猫被

夢月七海

猫被


 狐憑きとはよく言いますが、私の妹は、小学生の一時期、猫に憑かれていました。


 「おかしいな」と思ったのは、妹の寝る時間が増えてからでした。家にいると、遊ぶ時間よりも寝ている時間が多くなり、学校でも授業中に居眠りしていると、先生から母に知らせが来ました。

 食べ物の好みも変わり、野菜やお菓子よりも、肉や魚をよく食べるようになりました。それまでは、チョコレートが大好きだったのですが、急におやつにはビーフジャーキーを選ぶようになりました。ただ、チョコや玉ねぎを食べても、体に異変が出るということはなかったのですが。


 たまに外に遊びに行くと、必ず木登りをします。登るまでのスピードがすごく早くて、高いところでも平気そうな顔をしています。手足を使って幹を上りきる様子は、まるで猫のようでした。

 他にも、きつい匂いを嗅ぐと、目と口を見開き、フレーメン反応みたいな顔をしたり、お風呂を全力で嫌がり、入ってもシャワーだけで一瞬で出てくると、猫っぽいところは多々ありました。


 母も私も、困ってはいましたが、どうすればいいのか分かりませんし、人に迷惑はかけていないので、そのままにしていました。ああ、授業中の居眠りは、手の甲に洗濯ばさみを挟んで、対策していました。

 これよりも前、私たちの小さいころに、母は離婚していていました。ですが、恋人はいて、彼が隣の隣の県の支社に移動することになり、私たち三人も、それについていくことになりました。


 私は、今までアパート暮らしで、新しい家は一軒家だと聞いていたので、単純に喜んでいましたが、妹は浮かない顔をしています。なぜなら、妹は母の恋人と、そりが合わなかったからです。

 妹が猫っぽくなってから、人の好き嫌いは激しくなりました。ただ、それは香水や煙草の匂いがしていたり、声が大きかったり、妙に距離が近かったりと、なんとなく理由は察せられる類のものでした。ただ、母の恋人を嫌う理由だけは、思い当たらないのです。


 彼もそのことは意識していて、夕飯時に自分のハンバーグを半分妹にあげたり、妹の好きなテレビ番組を見せたり、仕事帰りに妹の服を買ってきたりと、様々な手段を用いて、妹の機嫌を取ります。しかし、妹は彼に全然なびきません。

 それでも、妹は喧嘩をすることもなく、母の恋人と同じ部屋にいないように、こっそり自分の部屋に戻るなど、意外と平和的なものでした。ですから、表面上、四人で平穏な暮らをしていたのですが……。


 ある日曜日、妹が友達とショッピングすると言って、ポシェットに財布だけ入れて、出かけていきました。私は、少し珍しいなと思って見送ったのですが、夕方になっても、帰ってきません。

 大慌てで、母は妹の友達に連絡を入れたのですが、全員、彼女と遊ぶ約束なんてしていませんでした。もうすっかり暗くなってから、警察にもお願いして、私たちは妹を探し回りました。


 丸二日経ってから、妹は見つかりました。私たち親子三人で暮らしていたアパートの玄関先で、丸くなって寝ていたところを保護されたそうです。

 家出した妹は、なんとなくこっちかも、という勘だけで、元の家までたどり着いたと言っていました。子供のお小遣いだけで移動はどうしたのかというと、電車やバスなどを無賃乗車していました。あまりに反省していない様子なので、私たちはあきれて何も言えませんでした。


 当時の家に戻ってきてから、やっと、妹の異常を何とかしようという家族会議を、リビングで本人も交えて始めました。神社かお寺でお祓いをした方がいいのか、それとも何か精神疾患的なものなのかと、母とその恋人は難しい話をしています。

 ただ、議題になっている妹は、平然としていて、猫が顔を洗うように、手の甲で顔をこすっています。母の恋人も呆れて「君の話をしているんだよ」と語りかけると、妹は彼に対して、「シャー」と、高い声で威嚇しました。


 それでも、母の恋人は苦笑して、妹の隣に来ます。その頭をなでようと、手を伸ばしたのですが、それを妹が素早く引っかきました。

 引っかいた、と言っても、子供の力ですし、別に血などは出ていなかったです。しかし、母の恋人は豹変して、妹が椅子ごと倒れるほどの平手打ちを食らわせました。


 私は慌てて、妹を守ろうとそのそばに駆け寄りました。「大丈夫?」と声をかけると、倒れたままでしたが、小さく頷きます。

 そのすぐ後ろでは、母が恋人を必死に止めていました。「調子に乗りあがって!」「どけ! これはしつけだ!」と、母の恋人が、今までと別人のような声で叫んでいるのが聞こえます。私は妹を連れて、リビングから避難しました。


 それから色々ありましたが、母は恋人と別れることを決意し、私たちはまた引っ越しました。新しいアパートで落ち着いてから、妹の異変がなくなっていることに気が付きました。

 おいしそうにチョコレートを食べる妹に、今までのは何だったのかと聞いてみました。妹は小首を傾げながら、あの時はあれが普通で、今も昔と変わった気はしないと話します。熱いものを触ったら思わず手を引っ込めるような、無意識の反応だったのかもしれません。


 でも、猫には心当たりがある、と、妹は神妙な顔で続けます。

 幼稚園生の頃、通学路の途中にある小さな空き地に、妹は子猫がいるのを見つけました。しばらく、こっそりミルクを上げて育てていたのですが、ある寒い日に、その子猫が死んでいたのを発見しました。妹は泣きながら、子猫をその空き地に埋めてあげたそうです。


 妹にとり憑いていたのは、この子猫だったと思えば納得ができます。ただ、妹に異変が出るまでラグがあります。母が例の恋人と付き合いだしてから、あれらが始まったのです。

 オカルトを信じていない人は、母に恋人が出来た寂しさを、猫になりきることで紛らわしていた、と思うのかもしれません。ですが、私は妹が世話した子猫が、恐ろしい本性を隠していた母の恋人から身を守ってくれていたのだと思っています。


 ……蛇足ですが、母と別れてから、元恋人がどうなったのかについて話します。私はその消息を知らなかったのですが、数年後、新聞の記事で見かけました。彼は、変死体として発見されたのです。

 元恋人は、妹が子猫を育てていた空き地で、死んでいたそうです。なぜ彼がそこにいたのか、どうやって死んだのかは、未だに不明です。

















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猫被 夢月七海 @yumetuki-773

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