる。
というのは、きっとみんなが、戦術のような、
「前世と来世のからくり」
というものを、ウスウスながらに気づいているが、
「何が悪いのか?」
ということが分からずに、結局、最後には、
「教祖の言いなりになってしまう」
という運命で、その先に待っているのは、
「カルト宗教の、全滅に巻き込まれる」
という悲惨なことでしかないのだろうと思うのだった。
そのために研究しているのが、
「前世、来世の垣根を取っ払うことにより、時間というものの制限などを取り除き、タイムリープであったり、タイムスリップというものの、実際の実現」
というものをいかに証明していくか?
というのが、博士の目的であった。
それが、
「いいことなのか、悪いことなのか?」
ということが分からない。
だから、博士がやっていることも同じであった。
だが、博士の発想を、他の宗教団体のように、
「頭ごなしに、悪いことだ」
とは言えない。
それは、少なくとも研究員全員がそうであった。
山村には分からなかったが、実際には、研究員は皆、
「そんなことくらいのことは分かり切っている」
といってもいいくらいだった。
確かに、博士を見ていて、
「ちょっと怖いな」
と思う人も少なくなかっただろう。
しかし、博士の考え方、研究内容だけを見ていると、
「本当に信用してもいいのだろうか?」
と考えてしまうが、それはあくまでも、
「まわりからの目が自分に残っているからだ」
ということになるだろう。
博士の考え方というものを、いかにうまく考えるかということになると、
「俺たち研究員がしっかりしていないとな」
と、口にこそ出さないが、坂巻同様に、研究員の、
「絆」
というものは、結構深かったりするのだった。
山村は、
「俺も考えすぎなのかも知れない」
と思っていたが、実際には、
「考えないといけないところが少し意識が抜けている」
といってもいい。
それが、勘違いということなのか、それとも、どこまでを考えればいいということなのか?
ということを考えていると、
「そもそもの科学の証明というもの」
が、どういうことなのかが、見えてきた気がした。
これは、
「口で説明しても、容易に分かることではない」
といえるだろう。
そして、最近になって、やっと、
「何かの呪文のようなものが必要な気がしてきた」
ということが分かってきた。
それを、今まで、
「宗教による悪しき伝統」
と思い、いい方に考えてこなかったことで、まったく意識もしていなかったことが分かってきた。
呪文というものも、魔法使いの、
「枕詞」
といってもいいほどのことなのに、意識をしていなかったというのもおかしなものだ。
それが、
「お経というものであり、それを覚醒させるために必要なものが、お香なのだ」
ということを感じたのだ。
それが、博士の研究への第一歩だったのだ。
博士の研究は、これからも、まだまだ続くことであろう……。
( 完 )
お教とお香の覚醒 森本 晃次 @kakku
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