ブタの心臓

刻露清秀

【第38回】命のアンサー文学連盟作文コンクール 小学校高学年の部 最優秀作品

 ブタの心臓しんぞう

        東京都・あおば学園小学校 5年 青山ショウト


 ぼくはブタ肉を食べない。


 ぼくは小さいころから心臓に問題があった。心臓にあなが開いていて、血液がうまく流れない。だから、ふつうに歩いているだけでも息切れしたり、つかれやすかったりした。


 体育の授業中、たおれたことがあった。ぼくは体育の授業を見学していることが多かった。病気でと言うと、かわいそうに思ってくれる人が多かったけど、いつまでたってもふつうの子どもと同じように動けないぼくは、あつかいづらい生徒だったのだと思う。


「新しい心臓を移植いしょくできれば、なおる病気だよ」


 父にそう言われた。父はぼくの記おくがない頃から、ぼくが移植手術しゅじゅつを受けられるように、情報とお金を集めてくれていた。父は会社員だけど、ぼくが心臓に問題をもって生まれたときから、たくさん勉強をして、病気にくわしくなっていた。


 五年生になってすぐ、主治医しゅじいの先生から


「手術ができるようになった」


 と言われた。ブタからの心臓移植だと聞いた。


 手術するかどうか決める前に、ブタを見せてもらった。実験用マウスのような真っ白な実験室でかわれているのかと思ったら、もっと広いガラス張りの部屋にいた。においはイヤだったけれど、防護服を着たぼくの長ぐつをかじってくるブタは、かわいくてかしこい動物に見えた。


「ぼくが手術しなかったら、このブタはどのくらい生きるんですか?」


 実験場の男の人にたずねると


「べつの子の心臓になるだけだよ。そのためのブタだからね。肉にするために育てるのと、いっしょだよ」


 それだけだとぼくがかわいそうだと思ったのか、その人は


「でもこのブタは幸せなブタだよ。こんな広い場所で飼ってもらえて、病気にもならず、心臓は君の中で生きつづける。君は生きていくことができる」


 と言った。そんな使命をせおってまで、生きていていいのか、ぼくはわからなかった。でも家族は、ぼくに生きていてほしいのだという。だから手術を受けることにした。


 手術は成功した。新しい心臓での生活が始まった。はじめは体がなじむのに時間がかかったけど、ぼくのこれまでの生活ではなく、小学生らしい生活が、少しずつできるようになっていった。


 これまでたびたび休んでいて、友だちのいなかったぼくにも、友だちができた。一緒にゲームをしたり、放課後により道をしたり、友達と遊ぶうちにぼくは新しい生活になれていった。


 新しい心臓ではじめての体育の授業。全力で走ることができたとき、ぼくは本当にうれしかった。友達と笑い合って、走って、そんな生活が、ぼくにも送れることがうれしかった。


 ある日、学校の給食でブタ肉のいため物が出た。僕はその皿を見つめ、はしをのばすことができなかった。


「肉にするために育てるのと一緒だよ」


 実験場の人の言葉を思い出した。でも、ぼくの心臓はブタのものだった。心臓移植を受けて、ブタの心臓が自分の体の一部になった今、ぼくはブタを食べていいのだろうか。ブタのおかげで生きているぼくが、ブタを食べていいのだろうか。


「どうしたの?」


 となりにすわっていた友だちが心配そうに聞いてきた。


「いや、なんでもないよ」


 ぼくは笑顔を作って答えたが、はしはまだ動かせなかった。


 様子がおかしかったので、ぼくは結局クラスメイトたちに、自分の受けた手術について説明した。仲の良い友達は真けんに聞いてくれたけれど、クラスメイトの一人がこう言った。


「心臓には記憶が残るんだよ、だからショウトは心がブタになっちゃったんだ」


 教室が少しの間しずまり返った後、笑い声が上がった。僕は顔が赤くなるのを感じながら、無言で席を立った。


 手術を受ける前に、主治医の先生に説明された。偏見や差別はなくならない。それでもぼくは手術を受けることに決めた。ぼくの心臓になったブタのためにも、ぼくは生きていかなくちゃいけない。


 でも、ぼくの心がブタであるというジョークは、クラスで大流行した。ろうかで他のクラスの子に指をさして笑われたこともある。授業を受けるのも辛くて、ぼくは学校を休んでしまった。


 ぼくがしばらく学校を休みたいと言っても、父も母も反対しなかった。三年生の妹が、例のジョークを流行はやらせたクラスメイトをとっちめると息巻いていたけれど、それはやめてもらった。学校を休んでいる間、プリントをとどけてくれる友達もいた。ぼくには味方がいた。


 担任の先生と相談して、ぼくは運動会の練習期間に、学校に戻ることを決意した。先生には、ぼくを交えた学級会みたいなことはぜったいにしないことを約束してもらった。ぼくはぼくの言葉で、例のジョークに立ち向かわなくちゃいけないと思ったからだ。


 運動会の練習を通じて、クラスメイトのことがわかるようになった。ぼくのことをからかったのは良くないことだけど、リレーでがんばっているところや、下級生の面倒を見ている彼らを見て、偏見だけがその人の全てではないことがわかった。


「青山くん、心臓のことからかってごめんなさい」


 運動会が終わった後、ぼくのことをからかっていたクラスメイトたちが、あやまってくれた。たぶん担任の先生の作戦だけれど、ぼくはそれにのっかって、彼らをゆるすことにした。


 ぼくの心臓はブタのものだった。心がブタになったというのは、全部まちがっているわけではない。だけど、みんなが肉を食べて命をつないでいるように、ぼくはブタに心臓をもらって生きているだけのことを、からかわれたのは悲しかった。


 ぼくは今も、ブタ肉を食べない。ブタ肉を食べる人のことを否定したいわけじゃなくて、これはぼくなりの『ありがとう』の形だ。ぼくに心臓をくれたブタが、本当に幸せなブタだったのかは、これからどうぼくが生きるのかで決まるのだと思う。


 心臓にもし記憶が残るのなら、ぼくの心臓が動きを止めた時に、残った記憶はだれのものだろう。長ぐつをかじった記憶と同じくらい、楽しい記憶がたくさん残っていたらいいな。

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ブタの心臓 刻露清秀 @kokuro-seisyu

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