夏の縁(なつのえん)ー盆の再会、夏の終わりと始まりとー

野沢 響

夏の縁(なつのえん)ー盆の再会、夏の終わりと始まりとー

 「卓海たくみ、ちゃんとお墓の後ろもお願いね?」


 「分かってるよ」


 墓石を布巾で拭きながら、俺は母親に返事をした。

 一通り拭き終わった後、今度は墓石の後ろに回り込む。

 辺りに生えている雑草を踏み付けて先ほどと同じ要領で拭いていく。

 墓石の表側に戻ると、妹がちょうどユリの花を花立に挿していた。

 熱燗のビンや緑茶のミニペットボトルに缶コーヒー、それから個包装になっている煎餅や甘納豆なんかを供えて、俺たち家族は手を合わせると同時に目を瞑る。

 辺りには子どもたちの声や知り合い同士が挨拶を交わす声、坊さんが唱えるお経が聞こえている。

 それらに混じってひっきりなしに聞こえてくる烏の鳴き声。

 お前らにやるものなんて何もないからな?

 心の中で呟いていると、父親たちの動く気配がして俺は目を開けた。

 両親が先ほど墓前に供えたコーヒーやお菓子、花立はなたてに挿した花をそれぞれ回収していく。

 ふと隣にいた妹に顔を向けるとまだ目を瞑っていたので、軽く肩を叩いて知らせてやる。

 妹は頷いた後、父親から供え物が入った袋を受け取っていた。

 俺も同じように持参してきた物を手にして帰る支度をする。


 元来た道を通って駐車場に向かって歩いていた時、ご近所さんに声をかけられた。それぞれ挨拶をして、妹と俺も頭を下げる。

 両親が話している間、偶然顔を向けた先に見覚えのある女性を見つけた。まっすぐな黒髪のショートヘア。襟なしの白いノースリーブシャツに青のジーパンといったシンプルな格好。

 少しの間見つめていると、その女性ひとも俺に気付いて笑顔を向けた。

 こちらに近付いて来たので、俺も近付いて行く。


 「卓海くん、久しぶりね! 元気だった?」


 「お久しぶりです、芙蓉ふようさん。俺は元気ですよ。芙蓉さんもお元気そうで」


 俺が笑ってそう言うと、彼女も笑顔で続けて、


 「ええ、私も元気よ。卓海くん、雰囲気変わったね?」


 「そうですか? もう学生じゃないんで、もしかしたらそのせいかも」


 「そっか。もうあれから四年も経つものね」


 「はい。社会人三年目になりました」


 「そっかぁ。どうお仕事の方は?」


 「もう慣れましたよ。最初は分からないことばっかりで、ミスも何度もしましたけど」

 

 社会人になったばかりの時のことを思い出しながら話していると、芙蓉さんはふふっと笑った。


 「最初は皆そんなものよ。まさか、ここで啄海くんと会うなんて思わなかったわ」


 「俺も。けど、また芙蓉さんと話せて嬉しいです」


 俺がそう口にすると、彼女もまたふふっと笑って「私も」と返してくれた。

 その時、芙蓉さんを呼ぶ声が聞こえた。

 彼女の母親のようだ。

 振り返って返事をした後、俺に顔を戻して、


 「私、そろそろ行くね」


 「あっ、はい。あの、芙蓉さん」


 「ん?」


 「今度、都合の付く日にまた会えませんか? またこうやって話したいと思って」


 「もちろん。番号も変わってないから、そのまま連絡取れるよ」


 「俺もそのままです。また連絡しますね」


 「うん。じゃあ、またね」


 芙蓉さんが手を上げたので、俺も同じように片手を上げる。

 彼女の後ろ姿を見送っていると、彼女の母親から少し距離を置いて一人の若い男の人が芙蓉さんを見つめていた。

彼女は自分の母親と話しながら歩いて行く。近くにいる男の人には気付いていないようだ。

そのまま眺めていると、待っていた家族と共に歩いて行ってしまった。

 男の人はそのまま芙蓉さんたちの背中を見送っている。

 俺が不思議そうにその人を見ていた時、こちらを振り返った。

 ただ真顔で俺に視線を送っている。互いの視線が交差して、なんとも気まずい。

 見つめるというよりも睨まれているような感覚を覚える。


 「ねぇ、兄さん」


 妹の呼ぶ声で我に返った。

 振り返るとニンマリと笑みを浮かべている。


 「さっきの女の人って誰?」


 「俺が大学行ってた時のバイト先の先輩」


 「ふ~ん、そうなんだ~。兄さん、めっちゃ笑顔だったねぇ?」


 妹がニヤニヤしながら聞いてくる。

 俺は面倒臭そうに、


 「めっちゃって何だよ?」


 「鼻の下伸びてたねぇ?」


 「伸びてねぇわ!」


 面白がっている妹にため息を吐くと、俺は説明する。


 「バイト先でお世話になった人なんだよ。俺が早く馴染めるように色々気を使ってくれてさ。大学の話とか趣味の話振ってくれたりして」


 「ふ~ん」


 聞いている妹は楽しそうだ。

 俺はそこで思い出したように前を見た。

 さっき俺を睨んでいた(ように見えた)男。けど、もうその男の姿はない。


 「あれ? いなくなってる……」


 「どうしたの?」


 妹も同じように俺と同じ方向に顔を向ける。

 辺りを見回してもやっぱりいない。


 「さっき若い男がこっち見てたんだけど」


 「兄さんを知り合いと間違ったとかじゃない? よく見たら違う人だったってこと、よくあるじゃん」

 「いや、それは流石さすがにない……」


 「二人とも、そろそろ帰るぞ」


 その時、父親に呼ばれた。見ると、母親も傍で俺たちを待っている。

 妹は「はーい」と返事をすると、そのままそちらへ歩いて行く。

 俺はもう一度振り返って凝視した。だが、先ほど目にした男の姿はどこにもなかった。


 ⬛


 その日から三日が経った。俺は母に頼まれて伯父(母親の兄)の家までトウモロコシを貰いに行った。母は用事があるので、代わりに行ってきて欲しいと頼まれたのだ。

 その帰りの途中、車で信号待ちをしていると、見覚えのある人がバックミラーに映った。


 「あれ、芙蓉さん?」


 「卓海くん?」


 彼女も車に乗っていたのが俺だと気付いて驚きの表情を浮かべている。


 「どこに行くんですか?」


 「すぐそこのお寺に」


 彼女が顔を前に向ける。

 その先にはお盆に訪れた寺がある。


 「お墓参りはこの前終わったはずじゃ……」


 俺がそう尋ねると、芙蓉さんは小さく頷いてから、


 「そうなんだけど、今日命日の人がいて。その人のお墓もここにあるの」


 命日の人という言葉を聞いて、思わず目を見開く。

 それにこの時だけ、芙蓉さんがまるで別人に見えた。姿は間違いなく本人なのに、中身は全く違う人のような。


 「あの、俺も一緒に行っても良いですか? 邪魔しないので」


 気付いたらそんなことを口走っていた。芙蓉さんは嫌がる訳でもなく、了承してくれた。

 俺は青信号に変わる寸前で彼女を車の助手席に乗せて、そのまますぐ傍の寺の駐車場に向かった。


 車から降りて、の墓に向かう。うちの墓がある方とは反対側にその人の墓があるらしい。

 俺は芙蓉さんの後ろを黙々と付いて行った。

 やがて一基の墓の前で彼女の足が止まった。

 同じように俺も立ち止まる。

 棹石さおいしには『一条家之墓いちじょうけのはか』の文字。

 左右の花立はなたてには挿されたユリの花が容赦のない夏の日差しを浴びている。

 右隣に設置されている墓誌ぼしに数名の名前と共に並んだ『一条いちじょう夏衣かい』という名前。その下に続く没年月日はちょうど二年前の今日だ。

 

 「ここがその人が眠るお墓よ」

 

 芙蓉さんは落ち着いた声でそう言うと、しゃがんで墓石に落ちた葉っぱを寄せた。

 しゃがむのをやめると今度は中腰になって、肩にかけたバッグから長方形の箱を取り出してそれを墓前に静かに置く。

 目の前に置かれたのは、未開封のタバコの箱。白い箱の真ん中には濃い青い色で書かれた銘柄のロゴ。その上には青と金色の弓矢のイラスト。

 

 「ショートホープですか ?」


 「そう。が好きな銘柄なの。命日はいつもこうやってお供えするのよ」


 そう答える芙蓉さんは悲しみを隠すように微笑する。

 薄々思っていたことは恐らく当たっているはずだ。

 彼女の口振りから察するに。

 俺の胸の鼓動が更に高くなる。それと同時に胸が痛い。

 きたくもないのに、既に疑問が口を突いて出ていた。

 

 「……あの、その人って芙蓉さんとはどんな関係で?」

 

 俺に顔を向けて彼女は言った。


 「私の恋人よ。二年前にバイク事故で亡くなってしまったの」


 「そう、でしたか」


 芙蓉さんはただこくりと頷いただけで他には何も言わなかった。

 予想は当たっているだろうと思っていたが、いざ口に出されるとそのショックはでかい。

 けど、このズブズブと沈んでいく気持ちを彼女に悟られる訳にはいかない。

 芙蓉さんが手を合わせたので、俺も同じように手を合わせる。

 目を瞑って少し経った頃、俺は目を開けて思わず悲鳴をあげそうになった。

 目の前の墓の横に、あの時芙蓉さんに視線を向けていた男がこちらを見つめたまま立っていたからだ。

 相変わらず無表情で目付きは鋭い。

 最初に会った時と印象は少しも変わらない。

 

 男は芙蓉さんに顔を向けると、ゆっくりと手を伸ばす。

 そして、目を瞑ったままの彼女の片頬を優しく撫でてから両手で抱き締めた。

 芙蓉さんは気付いていない。

 手を離すと、男は優しげとも儚げとも取れる表情でただ目の前で自分の冥福を祈ってくれる女性ひとを見つめている。

 芙蓉さんから視線を外すと、今度は俺に顔を向ける。

 俺に向けられた表情は、たった今柔らかい雰囲気を持っていたとは思えないほど冷めていた。

 俺はその瞬間、蛇に睨まれたかえるのように動けなくなる。

 まるで、金縛りにでもあっているような……。


 「卓海くん、どうしたの ?」


 突然、声をかけられて振り返ると芙蓉さんが不思議そうにこちらを見ていた。


 「あっ、いや……」


 俺は慌てて前に顔を戻した。でも、もうあの男はいなかった。

 

 「大丈夫 ? 顔色悪いわよ?」


 今度は心配した表情で俺を見る。


 「ああ、ちょっと暑さにやられただけなので大丈夫ですよ。あとで、水分取りますから」


 笑ってそう言ってみたものの、まだ彼女は心配そうだ。

 

 「本当に大丈夫 ?」


 「はい。すみません、心配かけてしまって」


 「ううん。こっちこそわざわざごめんね。付き合ってもらっちゃって」


 「いえ、頼んだのは俺なので」


 墓前に視線を落とすと、置かれていたショートホープの箱はすでに回収されている。


 「そろそろ帰りましょうか ?」


 「はい」


 芙蓉さんは「また来るね」と墓前に声をかけて背を向けて歩き出した。

 俺も背を向けたが、気になって振り返った。

 そこには墓石しかなかった。あの冷めた眼で睨む男の姿はもうなかった。


 ⬛


 なんで俺は墓地にいるんだろう ?

 しかも夜の墓地にだ。

 早くこの場から立ち去りたいのに、足が勝手にどんどん前に進んで行く。

 そのまま歩いて行くと一人の女性が目に入った。

 背を向けているため顔が分からない。

 少しの間、見つめていると視線に気付いたのか女性がゆっくりと振り返った。


 「芙蓉さん…… ?」


 煙草を咥えて両の瞳から涙を流したまま、芙蓉さんが俺を見る。

 けど、その姿に違和感を覚えた。

 彼女は喫煙者じゃなかったはず。バイト先でも勤務後にバイト先の仲間たちと呑みに行った居酒屋でも煙草なんて吸っているところは見たことがない。


 芙蓉さんは咥えていた煙草を指で挟んでから、腕を下ろした。

 もう片方の手にはショートホープの箱。

 そのまま俺に近付いて来る。

 彼女はもう泣いていない。

 俺の前で足を止めると、再び煙草を咥えた。

 俺と目が合った瞬間、吐き出した煙は芙蓉さんを包んでいく。

 あっという間に彼女の姿が見えなくなってしまった。


 「芙蓉さん !」


 俺が駆け寄ろうとした時、徐々に煙が晴れていった。

 中から現れたのは、芙蓉さんの死んだ恋人。

 ショートホープを咥えたまま俺を見据える。

 その黒い瞳は相変わらず鋭い。


 「あんた……」


 俺が呆然としたまま呟いた時、


 「兄さん、朝ごはん出来てるよー!」


 元気な妹の声で目が覚めた。


 俺は驚いて飛び起きる。

 目に入ったのは見慣れた薄い青色のタオルケット。

 辺りを見回すとこれまた見慣れた自分の部屋。

 手にはじっとりと汗が浮かび、身体に不快にパジャマが張り付いている。


 (あれは夢…… ?)


 その瞬間、一番最初に浮かんだのは芙蓉さんの恋人の姿。

 それからその前に見ていた内容を思い出そうとした時、階段を上がって来る足音が聞こえてきた。

 妹がひょっこりと顔を出す。

 最近暑いので、部屋の扉は開けたままだ。


 「兄さん、ご飯……」


 「聞こえてるよ。今、行く」


 俺はタオルケットを剥いで、傍で回り続ける扇風機のスイッチを切ると部屋を出た。


 ⬛


 シャワーを済ませて、朝食を終えた俺は出かける準備に取りかかった。

 準備が終わると、家族に出かける旨を伝えて、車の鍵を手にして外に出た。

 自分の車に乗り込んで、鍵を差し込む。エンジンの掛かる音を聞きながら、俺は夢の内容をざっと頭の中に思い浮かべる。

 行き先は一つだ。



 車を走らせて二十分。

 右手側に寺が見えてきた。

 駐車場に向かうと車は一台も止まっていない。

 俺は適当に車を停めると外に出た。

 起きた時よりも暑い。少しずつ気温が上昇していることを実感する。

 芙蓉さんが歩いていた道を思い出しながら歩みを進めていく。

 確かこの辺りだったはず。

 一条という名字を探して棹石に目を凝らす。

 

 「あった!」


 俺がその墓石に駆け寄ろうとした時、すぐ右側の細い通り道から一条夏衣が姿を現した。

 夢と同じだ。夢の中で出て来たのは芙蓉さんだったけど。


 俺を見つけると、向き直ってまっすぐ歩いて来た。

 ショートホープは咥えていない。

 箱も持っていないみたいだ。

 俺の前で立ち止まった。


 「盆の墓参りの日にもあんた、俺のこと見てたよな?」


 問い掛けに一条夏衣は答えない。

 俺は構わず続けた。


 「俺は学生時代に芙蓉さんの勤務先でバイトしてた、東藤とうどう卓海たくみ。バイト先の先輩後輩同士だった。

 最初にあんたを見た時、芙蓉さんの家族だと思った。一緒に墓参りしに来たんだと思ってた。けど、彼女はあんたに気付いてなかった」


 一条夏衣の表情は変わらない。

 黙ったまま俺を睨むように見ている。


 「誤解してるようなら言っておくけどな、俺は別に芙蓉さんと付き合ってる訳じゃない。夢の中に出て来たのは嫌がらせのつもりか? 芙蓉さんの振りして煙草まで咥えて……」


 「芙蓉はもともと喫煙者だ」


 「……え?」


 さっきから黙ったままの男が急に口を開いたもんだから、俺は驚いて目を見開いた。でも、それ以上に驚いたのは芙蓉さんが喫煙者だったことだ。

 

 「吸ってるとこ見たことなんて」


 「接客業だから勤務日は吸わなかったんだろ。そもそも休みの日か仕事が終わってからじゃないとは吸わない。それに」

 

 それに?

 一度、言葉を切ってから再び続ける。


 「今でも吸ってる。人前で吸わなくなっただけだ」


 「どういう意味だよ?」


 「煙草吸う度に泣くようになった」


「死んでから?」

 

 「ああ」


 その声音には苦渋が滲んでいる。


 夢の中で見た芙蓉さんは、ショートホープ咥えて涙を流してとても悲しげで。その正体がこの目の前に立つ男だって分かってる。

 だけど、実際泣きながら煙草を吸う姿を誰にも見られたくなくて、一人でひっそりと吸っているんだろうと思う。突然この世を去ってしまった恋人を想いながら。


 つーか、こいつ。死んでる自覚あるのかよ。

 

 てっきり生きていると思い込んで、芙蓉さんの近くを彷徨うろついているんだと思っていたけど。そうじゃなかった。


 「なんで俺の夢にわざわざ出て来たんだ?」


 「変な男だったら近寄らせる訳にはいかない」


 「変な男!?」


 「お前、芙蓉のこと好きなんだろ?」


 「そ、それは……」


 「墓参りの日に芙蓉と話してた時、鼻の下伸びてたぞ?」


 「えっ!?」


 ーー鼻の下伸びてたねぇ?ーー


 なんであいつと同じこと言うんだよ!

 そんなに俺、みっともない顔してたのか?

 俺が頭を抱えそうになっていると、


 「お前が変な奴じゃないのは分かった。それだけが気掛かりだったんだ。俺が、もうどうしたってあいつの傍にはいられない」


 そう呟いて、一条夏衣は自分の両の手の平に視線を落とした。続けて、


 「もう芙蓉の泣く顔は見たくないんだ。俺のことは見えない、声だって……」


 項垂うなだれたまま覇気のない声でそう言った。


 「確かに」


 俺が口を開くと、一条夏衣は顔をあげた。


 「確かに、俺は芙蓉さんのこと前から好きだった。でも、バイト先の先輩から彼氏がいるって聞いてたから告白なんて出来なかった。そのままずるずる引きずって、今も気持ちは変わってない」


 俺は睨むように見ながら、


 「芙蓉さんは今でもあんたのことを考えてる。ずっとあんたのことだけ見てるんだよ!」


 暑い。うるさい。日差しが照りつけて汗が伝うし、周りで蝉がひっきりなしに鳴いてる。

 でも、目の前の男はそんなこと気にした風もない。

 また黙って俺を見据える。汗一つかかない涼しい顔で。


 「どうされましたか?」


 突然声をかけられて驚いて振り返る。

 背後には俺の父親よりも年上と思われる坊さんが不思議そうにこちらを見ていた。


 「あっ、いや。その、お墓参りを……」


 「ああ、そうでしたか。なにやら声が聞こえたものですから」


 「す、すみません。お参りしてすぐ帰りますので」


 坊さんに軽く頭を下げて、そそくさとその場を離れる。

 離れる際にちらっと後ろを見ると、既に一条夏衣の姿は消えていた。


 ⬛


 二日後、夕飯を済ませた俺はリビングでテレビ中継されていた花火大会の様子を眺めていた。

 父親は缶ビールを飲みながら、母親は買って来たスイカを切っているところだった。

 妹は友達と遊びに出かけている。

 ぼんやりと打ち上がる花火を画面越しに眺めていると、いきなりスマホが鳴った。

 俺は慌ててテーブルの上に乗せていたスマホを手に取って、電話の差出人を確認する。

 

 (芙蓉さん……?)


 そのままリビングを出て階段を上りながら、電話に出た。

 

 「はい」


 「急にごめんね。今、電話大丈夫?」


 「大丈夫ですよ。テレビ見てただけなので。どうしたんですか?」

 

 俺はそう返しながら、自分の部屋に入る。


 「夢を見たの、この前卓海くんと行ったあのお寺の墓地に。昼間なのに私以外誰もいなくて。歩いていると、突然私の恋人が現れたの」


 「一条さんが?」


 「ええ」


 「一条さん、何か言ってました?」


 「


 俺は項垂れる一条夏衣の姿を思い出す。あの時、もう芙蓉さんの泣く顔を見たくないと言っていた。


 「最後に


 俺は目を見開いた。

 芙蓉さんにかなり執着しているように見えたのに。最後に別れを告げに来たのか。

 少しの沈黙の後、俺は口を開いた。


 「一条さんはきっと、いつも傍で芙蓉さんのこと見守ってくれていたんだと思いますよ」


 「ええ」


 そう答える彼女の声は涙声だ。

 俺は窓から見える星空を見上げながら言った。


 「芙蓉さん、今度一緒に花火見に行きませんか? 気持ちが落ち着いてからでいいので」


 「花火……」


 「さっきテレビの中継で花火大会の様子を放送してたんです。とても綺麗だったので、一度芙蓉さんと一緒に行きたくて」

 

 少しの沈黙が流れた後、


 「ええ。行きましょう」


 スマホ越しから先ほどよりも少し明るい声が聞こえてきた。


             (了)

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