第24話 精一杯のもてなしにワインを添えて




 * * * * * * * * *




「そうそう、こういう食事だよ! 何て名前の料理か分かるか?」


「初めてよ。それにこんなに魚介を使ったものが並んだ事なんてあった?」


 ホテル・リャノヴィークの営業初日。8部屋しかないホテルのうち、埋まったのは6部屋。ローレンツだけでなく他のホテルの邪魔も入った事で集客に苦戦したものの、成果は上々だ。


 1泊100ユクという価格設定は、安宿の1.5倍程。安さだけを求める旅人にはやや高い。けれど庶民が泊まれない価格帯ではない。ある程度の治安を保つための絶妙な金額設定だ。


 一方、高級ホテルの金額は1人1000ユクを超える。

 例えばホテルニールセンの一般室は1500ユク、スイートルームは、1人1泊で6000ユク。値段だけが取り柄の分野ではとても対抗できない。


 そう考えた時、高級ホテルの真似をせずどうやって差別化を図るのか。

 それは貧しい暮らしをどうやって豊かにするかを日々考えてきたスラムの住民達が、最も得意とするところだった。


 わざと照明を落とした落ち着きのある空間と、目の前の暗い海。街灯の先には左岸の街明かりが見える。


「スッペ・フラ・クラクスヴィークです、お客様。この大陸のはるか北に浮かぶ島に伝わる伝統の魚介スープでございます」


「最初に出てきた可愛らしいビスケットは何かしら」


「スモーブローです。ライム麦のパンにバターを塗り、チーズ、サーモン、マッシュドポテト、スクランブルエッグの4種をご用意しました」


「まあ、ライム麦ですって。小麦じゃないのね」


「ライム麦パンを美味いと思う日が来るとはな」


 地元で獲れる魚を使い、季節の野菜を安く買う。旬の食材は豊富で美味しく安い。郷土料理には、その土地で食べられるそれなりの理由があるのだ。


 リャノでは当たり前の食べ物も、他所の土地では珍しいものだ。このリャノ近隣でしか食べられないものを提供する事で、非日常と特別感を体験してもらう。


 その庶民目線と他所者目線を取り入れた事で、ホテルの食事は好評だった。


 1人旅の青年、初老の裕福な夫婦、その使用人、新婚の若い夫婦、そして1人の商人。


 高級ホテルならどこでも当たり前なステーキやキャビアは出て来ない。反対に言えばそれらはどこででも食べることができる。

 その土地でしか体験できない事、食べられないものは、旅の醍醐味。リャノ・ヴィークの方針は成功と言えた。


 だが、そんな中で1人旅の青年だけが浮かない顔をしている。多くはないドリンクの品書きを気にしながら、時折周囲を見回して落ち着きがない。


「お客様、お飲み物のご用意なら何でも。水や果実のジュースもご用意しております」


 メルによく訓練を受けた給仕の女がにこやかに応対する。青年は俯き、意外な事を尋ねた。


「その、あの……わ、ワインを」


「ワインですね、かしこまりました」


「あ、えっと……」


 給仕は快くオーダーを受けたが、青年はそれ以上何か言いたげだ。何か理由があるのならと、給仕は優しく発言を促す。

 青年は暫く黙っていたが、意を決して口を開いた。


「そ、その、僕は、その……お願いです、1度でいいからホテルでワインを飲んでみたくて、えっと」


「大丈夫ですよ、ご用意いたします」


「そ、あの、違うんです。その……僕は神教徒では、ないんです」


 青年の言葉の最後は、今にも消え入りそうな程小さい。一方、給仕はその告白の意味を理解した上で、それでもニッコリと微笑む。


「か、神教徒ではない事を知られて、後で罵られるのは嫌なので……その」


「かしこまりました、別料金となりますが、宜しいでしょうか」


「は、はい……ぐ、グラスでもよいでしょうか」


「かしこまりました。お持ちします」


 青年は驚き、去っていく給仕の背中を見つめる。ほどなくして庶民にはやや高め程度のワインが運ばれてきた。


 青年は周囲をキョロキョロしながら、ワインに口を付けた。そのまま目を真ん丸に見開き、とても嬉しそうに微笑む。


「有難うございます、その、とても美味しいです」


「光栄です、実はホテルの従業員で悩んで悩んで、やっと決めたうちの1つなんですよ」


「そうなんですか。僕の地元は敬虔な信者が多いので、ワインの赤は神の血の色だと言って信者以外飲めない事になっていて……」


「この町でもそう言う方は多いですが、当ホテルは何を信じようとどこの方であろうと関係ありませんから」


 他の客に聞こえないよう小声で話す2人は、逆に目立ってしまったようだ。隣のテーブルにいた老夫婦が何事かと尋ねてきた。


「えっと……」


「当ホテルは、お客様の属性で差別しません。極悪人であれば別ですが」


「と言いますと」


「子供以外、誰もがワインを飲む権利を持っているという事です」


 現れたケヴィンは、青年に「お替りは幾らでもお申し付け下さい」と微笑んだ。


 この世界でワインは神の血と称されている。神の血を飲む事は洗礼を意味し、神の子になると誓うものだ。よって信者以外が口にする事は許されない。

 信者の証であるロザリオを所持していなければ、売ってもくれないどころかラベルも見せてくれない酒屋も少なくない。


 老夫婦はやや驚き、他の客も困惑していたが、商人が口を開いた。


「このホテルに白ワインを置けば良いのです。南部の山脈を超えたゴーニュ地方の良い酒があるんですよ」


「まあ白ワインは赤くないのだから、神の血とは言えないな」


「あら、私達はゴーニュでぶどう畑を持っているのよ。ゴーニュでは白ワインの方が一般的なくらい。あなた、部屋から1本持って来ましょうか」


「そうだな、ワインを飲む事も許されなかった若者が、初めて味わったこの日を記念して。それにそちらは新婚だと言うじゃないか。さあ祝おう」


「奥様、私が取って来ましょう」


「いいの、私が選んで皆さんに振舞いたいのだから。ワインばかりの重たいスーツケースを軽くしたいわ」


「奥様が宜しいのであれば……」


 しばらくして夫人が持ってきたワインは、とても上等なものだった。商人も「こんな上等なものは自分じゃとても取り扱えない」と嘆くほど。


「うちの畑で収穫して、皮を綺麗に剥いて、うちの醸造所で作っているんです」


「まさか、あなた方はフェブル家の……」


「ええ、内緒にしていて下さいね。もう息子達に任せて隠居生活なの」


 夫人が戻って来てからというもの、酒盛りが始まってしまった。その場の客が全員で盛り上がり、しまいには陽気に歌いだす始末。


 金持ちも、信仰も、年齢も何も関係のない一期一会の集まり。

 ケヴィン達はいつ片付くかも分からない宴にため息をつきながらも、楽しそうに眺めていた。





 * * * * * * * * *





「うーん……あ、おはようございます。昨日は飲み過ぎてしまって」


「おはようございます。朝食はいつでもご準備できますよ。朝のお風呂もいかがですか」


「有難うございます、えっと、入り口のあれは……?」


「当ホテルの盛況っぷりが羨ましいようで……無茶な要求を。お見苦しい所を見せてしまい」


「うわ、大変ですね」


 青年が二日酔いの頭を掻きながら部屋を出た時、ホテルの入り口ではひと悶着が起きていた。

 町の住民が牧師を連れて乗り込んで来たのだ。


「おい、信者じゃない奴らにワインを飲ませていたってのは本当か! なんて罰当たりな事を」


「さっきこのホテルを出て行った若い夫婦が楽しそうに話していたが、信者じゃなくても飲めると言っていた!」


「どういう事か説明してもらおうか」



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【傀儡の神狩り】神に造られ神に失望し、悪魔と呼ばれた傀儡の物語 桜良 壽ノ丞 @VALON

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