イカサマ

さかもと

イカサマ

 怖い話なのかどうか自分でもよくわからないんですけど、「人間の怖さ」みたいなものがうっすらと滲み出てくるような話なので、ここで皆さんにお話してみたいと思います。



 私、その昔、老人ホームで介護スタッフの仕事をしていたことがあるんです。

 その時、一緒に働いていた同僚にYさんという人がいて、その人は若い男性だったんですけど、いつも爽やかな笑顔を絶やさず、なんていうか、とても人当たりのよい人だったんです。ホームの入居者からのウケもよくて、他のスタッフからの信頼も厚く、介護スタッフとしては文句のつけ所のないような、完璧な人だったと思います。



 ある時、Yさんと夜勤のシフトが重なることがありました。

 私が休憩室でコーヒーを飲みながらスマホを触っていると、フロアの入居者の見回りから戻ってきたYさんが、私に話しかけてきたんです。


「坂本さん、実は僕、面白いことやってるんですけど、よかったら坂本さんも参加してもらえませんか?」


 Yさんは、爽やかな笑顔でそう言いました。

 私は何の話なのかすごく気になって、思わず「え、なんですか?」と、尋ねていました。


「スタッフの間で、賭け事をやってるんですけど、坂本さんもどうですか? なかなか楽しいですよ」


 Yさんはそう答えると、より一層にっこりと私に微笑みかけてきました。

 私は普段から、パチンコや競馬なんかのギャンブルにはあまり関心がなかったので、正直、その話にあまり興味を惹かれることはありませんでした。でも、ちょっと気になったので、「何の賭け事なんですか?」と尋ねてみたんです。

 すると、Yさんの表情が少し変化して、ちょっといたずらっぽい微笑みになりながら、こう答えたんです。


「このホームに入居されている方が、亡くなっていく順番を賭けてるんですよ」


 私はYさんが何を言っているのか、その真意を察することができずに、しばらくあっけにとられていました。


「いやだなぁ、そんな顔しないでくださいよ。スタッフのKさんやIさん達と一緒に、オッズとか決めてやってるんですけど、なんかドキドキしちゃうんですよね。ほら、入居者のだれそれさんが最近頻繁に体調崩してるから、あれはそろそろゴールするんじゃないのかなとか、そういう目線で入居者さんのことを見るようになるから、日々の業務にも張り合いが出てきますよ」


 そんなふうに一気に話すYさんの表情は嬉々としていて、本当に心の底からその行為を楽しんでいるように感じられました。


「坂本さんも、やりましょうよ。大勢でやった方が楽しいですよ」


 私にはそんな不謹慎なことはとてもできないと、すぐに思いました。それに、私の中では誠実そうなイメージで通っていたYさんからそんな話を聞かされたことに、いささかショックを受けもしていました。

 なので、その場は苦笑いしながら、やんわりとその話を断りました。

 するとYさんは、また爽やかな笑顔に戻って、「そうですか、坂本さんだったら参加してもらえると思ってたんですけど、残念です。あ、この話、誰にも話さないでくださいね」と、言いながら、休憩室から出て行ってしまいました。



 それからしばらくして、またYさんと夜勤のシフトが重なることがあって、同じように休憩室で二人きりになることがあったんです。

 最初は、他愛もないことを話していたんですが、ふと何かの拍子に、Yさんが私にこんなことを言い出したんです。


「実は僕、最近、人を殺しちゃったんですよね……」


 私が驚いてYさんの顔を見ると、いつものような爽やかな笑顔は消えていて、真顔になっていました。そこで私が「またまた、何を言ってるんですかー」と突っ込みを入れようと口を開いたのですが、それにかぶせるようにYさんはこう続けました。


「入居者のHさん、先週亡くなりましたよね」


 私は、先週末の夜に心不全で亡くなったHさんの顔を思い浮かべました。最近、Hさんの生活介助をしていた時に、その様子を伺っていたのですが、あまり元気がなく、話しかけてもほとんど反応がなくなっていたことを思い出していました。


「あれ、僕がやったんですよね」


 そう言うとYさんの表情は、だんだんと口の端をゆがめていって、まるで子供がいたずらをした時のような笑顔に変わっていきました。

 冗談にしては度が過ぎていると思ったのですが、私はなんと返事したものかわからずに、無表情になって黙るしかなくなってしまいました。


「ここ最近、僕が夜勤の見回りの時にね、Hさんの部屋に行って、様子を伺いながら、眠っているHさんの枕元で、『早く死ねよ』とか『お前なんか生きててもしょうがないぞ』とか、そんな感じで、本人から生きる意欲を削ぐような言葉を、ひたすら声かけしてたんですよ」


 私は、信じられないと思いました。介護スタッフなのに、どうしてそんなことができるんでしょう。でも、Yさんはずっと真顔で話し続けていました。私は、なんだか恐ろしくなってきて、一言も声が出せなくなっていました。


「でね、そういう声かけをしていたら、一体どうなるのかななんて思いながら、夜勤の時には毎回そんなことを繰り返してたんですよ。すると、先週末、本当にあんなことになって、僕だってびっくりしたんですよ。でも、言葉の力って、すごいですよね。一人の人間に、本当に死をもたらすことができるんだから」


 その時の私は、Yさんが怖くて仕方がなかったのですが、全身の勇気を喉の声帯に集めて「なんでそんなことをするんですか?」と尋ねました。


「前に、賭け事してるっていうお話はしましたよね? 入居者の中で誰が早く亡くなるかを、スタッフの間で賭け事にしてるって話です」


 私は、もうその話もあまり聞きたくはなかったのですが、反射的に小さくうなずいていました。


「だから、僕が賭けている入居者に、夜な夜なそういう言葉をかけて、早く亡くなるように仕向けてたんですよね」


 もう、これ以上聞きたくないと心の底から思いました。気分が悪くなってきたので、どうやってこの話を切り上げようかと、頭の中ではそればかり考えていました。


「でも、それって、よく考えたらイカサマですよね。いや、イカサマするなんてよくないって自分でもわかってるんですけど、思わずやっちゃいましたよ」


 そう言ってYさんは、はははと笑っていました。いつもと変わらない、あの爽やかな笑顔で……



 Yさんのやっていることは、明らかによくないことだと私は思うのですが、けど、それがこの社会の中では、例えば罪に問われるようなほど酷い行いなのかと問われると、決してそうじゃないと思うんです。

 確かに、不謹慎なことではあるのですが、法的に何か問題のあるようなことをやっているわけではないので、誰かが強制力を持ってYさんのやっていることを辞めさせるなんてことは、決してできないでしょうね。

 でも、想像してみて欲しいんです。老人ホームに入居されている方の中には、心身が衰弱している方が多く、そのような状態の方に対して、Yさんがほのめかしていたようなネガティブな言葉を、それこそ夜な夜なぶつけていたら、少なからず身体に影響が出てくる可能性はあります。それは、殺人とまでは言えないでしょうが、ほぼそれに近いことが行われていたと言っても過言ではないのではないでしょうか。



 私は、Yさんからその話を聞いてからというもの、だんだんとその職場に関わるのが恐ろしくなってきました。そのうち、介護の仕事自体にも嫌気がさしてきて、間もなく、その老人ホームを退職しました。それ以降、介護業界には関わることはせずに、今はまったく別の仕事に就いています。

 もしかすると今でも、あの老人ホームでは、Yさんの話していたような行為が日常的に行われているかもしれませんね。そして、他の介護施設でも、入居者の生命を蔑むようなスタンスで業務に取り組んでいるスタッフが――Yさんのようなスタッフが――紛れ込んでいるかもしれません。

 そう思うと、私は背筋がぞっとするような心持ちになるのです。

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イカサマ さかもと @sakamoto_777

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