第8話 8月9日

徒労感にうんざりした。

エリア3は異常気象から人類を保護するため、気象工学による人為的な気候調整により厚い雲に覆われていた。これは地球の温度を一定に保つためであるといわれているが本当のところはわからない。

ただ、この雲によって日中は憂鬱な灰色であり、夜は星もない抑圧的な闇を生み出していた。


夜の退屈な町並みを眺めていた。ロジョーは相変わらず戻ってこなかった。私は未だに自動小銃を握り防衛線の哨戒業務に従事していた。


「こいつは使えないクズだ。」同僚の不眠者に自動小銃の扱いでやっかまれた日、私は以前ロジョーと寝た後の会話をふと思い出した。

「ねぇ、なまえとかないの?」

それまで「おまえ」や「おい」「こいつ」としか呼ばれていなかったので、名乗る名がなかった。

「なまえをつけてやろう。」

ロジョーの口角がいたずらっぽく上がった。整った顔立ちに人間味が沸いた。

「ニコリ。」

「ニコリ?」

「うん。おまえのなまえ。笑ったらかわいいから。」

当然笑った記憶などなかった。ロジョーがいないところでも、私は笑うことなどない。無表情を装うというよりもなにも感じないのである。

「ニコリ?」

ロジョーが私の顔を覗き込むようにしてしゃがみこんだ。

「だいすきだよ」


そんな言葉がまやかしであることはよくわかっていた。

ロジョーがほしいのは以前私が気前よくくれてやったハノンなのである。

それをかみ砕き、夢現のまどろみを噛み締めるのだ。私はあくまでその手段であり、ロジョーの言葉もそのための手段なのである。



それでも私はロジョーを抱き寄せて涙をながしていた。そのすべてが他の誰でもない私自身、驚くべき反応だった。



ロジョーのいない部屋で世界から息を潜めるように目を閉じた。


ニコリ、だいすきだよ。


あの言葉をなんども耳に溶かしながら。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る