祖母の歌

脳幹 まこと

祖母の歌


 故あって、耳栓をしながら執筆をしている。


 今しがた起こった「こわいできごと」を書いているので、雑な部分はあるかもしれないし、そもそも明瞭な落ちは用意されていない。その点、ご了承いただきたい。


 私は今、実家の客間にいる。広さは四畳くらいだろうか、畳が敷いてある和室であり、仏壇が置かれており、祖父の遺影が右隣にある。


 こんな時間にどうしていたかと言えば、そこに布団を敷いて寝ていたのだ。


 とある式典に参加する必要があり、ついでに帰省もしようとしたわけだが、自分の部屋は先約があり、使うことが出来なかった。


 別にそんなことはいい。些末なことだ。


 ともかく、それ故に客間で寝ていた。電灯の類はつけていないので、真っ暗だ。


 それは本当に真っ暗だ。なぜなら窓にはシャッターがついているので、下げてしまうと外の光はまったく入ってこなくなるのだ。


 寝てからしばらくすると、扇風機以外の音が聞こえてきた。


 それは祖母の歌である。九十を越え、問題がないとは言えないが、それでも帰省する身からすれば健やかに見える人だ。


 ふすまの奥から、かすれた声が聞こえてくる。既に寝ていることは確認済みだから、これは寝言ということになる。


 しかし、祖母のそれは寝言の領域ではない。


 ゆうやけこやけ、うらしまたろうと言った童謡や、昔のヒット曲。


 流石に種類はそんなに多くないが、祖母はそれを延々と歌い続ける。


 歌う順番はランダムで、飛び石でゆうやけこやけが二回歌われたりもした。


 歌う調子こそは、平坦というか、寝言のそれなのだが、童謡とは相性が良いのか、子供に言い聞かせているようにも聞こえる。


 それが延々と続く。三十分くらい。間をおかずにずっと。曲と曲の間には、十年以上も前に旅立った祖父への感謝の言葉を並べながら。


 流石に歌いっぱなしは辛いようで、いつかは途切れ、束の間の休息に入るようだが、しばらくすれば再び歌い出しているのだ。


 帰省の一泊目こそは、自室が使われているという衝撃と、真っ暗闇の中、ふすまから漏れ出す祖母の歌声が何となく不気味で、さっさとイヤホンを付けてウォークマンの音楽を流し、その勢いで眠ったのだ。


 二泊目も同じことをすれば良かったのだが、ウォークマンのバッテリーが切れ、充電器がないことに気付いた。耳栓の類いも今の住居に置いてきてしまったのか、見つからなかった。


 寝る場所を移そうにも、居間にも祖母の声が聞こえてくるし、二階は自分の部屋と両親の部屋、それと、倉庫部屋しかないので、否が応でもここで寝ざるを得なかったのだ。


 式典は明日行われるので、深く寝付く必要があった。だから私は電灯を切って、真っ暗な和室に入り、そして目を閉じた。


 祖母の歌声が聞こえる。




 え~っさ え~っさ えさこいさっさ


 おさるのかごやだ ほいさっさ




 ……




 そして、私は真っ暗闇の中で目を覚ました。


 その時、祖母の歌声は、まだふすま越しに聞こえていた。




 だから今も私は分かっていない。




 真っ暗闇の中、確かに私は、人のシルエットを見た。


 説明しにくいが、黒の背景に、濃度が違う黒のシルエットが浮かんでいる感じだ。


 こちらをのぞき込んでいるようだった。




 私はその時、祖母だと思った。それが一番理屈に合うからだ。




 だから、うわあ、と声に出した。祖母の歌声が消えた。


 その後は冷静を取り繕って「ごめんね、驚かせてしまって。いま、明かりをつけるから」と言って、出口を手探りで探した。


 暗闇の中なので、流石に順調にはいかなかったが、ノブがついていたお陰で、なんとか外に出られた。


 そして明かりをつけてみると、誰もいない。


 祖母の部屋のふすまはぴったりと閉まったままだ。




 最初は罪悪感を抱いた。


 驚かせてしまった。祖母に良からぬショックを与えていなければいいが、と思った。




 次におや、と思った。


 ふすまは音をたてずに開け閉めは出来ない。ならば一体、祖母はどうやって自室に戻ったというのだろう。


 そして、今の自分は痰がからんでいて、上手く声が出せないことにも気づいた。


 じゃあ、あの自分の叫び声と、受け答えは何だったんだろう。


 夢? だが、客間の明かりは付いている。


 ぐるぐると回る疑問符。


 そうこうすると、ふすまの先から、祖母の声が聞こえてきた。


 それは今までに聞いたものとは違っていた。それは歌というより、鼻唄、メロディに近いものだったが、それが何かはよくわからない。

 その時が確か、四時三五分くらいだった。


 ちなみに、耳栓は見つかった。あれほど探しても見つからなかったものが、あっさりと見つかったので、気が抜けてしまった。


 この耳栓越しには、まだ祖母の歌が響いているのだろうか。

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