夜に探す

秋犬

夜に探す

 歩き疲れて、そろそろどこかで休憩したいと思った。目に付いた公園に入ると、おあつらえ向きのベンチがある。上に街灯があるのか、そこだけスポットライトのように夜の世界から浮かび上がっていた。


「よいしょ」


 誰もいないせいか、ついつい独り言が出てしまう。スポットライトの中に入ると、一気に物語の主人公になった気がする。


「広い世界に、ただひとりぼっちー」


 いつか見たミュージカル映画なら、どこかから音楽が流れてきて俺は立ち上がってひとりぼっちで踊り始めるところだ。そして夜の公園にいそうな猫たちが踊り出てきて、街灯たちがビカビカと素敵な色で瞬くシーンになるだろう。でも現実はそう美しいはずもなく、俺の調子っぱずれの歌とも唸りともつかない声が虚しく響くだけだった。


「なーんてね」


 気恥ずかしくなって独りごちる。もちろん返事はどこからも来るはずがなかった。


 ぴかぴか


「……気のせいか」


 今、確かに街灯の光が明滅した気がした。俺の声に反応したのだろうか、いや、ただの偶然だ。蛍光灯が切れかかっているだけに違いない。


 ぴかぴか、ぴかぴか


「はは、まるで生きてるみたいだな」


 俺は街灯に話しかける。バカみたいだけど、どうせ誰も聞いていないからいいだろう。


 ぴかぴかぴかぴか


「……本当に、生きてるのか?」


 ぴか


「おいおい、冗談きついって。夢かな?」


 ぴかぴかぴか


「ちゃんと寝た方がいいのかな」


 ぴーかぴかぴかぴかぴーかー


 こいつ、明滅時間まで変えてきやがった。モールス信号かよ。


「夢だ、夢に違いない。仕方ない、帰ろう」


 俺は立ち上がると、頭上を見上げた。そして、ますます夢を見ているのかと思った。俺の上には街灯なんてなくて、ただ「街灯の光っぽいもの」が俺の周りを照らしているだけだ。


 一体こいつは何なんだろう?


「……もしかして、お前何か俺に伝えたいのか?」


 ぴか


 そいつは一度明滅した。これは俺の言葉に対して肯定する合図らしい。


「でもなあ、ぴか、じゃわかんないんだな」


 ぴーかー


 そいつは長めに明滅した。これはがっかりした、という意味なのだろうか。


「まあいい。お前、悪い奴じゃないよな?」


 ぴかぴか!


 そいつは急いで二度明滅した。これは否定のサインだろうか。


「別に悪い奴でもいいぜ。こんな時間に夜中歩き回ってる奴なんかろくな奴じゃないだろう、俺も、お前も」


 ぴか


「いやそこは否定しろよ」


 ぴかぴか!


 俺は何だか楽しくなってきた。明滅しかしないけれど、こんなに誰かと話をするのは久しぶりのような気がした。


「でもさあ、お前何者なんだよ。ただの光にしては利口すぎるよな?」


 ぴかぴかぴか


「見たところ街灯の光にしか見えないんだけど、もしかしてそのつもりなのか?」


 ぴか!


 そいつは強く明滅する。どうやらこいつは街灯の光のつもりらしい。


「そうか、でも肝心の街灯がないのはどういうことだ?」


 ぴか、ぴかぴかぴか


 何かを訴えたいようにそいつは何度か明滅する。


「ぴか、じゃわかんないんだってば……」


 俺は再度ベンチに腰掛ける。


 ぴかぴかぴか


「何だろうな。宇宙人の作った意志を持った光型生物とか?」


 ぴかぴか!


「楽園を追放された神の意志の残滓とか?」


 ぴかぴか!


「どこかの超能力者が生み出した会話する光の概念?」


 ぴかぴか!


 意志を持ちそうな光の出所について俺はでたらめに挙げていくけれど、そいつは全部否定する。


「それとも何だ? 単に街灯本体からはぐれたとか、そういう間抜けなオチじゃないだろうな?」


 ぴか!


「……え、今の正解なの?」


 ぴか!


「そうか、お前、じゃあ迷子なのか?」


 ぴか!


 そいつは大きく明滅する。どうもそうらしい。


「じゃあ、本体のところに帰りたいか?」


 ぴか!


 そいつは今までで一番強く明滅した。そいつなりの精一杯の肯定のようだ。


「でもお前、本体のところまで帰れるのか?」


 ぴかぴかぴかぴか


 そいつは明滅しながら、場所を移動する。ちかちか光る何かが俺の前でずずっと移動する。


「なんだ、動けるのか。じゃあここで何やってたんだ?」


 ぴか……


 そいつは弱々しく明滅する。


「もしかして、ベンチで休憩していたのか?」


 ぴか!


 そいつが大きく光る。俺は何だかおかしくなった。


「なんだ、お前も疲れてたのか?」


 ぴか!


「そうだよな、疲れたらベンチで休むんだよな!」


 ぴか! ぴか!


 明滅するそいつに同調して、俺ははたと気がついた。


 俺は一体何をしているんだろう。目の前の光ってる何かに向かってただ独り言を言っているだけなのではないか。そもそも、この光は俺以外の奴に見えているんだろうか。もしこの光が俺の幻覚だとしたら、俺は本当にどうしようもない奴になってしまう。


「なあ、お前本当に存在しているんだよな?」


 ぴか?


 そいつが頼りなさげに明滅する。そこは自信を持ってくれよ。


「まあいいや、どうせ誰もいないし。どうだ? よかったらお前の本体一緒に探してやろうか?」


 ぴか! ぴかぴか!


 そいつは嬉しそうに何度か明滅する。


「じゃあ行こうぜ。目立つお前のことだから、そう遠くに本体がいるわけじゃないんだよな?」


 ぴか!


 すっかり俺はそいつの言葉がわかるようになったらしかった。立ち上がって歩き始めた俺に、そいつは着いてきた。俺の周りだけ昼のように明るくて夜の公園に似つかわしくなく、何とも滑稽であった。


「……あのさあ、もう少し小さくなれたりしないか?」


 するとそいつは光量を落として、大分薄暗くなった。


「うん、それでいいよ。やればできるじゃん」


 そいつはこっそり「ぴか」と明滅した。


「それじゃあ、お前は公園の中の街灯なのか?」


 ぴかぴか


「じゃあお前、公園の外からやってきたのか?」


 ぴか


 うーむ、この際どうやってここまで来たのかは考えないことにしよう。とりあえず、こいつをあるべき場所に送ってやるのが俺の仕事のような気がした。


「それじゃあ行くぞ、着いてこい。公園の外に出たらあんまり話しかけないからな」


 深夜の公園で独り言を続けている奴がいたら薄気味悪い。まして路上で出くわしたら最悪だ。しかも何故か薄ぼんやり光ってる奴に、だ。俺は誰かの最悪にはなりたくなかった。


 公園を出て、俺は街灯を見ながら歩いた。どの街灯にもちゃんと灯りがあって、地面を煌々と照らしている。俺について薄ぼんやり光ってる奴の入る隙間はどの街灯にもなかった。


「ここにもなかった、な……」


 公園の近所をぐるりと一周したが、そいつの入るべき街灯はどこにもなかった。皆明るく正しく強く光っていて、とても立派な街灯だった。


「じゃあ、もう少し遠くに行こうか」


 住宅地の家々は扉を閉ざしている。灯りのない家では幸せそうな奴が夢を見ていることだろう。俺は繁華街を越えて街のはずれに行くことにした。次第に街灯の数は増えて、深夜だというのに道が明るくなってくる。

 

 夜の街には人がそこそこいた。寝っ転がっている酔っ払い。地面に座り込んでいる少女たち。何らかの夜の商売をしている人たち。道路工事もやっていた。反射材のテープを巻いたおじさんたちが忙しそうに何かをしている。


 明るい場所にやってくると、他の光に紛れてそいつの気配がわからなくなった。途端に俺も帰る場所がないことを強烈に突きつけられたような気がして、急に誰かを殴り倒したくなった。その辺にいる女に声をかけて、さっきの公園まで誘い出して、それで。


 そこまで考えて、俺は今迷子の光と一緒にいることを思い出す。そんなことをしている場合じゃない。俺は他の人をなるべく見ないように、こそこそと繁華街を通り抜けた。


「さて、こっちに本体がいるといいな」


 繁華街の向こうはまだ開発が済んでいない場所だった。ところどころに「工事中」のガタガタした看板があって、道路が途切れ途切れに辛うじてあるような場所だ。


「こっちは暗いから、明るくなってもいいぞ」


 すると、そいつは嬉しそうにのびのびと光り輝いた。光の多いところで肩身が狭かったんだと思う。なんだ、こいつやっぱり俺と気が合うんだな。


「なあ、お前こっちの方から来たのか?」


 ぴか?


「わかんねえのかよ」


 ぴかぴかぴか


「それがわかったら苦労しないって? まあ、そうだよな」


 そいつは不安なんだと俺は思った。俺には一応、帰るべき家はある。だけどこいつにはそれすらもない。ただ皆が居場所に収まっているのを見ているのが、こいつは嫌で嫌で仕方がないんだろう。俺は夜の徘徊を終わらせようと思えば一応できるけど、街灯本体が見つからない限りこいつはずっと行き場のない迷子のままだ。


「お互い大変だな」


 ぴかぴかぴか


「俺はどうでもいいんだよ、お前の家が見つかるといいな」


 ぴかぴか!


 何だかんだ、俺はこいつが可愛くなってきた。このまま街灯が見つからなくて、ずっと俺とこいつで夜の底を這いずり回っていたかった。こいつは俺を必要としているし、俺もだんだんこいつを気に入りだしていた。


 でも、それではいけないと俺は考え直す。なんでも深い仲になってはいけないんだ。出会いと別れが人を強くするなんていうけど、あれは嘘だ。都合のいい連中が自分の悲しさを誤魔化すために使っている方便に過ぎない。少なくとも、俺にそんな贅沢なものは似つかわしくない。


「はやく見つかるといいな」


 何度も俺の上で瞬く光は、一体何を考えているんだろう。俺のことを好いているのだろうか。それとも、俺をただ利用しているだけなんだろうか。いや、俺のことをからかっているのかもしれない。できれば何の感情も持っていてほしくなかった。そのほうが、俺にとっては都合がいい。


 俺のことなんか、こいつは知らなくていいんだ。


 しばらくぼんやり歩いていると、ようやく明かりの灯っていない街灯を見つけた。そいつは激しく何度も明滅した。これがそいつの本体なのだろう。


「よかったな、母さんに会えて」


 その言葉が適切だったのかどうかはわからない。そいつは暗い街灯の下に急いで潜り込むと、一筋の光になって地面を照らし始めた。


「おーい、元気でな」


 俺の言葉にそいつはもう反応しなかった。ただ地面を照らし続ける街灯になったそいつに俺は背を向ける。腕時計で時刻を確認すると、午前2時半を回ったところだった。


「そろそろいいかな……」


 俺も家に帰ることにした。住宅地のはずれのアパート。母親も新しい彼氏もそろそろ寝ているか、シャワーを浴びた後のはずだ。学校にはずっと行っていない。どうせ教室で寝ているだけだから、家で寝ていても大して変わりはない。


 俺はもう一度街灯の光を見る。そいつは何事もなかったかのように、すまして地面を照らしていた。そうして、やっぱり俺はこいつと仲良くならなければよかったと後悔する。ただの街灯のくせに、偉そうにしやがって。


 再び俺は歩き始めた。俺の本体もどこかにいるといいのにな。そうして一緒に光って、誰かの役に立てばいいのに。どこへ行けばいいんだろう。誰に話せばいいんだろう。ああ、せめて俺も光になれたらいいのにな。光なら、俺みたいな奴を照らすことができるのに。さっき出会った、あいつみたいに。


〈了〉

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