暗い廊下と階段が見える部屋

碧絃(aoi)

暗い廊下と階段が見える部屋

 僕が中学生の頃の話。


 僕の部屋は、玄関を入ってすぐの場所にある。窓の外側に大きな木があるせいで、外の景色はほとんど見えない。


 エアコンがついていないので、暑い時期にはドアと窓を開ける。ただ、ドアが開いていると、暗い廊下と階段が目に入ってしまうのが嫌だった。古い日本家屋なので、窓が小さく数も少ない。太陽の光があまり入って来ない家の中は、昼間でも薄暗くて、特に階段は電気をつけないと上り下りができないほど真っ暗だ。


 夕食の後に部屋で漫画を読んでいると、ギシ、ギシ、と階段を誰かが下りてくる音がした。しかし、いつまで経っても廊下を歩く音がしない。なんとなく気になり覗いてみると、ドアの横に、白いネコのぬいぐるみが置いてあった。


 ——なんで、こんなところに置いてあるんだろう……。


 随分と汚れているぬいぐるみだ。白かったはずのネコの顔は、黒ずんでいる。なんとなく、触りたくないと思った。


 ネコのぬいぐるみを横目で見ながら、廊下を進み居間へ行くと、母はテレビの前でドラマを見ていて、祖母は壁際で寝転んでいる。


「ねぇ。僕の部屋の前に、ぬいぐるみが置いてあるんだけど、誰が置いたか知らない?」

 

 訊いてみたが、母は知らないと言う。祖母は目を瞑っているので訊かなかったが、祖母がぬいぐるみを触っているのは見たことがないので、おそらく知らないはずだ。結局、何も分からないままだが諦めて、部屋へ戻ることにした。


 部屋の前には、まだネコのぬいぐるみがある。薄汚れた顔についた、ビー玉のような丸い目。廊下にある蛍光灯の、橙色の光が反射して、ギラリと輝いているのが不気味に感じた。


「誰が置いたのかは分からないけど、このまま置いておくのは嫌だな……。夢に出て来そうな気がする……」


 どうやって動かそうかと考えながら、ぬいぐるみを見ていると、妹が階段を下りて来た。


「なにやってんの?」妹は怪訝けげんそうな顔をする。


「誰かがぬいぐるみを置いて行ったんだよ」


「ふーん……あれ? 私が小さい頃に遊んでいたぬいぐるみだ! 押し入れの中にあったはずなんだけど、誰が出したんだろうね?」


「それは分からないけど、ここに置かれると困るんだよ」


「じゃあ、私が戻しておくよ」


 妹は不気味なネコの人形を、ひょい、と持ち上げて、二階へ上がって行った。


「何だったんだろう……」


 なんだか釈然しゃくぜんとしない。もやもやとした気持ちを抱えたままで、その夜はなかなか寝付くことができなかった。





 次の日。部活を終えて家に帰った頃には、外は真っ暗になっていた。疲れていたので、廊下の電気はつけずに自分の部屋へ入り、電気をつける。部屋の中は蒸し暑いので、ドアは開けたままにした。


「今日は暑かったから、食欲がないんだよな……」


 夕食は減らしてもらおう、そう考えながら制服を脱いでいると後ろで、スッ、ススッ、と布が擦れるような音がした——。

 

 ぞわり、と背筋が粟立ち、勢いよく振り返る。しかし、部屋の中には何もいなかった。いるとすれば、廊下だろう。


「誰……? 誰かいる?」

 

 訊いてみたが、しばらく待っても、返事はない。


 ——どうしよう……。


 怖いので廊下を覗きたくはない。けれど、このままにしておくのはもっと怖い。


「大丈夫、大丈夫……」ささやくように言いながら、おそるおそる廊下を覗く。


 廊下は電気がついていないので、真っ暗だ。暗がりに目を凝らし、ゆっくりと左右を繰り返し見た。動くものは何もないし、居間のテレビの音以外は何も聞こえない。


 ——気のせいだったのかな……。


 部屋の中に戻ろうと身体の向きを変えた瞬間、足元に白いものが見えた。


「うわっ! 何⁉︎」


 慌てて一歩下がると、ドアの横に拳ほどの大きさの、白くて丸いものが置いてある。顔を近づけてみると、それは豆大福だった。包装されていないものが、そのまま床に置かれている。


「帰って来た時は、無かったよな……?」


 それとも、気がついていなかっただけで、最初から置いてあったのだろうか。どちらにしても、豆大福を皿に乗せずに、直接床に置いた理由が分からない。もう一度、廊下に顔を出して左右を確認したが、やはり誰もいなかった。





 それから数日後。朝から雨が降っていた日の、朝のこと。


 天気が悪いせいで、起きた時から蒸し暑かった。扇風機をつけていても、少し動くと汗が滲み出てくる。雨が降っているので窓を開けることはできないが、少しでも涼しくなるようにドアを開けっぱなしにしていた。

 

 朝なのに、廊下は真夜中になってしまったように真っ暗だ。視界に入ると少し気になるが、ドアを閉めると暑いので仕方がない。


 学校へ行く準備を済ませて、机の上に置いた鏡の前でコンタクトをつける。両方の目にコンタクトを入れ終わり、何度か瞬きをして目を開いた瞬間。


 鏡越しに、白髪の老婆と目が合った。


 暗い廊下にいる、白い割烹着姿の老婆は、無表情でこちらを見ている。


 一気に全身が総毛立ち、勢いよく振り返ると——。


 





 よく見ると割烹着姿の老婆は、祖母だった。


 何か用事があったのだと思うが、認知症を患っていた祖母は、その用事を忘れてしまい、ぼぅっとした状態で立っていたようだ。


 色々と奇妙な出来事が起こっていたが、もしかすると心霊現象ではなく、祖母がやったことだったのかも知れない。と、思っている——。

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暗い廊下と階段が見える部屋 碧絃(aoi) @aoi-neco

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