不思議な通話

坂神京平

【本文】

 以下の物語は、僕が体験したことを下敷きにして書いた。

 登場人物が現実世界で特定されることを避けるため、名前は仮名を使用しており、当時の年齢や時代背景などに関しても、事実とは多少異なっている。

 また複数の箇所に脚色があることも、あらかじめお断りしておく。


 ただし顛末てんまつ自体については、おおむね実際の出来事にもとづいている。




     〇  〇  〇




 小学五年生の頃、隣のクラスに鳴海なるみくんという友人がいた。


 鳴海くんは、頭が良く、スポーツも得意で、快活な性格だった。

 それとまた、非常に弁舌巧みな男の子だった。会話にユーモアがあり、同学年の中では有名人で、男女問わず人気があった。日頃から行動的で、好奇心旺盛な一方、案外読書家でもあって、子供ながらにミステリー小説をよく読んでいた。


 もっとも鳴海くんは、良くも悪くも要領が良い男子だったから、たまに油断ならない友人でもあった。

 もうこの時分から、「嘘も方便」を実践するようなところがあって、如才なく立ち回り、自己の利益を最大化するのが上手かった。それでいて憎めない人物だったので、不義理を働くようなことがあっても、他人に恨まれたりしなかった。


 とにかく僕は、彼のさとい人間性に魅力を感じ、友誼ゆうぎを結んでいた。

 別々のクラスに在籍しつつも、接点を持つ機会に恵まれたのは、僕も当時から読書好きだったおかげだ。丁度アガサ・クリスティー『ABC殺人事件』に衝撃を受け、ミステリーに心かれつつある時期だった。



 ちなみに当時はもう一人、僕と同じクラスに藤川ふじかわくんという男子の友人がいた。

 藤川くんは真面目で、温厚な性格だ。人付き合いが良くて、交友関係も広い。


 そうして、鳴海くんと藤川くん、あと僕の三人は、しばしば一緒に遊ぶことがあった。




 不思議な事件が起こったのは、ある初夏の日のことだ。


 僕と鳴海くん、それと藤川くんの三人は、例によって遊ぶ約束をした。

 二人を僕の自宅にまねき、皆でボードゲームを遊ぼうという話になっていた。

 同級生の多くは、近頃発売したばかりのテレビゲームに夢中だったが、当時の僕らはいわゆる非電源アナログゲームに傾倒していた。


 ただしボードゲームと言っても、海外製の冒険ファンタジーを題材にしたマイナーなもので、よくある人生ゲームのたぐいではない。

 パッケージの紙箱には、劇画調のイラストが印刷されていた。たしか対象年齢は一〇歳以上と書かれていたが、今思い返してみても明らかに子供向けのゲームではなかったと思う。ルールがわりと凝っていて、繰り返し遊ばなければ理解できない部分もあり、やや難解な内容だった。



 集合時刻は、午後一時半。

 小学校では、午後から職員会議を予定していて、授業が午前中で終わることになっていた。

 やがて放課後になって教室を出ると、いったん同じクラスの藤川くんとは校門前で別れた。

 それから寄り道などせず、自宅へ真っ直ぐ下校する。

 この日は両親が留守にしていて、子供だけで集まるには好都合だった。父親は仕事が忙しく、母親も町内の読書サークルに参加するため、夕暮れ頃まで帰ってこない。


 母親から渡されていた合鍵で自宅に入って、洗面所で手洗いうがいを済ませると、ダイニングテーブルの上にあった炒飯チャーハンを食べる。昼食に作り置きされてあったものだ。

 空腹を満たしたあとは、子供部屋の収納から厚紙製の箱を引っ張り出す。

 今日遊ぶボードゲームのパッケージだ。リビングのローテーブルの上でそれを開け、内容物を取り出した。ルールブックの他、ゲームで使用する盤や駒、カードを並べていく。


 丁度そのとき、リビングに来客を告げるチャイムが鳴った。

 インターフォンで玄関前の様子を確認すると、藤川くんが画面に映っている。

 時刻は、午後一時二五分過ぎ。約束した時間の五分前だ。

 玄関ドアを開けて出迎え、藤川くんを屋内に招き入れる。



「鳴海くんは、まだ来ていないんだね」


 藤川くんは家の中へ上がると、僕以外に誰もいないリビングを見て言った。


「隣のクラスでは、ぼくらが下校するときにはもう、教室の掃除がはじまっていたんだけどな。だからてっきり、ここにも先に来ているものかと思っていた」


「鳴海くんはああ見えて、けっこう時間にルーズなところがあるんだぜ」


 僕は、ローテーブルの前に置かれたソファへ腰掛けるよう、藤川くんに勧めた。


「だから、こっちで先にゲームの準備を進めておこう。藤川くんはどのキャラクターを選ぶ?」


「そうだなあ。じゃあ、ぼくは『北の魔法使い』を使わせてもらいたいな」


 藤川くんは、ちょっと考え込む素振りを見せてから、テーブル上の駒をひとつ手に取った。

 今日皆で遊ぶゲームでは、各人が異なる駒を使って参加する。選んだ駒には、それぞれ異なる特徴があって、ゲーム中は局面毎に有利不利が変化するようになっていた。


坂神さかがみくんはどうするんだい」


「僕は最初から、『西の盗賊』でプレイするつもりさ。罠カードが面白そうだからね」


「すると鳴海くんは、ぼくらの希望に異論がない限り、『南の戦士』か『東の魔法剣士』を選ぶことになるのか」


 僕と藤川くんは、各々好きな駒を選ぶと、ルールブックを確認したり、ゲーム中に使用する様々なカードの効果について話し合ったりした。以前に何度かプレイした際の経験も踏まえて、今回はどのような戦術をとるべきかに関しても、随分ずいぶん意見を交換した。



 そうして、そのまま気付けば三〇分余りが経過していた。


 リビングにある壁掛け時計の針は、すでに文字盤の午後二時を回っている。

 しかし鳴海くんは、いまだにやって来ない。さすがに少し遅いのではないか。


「どうしたんだろうね、鳴海くん」


 藤川くんは、首をひねりながら言った。


「単に遅刻しているだけなのかな。事故にったりしてなきゃいいけど」


 鳴海くんの家からここまでは、片道で徒歩一〇分足らずの距離だ。

 基本的に住宅街の中を歩けば到着するのだが、行路の途中で一箇所だけ、交通量が多い市道を渡らねばならない。だが近所で、過去に死亡事故が起きたという話を聞いたことはなかった。


「ちょっと、試しに鳴海くんの家に電話をかけてみようか」


 心配するほどのことはないと思ったが、消息は気になる。


 僕はソファから腰を上げ、キャビネットのそばに歩み寄った。

 藤川くんも神妙な顔で、それにならう。


 キャビネットの天板の上には、固定電話が設置されていた。

 僕も藤川くんも、それから鳴海くんも、まだ当時はスマートフォンや携帯電話を使用したことがなかった。現代では防犯意識の高まりから、小学生でもGPS付き通話端末を所持することは珍しくないが、当時はそうした代物を持ち歩いている子供はいなかった。


 だから、このときの僕に可能だったのは、鳴海くんの自宅に固定電話で直接連絡を入れることぐらいだった。



 僕は、電話機に登録した番号の中から、鳴海くんの家のそれを選択する。

 次いで受話器を持ち上げると、電子音と共に自動でダイヤルがはじまった。


 耳に当てた受話口の向こう側で、呼び出し音が鳴る。

 一回――二回――三回――四回――五回――……


 六度目のコールが鳴りかけたところで、応答があった。

<はい>という返事の声は、間違いなく小学生男子のものだった。


「もしもし、鳴海くん?」


<おう、何だよ坂神くんか>


 呼び掛けると、鳴海くんはいつもの明朗な口調で言った。

 僕はそれを聞いて、ちょっとあきれずにはいられなかった。

 鳴海くんの口振りには、まったく悪びれたところが感じられない。僕の家で集合しようと約束したにもかかわらず、所定の時刻に遅刻し、しかもまだ自宅を出てすらいないのに。


 僕は、思わず批難の言葉が口をいて出た。


「何だよじゃないだろう、約束の時間はとっくに過ぎているんだぜ。今日は午後一時半に僕の家に集まって、三人でボードゲームを遊ぶって話になっていたじゃないか」


<ああ、そうだよな。うん、俺もわかっているさ>


「藤川くんも、こっちで君が来るのを待っているよ」


 受話器を耳に当てたまま、かたわらをちらりと見る。

 藤川くんは、苦笑しながらかぶりを振っていた。


 こちらの状況を伝えると、鳴海くんは電話の向こう側で溜め息をいたようだった。


<ああ、そうなのか。いや、しかしなあ……>


 弁が立つ鳴海くんには珍しく、何事か言い難そうに口篭くちごもる。

 すぐにこちらへ来られない理由があるらしい、と僕はそれとなく悟った。

 それで故意に少し口をつぐみ、鳴海くんから事情を打ち明けてくれるのを待つ。



 わずかな逡巡しゅんじゅんの間をはさんで、鳴海くんはおずおずと切り出した。


<実は今日、坂神くんの家へお邪魔しに行く約束をするより前に、橋本はしもとくんとも遊ぶ約束をしていたんだよな。それをさっき思い出して、どうしようか迷っていたんだ>


「つまり、先約があったってことかい?」


 僕は、予想外の話にびっくりして、き返した。

 橋本くんというのは、鳴海くんと同じクラスの男子だ。僕はそれほど親交がないのだが、藤川くんの人物評では「ひょうきんな同級生」らしかった。


 とはいえこちらとしては、批難を強めざるを得ない。


「橋本くんとの約束があったのに、僕や藤川くんとも遊ぶ約束をしていたと。そりゃ、ちょっと酷いじゃないか」


<うん、まあそうだな。悪かったよ、本当にごめん>


 鳴海くんは謝罪しながら、誤魔化ごまかすように笑った。

 それから多少あわてた様子で、取りつくろおうとする。


<でも、坂神くんから誘われたときには、俺も君らとボードゲームで遊びたいって気持ちが咄嗟とっさに勝って、橋本くんとの約束をころっと忘れちゃっていたんだよな。今回は是非とも『東の魔法剣士』を使いたいと思っていたし>


「まったく調子がいいなあ。それで結局、今日はこれからどうするのさ」


 僕は、鳴海くんに身の処し方について、決断をうながした。

 鳴海くんは案外あっさりしたもので、即座に答えを寄越よこす。


<橋本くんには悪いけど、今日は坂神くんたちと遊ぶことにさせてもらう。それで向こうに断りの連絡を入れたら、すぐそっちに行くよ>


「ふうん、そうかい。じゃあ君が来るまで、もう少し待つよ」


 僕は、鳴海くんが先約を優先せず、ボードゲームで遊ぶことを優先した点に関して、ちょっと意外に感じた。

 もっとも義理立てより自分の願望を優先する部分は、いかにも彼らしい気がしなくもなかったので、そのまま発言を受け入れた。


 電話を切ると、藤川くんが「どう? 鳴海くんはなんて言っていた?」とたずねてくる。

 やり取りしたままの内容を伝えたところ、鳴海くんらしいな、と小声でつぶやいた。




 ……思いも寄らない展開が発生したのは、その直後だった。


 突然、再びリビングにチャイムの音が鳴り響いたのだ。

 僕と藤川くんは、どちらからともなく顔を見合わせた。

 壁際に歩み寄って、二人でインターフォンの画面をのぞき込む。

 そうして、驚きを禁じ得なかった。そこに見知った小学生男子の姿が映り込んでいたからだ。

 鳴海くんだった。


「鳴海くん、まだ電話を切ってから一、二分しかっていないのに随分と早いなあ。彼の家からここへ来るのに、片道一〇分はかかるはずなんだけれど……」


 僕は当惑しつつも、鳴海くんを玄関で出迎えた。


「いやあ坂神くん、遅くなって悪かった。藤川くんも待たせてすまん」


 鳴海くんはリビングへ入ってくると、笑いながら今一度謝罪する。

 僕と藤川くんは、今更重ねて怒る気にもなれず、鷹揚おうように対応した。

 僕は電話口でもう批難したし、藤川くんは元々穏やかな性分だ。



 ところが、あとに続く鳴海くんの言葉からは、名状し難い違和感を覚えずにいられなかった。


「今日はいきなり、親父おやじが昼前に仕事から帰ってきてさ。それで『折角だから、昼飯は隣町まで寿司食いに行くぞ』なんて言い出したんだよな。しかも帰りには書店に寄ってミステリー小説を買ってやるからおまえも来い、って話になって。仕方なく付いて行くしかなくなって、おかげでここに来るのが遅れたんだ」


「……えっ、どういうことだい。今日は君、橋本くんと先約があったんじゃなかったのか」


「うん? 橋本くんとの先約だって。君らと遊ぶ日にそんな予定、入れるわけがないだろ」


 僕は呆気あっけに取られ、たじろいでしまった。

 藤川くんも、当惑を隠し切れない様子だった。

 僕は改めて、いましがた電話でやり取りした内容を覚えているか、と鳴海くんに問いただした。

 鳴海くんは、酷く怪訝けげんそうな面持ちになり、質問自体が理解できないと言いたげだった。



「どうして俺がいましがた電話なんかするはずがあるんだよ。だって寿司を食って書店に寄ったあとは、親父の車で直接この近所まで送ってもらって、今ここへ来ているんだぜ。そのあいだに俺んは家族全員留守にしていたんだから、誰も電話に出られるはずがないだろう」




     〇  〇  〇




 このあと僕たち三人は、ボードゲームで遊び、母親が帰ってくる前に解散した。


 しかし同じ日の妙な出来事は、いったい何が真実だったのか、大人になった今もわからない。

 すでに述べてきた通り、鳴海くんは賢く、だがときどき油断ならない友人だったから、何某なにがしかの手段でだまされていたのではないかと考えたこともある。ただもしそうだとしても、どのようなトリックを使われていたか、またそうせねばならない動機が何だったのかは、やはり不明だ。


 尚、鳴海くんが彼の父親から買ってもらった小説に関しては、購入時のレシートを検める機会があったのだが、たしかに隣町の書店のものだった。紙片の端には、僕や藤川くんと遊んだ日の午後二時前の時刻が印字されていた。その時点で隣町にいたなら、やはり自宅で電話に出られるはずはない。

 一方、隣のクラスの橋本くんは、この日鳴海くんと遊ぶ約束などしていなかったことが、のちに藤川くんを介した話で判明している。



 さらに当時の状況を検証していくと、いくつかの不穏な要素に想像力を刺激される。


 例えば、僕と電話で会話した相手は、自分から「鳴海です」と名乗っていない。

 だから同じ小学生男子だったとは思うのだが、鳴海くん以外の誰かとやり取りしていた可能性もあり得る。

 電話番号にかけ間違いがなかったかどうかは、今となっては確認するすべがない。


 もっとも、その場合にも不可解な点は多い。

 何しろ相手は少なくとも、僕の名前が坂神であること、隣のクラスには橋本くんという男子がいること、僕が鳴海くんとボードゲームで遊ぶ予定だったことを知っていた。おまけにゲームで使用する「東の魔法剣士」という駒の固有名詞さえ認識していたのである。海外製のマイナーなボードゲームのことまで、どうして無関係な第三者が把握していたのだろうか? 



 あの日の電話相手は、もしかして何かのだったのではないか、と考えたくなってしまう。

 また仮に実在の人間だとすれば、僕や鳴海くんの身辺を、かなりくわしく知っている人物ということになる――

 それこそ、常時間近で細部まで探り、観察しているような誰かだということに。


 真実がどのようなものあるにしろ、思い出すたびに薄ら寒さを覚える記憶である。






<不思議な通話・了>

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