31 開会式
僕を含む観客が舞台に注目していると。
空の玉座が鎮座している天蓋の中から、ひとりの屈強な男が舞台に下りてきた。エンジに負けず劣らずのムキムキ具合なのが、遠目からでも分かる。さすがに顔までははっきり見えないけど、肌は浅黒くて、襟足の長い銀髪が光を浴びてキラキラしているのは分かった。
浅黒い肌も漢って感じでいいよなあと思いながら、自分の真っ白で細っこい腕を見下ろした。……うん。いずれだよ、いずれ。ネバーギブアップ、僕。
銀髪の男は大太鼓の隣まで来ると、軽く手を上げる。それを合図に、興奮気味にざわついていた観客が次第に静まり返っていった。
闘技場内が衣擦れの音以外の音が聞こえないほどの静寂に包まれる。銀髪の男が手を身体の後ろで組み、応援団の声援みたいなポーズになった。
「――これより! 王者決定国家武闘会の本戦を開始するッ!」
朗々とした声が、闘技場に響き渡る。聞いた感じでは、まだ若そうだ。物凄い声量だから、腹筋なんて絶対シックスパックに割れてるんだろうなあ……羨ましい。僕のお腹には当分期待できないから、今夜エンジのシックスパックを触らせてもらって心を慰めよっと。
実はあれからエンジは、お願いすると結構満更でもなさそうな顔をして「勝手にしろ」って言いながら触らせてくれるんだよね。やっぱり漢の中の漢は心も広い。
僕も広い心を持ってヘルム王国の国王夫妻や僕を馬鹿にしていた貴族たちを許し……あ、無理。王家のワードを聞くだけで嫌な気分になる。僕が漢になるのはまだ当分先の話みたいだ。
広い心は筋肉の発達と共に。心の中のメモ帳にそっと書き込んだ。
「本戦参加者は! 王者候補に相応しい風格を要求されると心得よッ! 及ばぬと判断された場合! 勝ち進んでいたとしても出場権は即座に剥奪される! 己の拳に恥じぬよう、正々堂々と戦うように!」
おおー! だよね、やっぱり真の漢たるもの、正々堂々と戦うマインドは当然だよね! 僕がウンウンと首を縦に大きく振っていると、隣の上の方から「……ブッ」という吹き出す音が聞こえてきた。……エンジって僕のことを見てしょっちゅう吹き出してるけどなんで?
「各自! 武運を祈るッ!」
銀髪の男が右腕を高々と掲げると、直後にドワアアアッ! と耳がつんざけそうな野太い雄叫びが起きた。
「す、すご……っ」
思わず耳を塞ぐ。そんな僕を横目で見たエンジが、ニッと笑った。そのまま僕の頭をやっぱりボールのように軽々と掴む。
「ほら行くぞ」
「え? どこにです?」
「ミカゲのところの坊主とサキョウの試合を近くで見たいんだろ? 本選出場者は舞台袖からの見学が可能だからな。存分に応援してやればいい」
なんと! その情報は知らなかった! てやっぱりウキョウのことは名前で呼ばないんだね! なんで?
興奮のあまり、満面の笑みを浮かべて拳を上下に振った。
「応援したいです! します! しまくります!」
エンジが「くはっ」と破顔する。
「分かった分かった。落ち着け」
エンジに促されて振り返った。あれ、僕たちの周囲だけ綺麗に空間ができているんだけど。なんでだろう? と不思議に思っていると、僕たちの足元に悠々と寝そべっていたベニがむくりと起き上がる。直後、ズサササーッと人が後退り、再びモーゼの十戒みたいに一本道ができた。……うん、ベニが理由だな。そりゃ使い魔とはいっても魔物だし、どうしたって近寄りがたいんだろう。納得だ。
「こっちだ」
「はいっ」
エンジに頭を鷲掴みにされたまま、階下に続く階段に向かったのだった。
◇
一階にある選手入場口に続く廊下に、検問みたいに物々しい雰囲気満載の受付があった。
受付に座っていた人のよさそうな顔をしたガチムチの髭おじさんが、エンジの姿を見た途端に慌てた様子で立ち上がる。
「どっ、どうぞお通り下さいませ!」とちょっぴり上擦った声で、九十度の綺麗なお辞儀をした。
エンジはというと、何故か顔の中心に皺を寄せて無言のまま、おじさんの後頭部をジッと見下ろしている。おじさんが頭を上げなかったからか、ハア、とどこか諦めを感じる吐息の後、僕を振り返った。
「アーネス、ここが受付だ。向こうで待ってる」
「あ、はい! 分かりました!」
ニコリともしないエンジを見て、彼が不機嫌になってしまったことを悟る。どうしたんだろう。エンジの背中を目で追っていると、おじさんに一瞥をくれたベニが、エンジを慰めるように足に身体を擦り付けている様子が見えた。
とりあえずエンジを無駄に待たせる訳にはいかない。受付のおじさんに声をかけることにした。
「あ、あの、本選に出場する者なんですが」
と、ようやく顔を上げたおじさんが僕を見て目をまん丸くする。
「ええっ!? 君が!?」
「はい、僕です」
この国に来て、もう何度このやり取りをしただろう。このヒョロい見た目を早々になんとかしたいものだけど、なかなかすぐにとはいかないんだよね。
「ええと、じゃあ……登録した名前と生年月日、出身地を」
「はい!」
訝しげに僕を見るおじさんに、スラスラと本選申込時に登録した個人情報を伝えた。おじさんは首を傾げつつも、齟齬がなかったからか通路の奥を指差す。
「この後、あっちで武器を持ち込まないかの確認があるから」
「あ、はいっ」
通路の奥では、男女二人が進路を塞ぐように仁王立ちしていた。
首も肩も太くてガッチリしたおじさんと、僕よりも背が高くてボディビルの大会とかに出ていそうなポニーテールのおばさんの二人だ。
「女か?」
「男の子じゃないの?」
二人で小声で言ってる内容、ちゃんと聞こえてるから。
「僕は男です!」と腰に手を当てて告げると、男の方がなんとも言えない表情を浮かべる。
「じゃ、じゃあ俺だな……ええと、両手を横に開いてな」
「はい!」
「いやでも本当に触っていいのかな……?」
おじさんは困惑気味だ。お願いだから恥ずかしそうにしないでほしい。
「僕、ちゃんと男ですってば」
「そうだよなあ、喉仏もちっこいけどあるからそうなんだろうが、うわあ、ええと、痴漢じゃないからな……?」
おじさんの生唾を呑む音が聞こえた。華奢なだけでどう見たって男だろうに、と面白くない気分で立っていた、次の瞬間。
「――俺がやる」
「えっ」
それまで少し離れたところで傍観していたエンジが、スタスタと僕の前までやってくる。服の上から両手で僕にポンポンと触れて、ボディチェックをし始めた。ブスッとした表情で黙々と作業を続けるエンジを、おじさんとおばさんが呆気に取られた様子で眺めている。すると、二人と僕の目が合った。なんだか生温かい目で微笑まれたんだけど。
僕の背中や脇の下、腰回りや内股、足首まで確認し終わったエンジが、仏頂面のままボディチェック担当の二人を振り返る。
「武器は持ってない。俺が確認した」
「は、はい、了解しました」
エンジがおばさんに言った。
「こいつの確認は次から女性がやるように」
「わ、分かりましたっ」
二人がピシッと直立不動の体勢に変わる。エンジは僕の頭を当然のようにスポッと掴むと、短くひと言「行くぞ」と告げて奥へと進み始めた。
歩きながら、半眼のエンジが僕を見下ろす。
「……基本は俺がついているようにするが、どうしようもない時はベニを貸す。絶対にひとりで行動するなよ、分かったな」
「はあ、分かりました」
今のやり取りで、僕は何かエンジを不安にさせるような行動を取っちゃったんだろうか。それとも、エンジがいないと子ども扱いされた僕の本選出場が詐称だと判断されてしまう可能性を考えたのかもしれない。悲しいけどその可能性はあり得るな。
エンジの言葉を聞いたからか、一歩前を歩いていたベニが僕の横に寄ってきて、腰に二本の尻尾を巻き付けてきた。
「あは、ベニが守ってくれるの? 頼もしいよ」
「ガウ」
すると、エンジが言う。
「ベニはお気に入りのお前に危害を加えようとする奴には絶対容赦しないからな。あまりあっちへフラフラこっちへフラフラしていて自ら危険に突っ込んでいくと、他人の血を見ることになると心得ておけ」
「血……っ!?」
ちょっとそれはできればお目にかかりたくない。
「グルル」
エンジの言葉に、ベニがどこか誇らしげな表情で喉を鳴らした。この辺はさすが魔獣だな、と実感する。いくら人に馴れると言っても、魔獣は魔物であることに間違いはない。手加減してくれているだけで、ベニが本気を出したらきっと僕なんて瞬殺されちゃうんだろうな。
「ベニ、よろしくね。お手柔らかに」
ベニの頭を撫でる。ベニは気持ちよさそうに目を細めた。
それにしても、と尋ねる。
「でも、王都ってそんなに危険がいっぱいなんですか?」
「危険だ」
エンジが即答した。王者決定国家武闘会の間は治安がいい、と聞いていたから、裏を返せば普段はそこまででもないって意味なのか、と気付く。
「子どもの誘拐事件とかも多いんですか?」
「は? どうしてそうなる」
「え、だって」
そこで僕は、ここ数日市場に買い物に行った時に起きた話をした。
売り物を見ている時、隣に一瞬双子やエンジがいないと、よく男の人に声をかけられてはひとりかと確認されるんだよね。連れがいるって答えても、「危険だから家まで送って行くよ」とか「名前を教えて」とか言って、家の場所を聞き出そうとしたりどこかへ連れて行こうとされたりしたこともある。
僕がゴウワン王国基準では子どもっぽく見えるから迷子の保護なつもりだとは思うんだけど、「あれ、これってもしかして人攫いの可能性もあるんじゃ!?」と後で気付いたんだ。
なんて僕が持論を述べると、エンジの顔が恐ろしげな般若みたいなものに変わっていた。
「えっ、エンジ!? ど、どうしたんですっ!?」
「どうしてその場で言わなかった」
声が滅茶苦茶低くなってる。僕は焦った。
「いや、その、酷いことをされた訳じゃないしっ、みんなの元に戻れば平気だったからですっ、けど……っ」
と、エンジがジト目で僕を見つつ、「ハアア……!」と盛大な溜息を吐く。
「……やっぱりお前から離れるのは危険だな。本選期間は俺から離れるな。いいな」
有無を言わさぬ圧に、僕はコクコクと小刻みに頷いたのだった。
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