黒アゲハの埋葬

山田あとり

小学生の頃でした


 公園に遊びに行っていたのです。まだ幼稚園児の弟と二人でした。

 季節は覚えていません。蝶の飛ぶころですから、冬ではなかったのでしょう。だけどカサカサと乾いた日でした。

 何をして遊んでいたかも定かではありません。弟と私が一緒にしたいことなど、何かありましたのか。おおかたブランコやすべり台でもしていたのでしょうね。手ぶらだったことははっきり記憶しています。


 帰り道です。

 公園を出て、家の方へと四つ角を渡った私たちは、歩道に落ちている黒いものに気づきました。

 蝶でした。大きな、アゲハ蝶。

 黒いレース細工のようなそれが黒アゲハというのだと、小学生の私は知っていました。ゆらりふわりと飛ぶ姿をよく見かけます。

 ですがその黒アゲハは、もうボロボロでした。

 羽は擦り切れ、穴が開きかけ、小さな蟻がいっぱいたかっていました。ひと目で死んでいるとわかりました。

 でも、いつ死んだのでしょう。

 私と弟が公園に向かう時、こんな蝶はいませんでした。同じ道を帰っているのに。

 それとも蟻が運んできたのでしょうか。ここは駐車場の入り口です。蟻の巣がそのどこかにあるのかもしれません。

 舗装もされていない、トラックだらけの駐車場。砂埃が歩道までこぼれ出て、黒アゲハの鱗粉を汚していました。


「……埋めよう」


 私は言いました。死んだものは埋葬するべきだと考えたからです。

 蟻が食糧として持ち去るならそれでいい。そうは思えませんでした。黒アゲハはいたましい姿でなお、美しく見えました。

 ですが私はその黒アゲハに触れることができませんでした。怖かったのです。だって死体ですから。

 これで砂遊びでもしていたのならスコップがあったのでしょうが、あいにく手ぶらです。


「持って」


 私が言うと、弟は黙ってそうっと黒アゲハを小さな手のひらに乗せました。蟻が何匹も集ったままでした。

 私たちは公園に戻り、落ちていた小枝で木の下に穴を掘ります。浅い穴に黒アゲハと、まとわりつく蟻も一緒に埋めました。


「帰ろ」


 私は弟をうながして公園を出ました。

 車に気をつけながら四つ角を渡り、先ほどの歩道。


 また、黒アゲハが死んでいました。


 埃っぽいアスファルトに落ちている黒い蝶の死骸。

 集る蟻たちまでそっくりそのままです。


「――埋めたよね?」


 私がつぶやいても弟は無言でした。

 そういえばさっきから何も言いません。蝶を見つけてから、ひと言も。


「もう一度」


 私の言葉に、弟はまた黒アゲハを手のひらに乗せます。私たちは何も言わずに公園のすみに戻り、同じ場所を掘り返しました。

 さっき埋葬した黒アゲハは、いませんでした。

 蟻が動いていましたが、私たちが埋めたものなのか元々いたものなのかはわかりません。そこに弟は再び黒い蝶を置き、土をかぶせました。

 私ももう何も言いません。黙々と公園を出た私と弟は、三度みたび四つ角を渡ります。

 渡りながら、私は先の歩道に目をやりました。

 ――何も、死んでいませんでした。



 あの黒アゲハは何だったのか。私はどうすればよかったのか。ずっと、ずっと考えています。

 弟はこの事を覚えているでしょうか。何故あの子は黙々と蝶を運んだのでしょうか。でも尋ねたら「そんなことあったっけ」と言われそうな気もするのです。

 もしかしてこれは、私だけの記憶なのかもしれませんから。


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黒アゲハの埋葬 山田あとり @yamadatori

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