30 最前列へ

 闘技場内をひと通り案内してもらった後。


 もうすぐ開会式が始まる時間だということで、僕たちも舞台が見える位置に移動を始めた。


 観客席には、野球場にあるようなベンチが階段状になった着席エリアと、端に柵だけ設けられた立見エリアとがある。


 僕とエンジが今いるのは三階部分にあたる立ち見エリアで、既に人がびっちり座っている二階と四階の着席エリアよりはまだ余裕があった。それでも凄い人だけど。


 エンジの話では、本選が始まると同時に関所での予選が終了するので、これまで通過できずにいたそこまで屈強じゃない人や観光目的の人が、これからどんどん王都に入ってくるらしい。


 今日は初日だからまだこんなものだけど、準決勝、決勝あたりになるとギュウギュウ詰めになって、闘技場内に入ることすら難しくなることもあるんだとか。


 この闘技場は、四階建ての超巨大建造物だ。行ったことはないけど、もしかしたら東京ドームよりも大きいかもしれない。舞台の広さだけ見ても、野球とサッカーが同時にできそうだもんね。


 なお、案内が終わって頭の中に大まかな配置が入った時点で、エンジの肩からは下ろしてもらった。


 最初こそ、ユリアーネの人生で初の肩車に「軽々と僕を持てるエンジってば格好いい! 俺もいつかエンジみたいに心優しいムキムキになりたい! それで子どもを肩車して楽しませてあげるんだ!」なんて夢想して浮かれていた。


 だけど道行く人が僕たちを見ると、ぎょっとしてからやがて生ぬるい目で見るんだよ。


 ここで僕はようやく気付いた。あ、これって滅茶苦茶子どもっぽいって思われてるんだなって。彼らの微笑ましいものを見るような目が、如実に語っている!


 考えてみれば、大の大人が肩に乗せてもらって「わーい」なんてはしゃいでたら、そりゃ「子どもか」と思われるに決まってるよな……。しかもここはパワーイズパワーな国だし、余計だ。


 なので、「も、もう覚えました! ありがとうございますっ!」と言って、慌てて下ろしてもらったんだ。エンジは「なんだ、もういいのか?」と言いつつもすぐに下ろしてくれたけど、どこか残念そうだった。


 エンジって実は子ども好きなのかな――って、だから僕は子どもじゃないから! 初の肩車にちょっと感動しちゃっただけだから!


 改めて自分の足で立つと、闘技場の大きさを更に実感できた。どうして大きいってだけで、こんなに格好よく見えるんだろう。そんな場所に自分が立っているなんて、未だに実感が湧かない。


 前世でも今世でも、基本自由に行動できなかった僕にとっては、まるで夢のようだった。


 ちなみにヘルム王国の建造物は、シンデレラ城的な繊細な華美さを全面に押し出したものが多かった。まあ綺麗は綺麗だけど、お高くとまった貴族なイメージがどうしても付き纏う。だから前世を思い出した今は、あまりいい印象は持っていない。


 僕の好みは、断然ゴウワン王国の建造物の方だ。デカくてかつデザインも無骨とか、もう何それ漢……! てなる。


 それにしても、地面に下ろされた途端、巨人の国に紛れ込んだ感満載だ。だって、筋肉の壁がすごすぎて、ちっとも前が見えないんだよ。


 くそう……この際、筋肉隆々は後日でいい。せめて人並みな身長だけでいいから今すぐ切実に欲しい!


「行くぞ」


 エンジが先を歩き出す。


「あ、はいっ」


 圧倒されてぼうっとしていた僕は、慌ててエンジの後を追いかけた。ベニが「こっちだよ」とでも言うように先導してくれているけど、一瞬の隙に僕とエンジたちの間に人がどんどん入ってきて、どちらの後ろ姿も見えなくなってしまう。


「わ……っ! 待って、エンジ、ベニ!」


 僕の通り道を塞いだ男たちは、僕がいることなんて気付いていなそうだ。賑やかに談話している。


「ちょ、ちょっとすみません! 通して下さい!」


 飛んでも横にずれようとしても、筋肉の壁に阻まれて先に進めない。僕は焦り出した。どうしよう、迷子になったらエンジに迷惑がかかっちゃうよ!


「アーネス!?」


 と、振り返って僕がいないことに気付いたらしいエンジが呆れ顔で引き返してきてくれたじゃないか。


「何やってるんだ、全く」


 ホッとしたのが半分、呆れたのが半分みたいな顔を、男たちの肩の間から覗かせる。


「エンジ……!」


 こうして戻ってきてくれるなんて、やっぱり僕の推しは理想のヒーロー像そのものだよ……!


 ちょっぴり涙が出そうになった。


「ご、ごめんなさい! 一瞬でエンジたちを見失っちゃって……っ」


 なのにエンジは眉毛を八の字にする僕を見ると、「……ブハッ」と吹き出したじゃないか。


 ちょ、ちょっと! 笑わなくたっていいだろうに……!


 エンジは男の人たちに「すまない、通してくれ」と声をかけると、僕の前まで戻ってきた。


 申し訳ないやら情けないやらで混乱中の僕の頭を片手ですっぽり掴み、フッと笑う。


「小さいお前を掴まえておかなかった俺の落ち度だな」

「これはエンジのせいじゃ……」

「お前は初めて来た場所だろ。油断してた。すまなかったな」

「エンジ……」


 安心させようとしてくれるエンジの言葉に、ジンとしてしまった。


 頭を片手で軽々と掴まれると、いつもなら「子ども扱い!」て反発するのに、こんなに安心する日がくるなんて。小さいと繰り返し言われたことも、今は気にしないよ……!


 エンジがさらりと言った。


「さ、じゃあ一番前に行くぞ。そこが一番見やすい」

「えっ!? そりゃそうだろうけど……」


 前方にある人の壁を見る。いくら『力の腕輪』があったとしても、あの肉の壁を掻き分けて進める自信はない。僕には無理そうだけど、もう一度肩車をしてと頼むのもなあ。


 すると、エンジが顎をしゃくり、エンジに影のように寄り添っていたベニに「ベニ」とひと声かけた。


 次の瞬間、ベニが「ガウッ!」と結構ドキッとする大きな声で吠える。


「うおっ!? なんだなんだ!?」と飛び跳ねて振り返った男たちが、エンジとベニの姿を見た瞬間、驚きの表情を見せた。


「ええっ!? エンジ様が何故ここに!?」

「うおお、あれが使い魔のベニ様か! 間近で見たのは初めてだぜ!」

「凄えなあの爪……! ひと搔きで人間も真っ二つだとよ」

「ひええ……っ格好いいがやっぱり恐ろしいなあ!」


 ベニってそんなに強いんだ。でも、そりゃそうか。魔力だけは規格外の僕がガンガン魔力を注いだ『力の腕輪』があっても、びくともしなかったもんなあ……。


 それにしても、やっぱりエンジは有名人らしい。男たちの声に振り返った人々が、次々に「エンジ様だ」「本当だ!」と口々に言い出してこちらに注目し始めている。うわあ……「隣にいるちんちくりんはなんだ?」みたいな目で見ないでッ!


「ほら、行くぞ」


 こんなにも注目されているというのに、エンジは大して気にした様子もない。俄然エンジの正体が気になってきたけど、そろそろいい加減教えてくれないかな。


「ガウ」


 ベニが歩き出すと、モーゼの十戒のようにザザザアッ! と人の間に道ができる。ベニはその真ん中を、当然のように優雅に進んでいった。強い。


 にしても、ベニってベニ様って呼ばれてるの? ベニ様……最初から呼び捨てして、何だったら頭とかも撫でて完全にペット扱いしちゃってたんだけど、拙かったかな。


 揺れるベニの二本の尻尾を眺めていると、エンジが僕の頭をグイッと前に押した。


「ほら」

「は、はい!」


 ベニとエンジのお陰で、立見席の最前列である柵の前に難なく到着することができた。


 顔を覗かせて、眼下に広がる舞台を見渡す。


「うわあ……!」


 石床になっている円形状の舞台中央が、戦いを繰り広げることになる舞台なんだろう。選手入場口らしき穴が、四箇所に確認できる。まだ本選出場選手の姿は見えない。舞台中央には、無骨な大太鼓が置かれていた。おお。


「ん? あれなんだろう」


 一箇所、一般の観客席とは通じていない、明らかに貴賓席と分かる天蓋付きの一角があった。


 人が何人か、慌てたように右往左往しているのが見える。


 天蓋の中には絨毯が敷かれていて、ゴツくてデカい背もたれ付きの椅子がドンと置かれていた。華美さはない。あるのは男臭さだ。


 もしかして、あれが玉座なのかな。空の玉座っぽい椅子の周りにいるゴツい人たちが、何かを探している様子で辺りを駆け回っているのが見える。何をしているんだろう。


「エンジ、あれって玉座ですか?」

「ああ、そうだな」


 やっぱりそうなのか。


「王様、いないですね」

「ああ、そうだな」


 事もなげに答えるけど、そういうものなのかな。その割には現場の人たちが焦っているようにも見えるけど。


 すると、満を持して舞台中央からドオオンッ! ドオオンッ! という地響きのような低い太鼓の音が響き始めてきた。観衆が、「うおおおおっ!」なんていう野太い声を上げる。地響きのような歓声に、否が応でも興奮が掻き立てられた。


「開会式の合図だ」

「凄い……楽しみですね!」


 笑顔で見上げると、エンジが僕を見下ろして眩しそうに目を細めた。

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