第46話 十鶴館は時を超えて
「もういいんじゃないでしょうか」
地天馬探偵が言った。急に下手に出て来たように感じられた。
「事件発生当時、僕がその場に居合わせていたのなら絶対に真相に辿り着いていました。それどころか、途中で犯行を食い止めてみせたでしょう。それくらい自信があります。実光さん、あなたは運に恵まれただけです」
「よく承知しているわ。あなたの推理を聞いていると、ちょっと前まで持っていた自信が消し飛んだもの」
「では認めてください。実光さんが真実を語ることで、藤峰男君は何を考えていたのかも、分かるかもしれない」
「藤君の考え?」
「電話ですよ。専門の機械、それも恐らくは違法の物を、あなたにも言わずに持ち込み、館の電話を使えなくし、自分だけは電話できるようにしていた。客観的に見て尋常な行動ではありません。他に疑うべき証拠らしい証拠はないけれども、彼が邪なことを目論んでいた可能性は詳しく検討すべきだと、僕は思うんです」
ふふ。もしも、藤峰男が私達推理研部員の皆殺しを計画していたのだとしたら、私はみんなの命を救ったことにもなるのかしら。
警察があの子の自宅等を捜索して、犯罪を計画していたと窺わせるものは何も出て来なかったと聞いたけれども、そんなもの、たとえ存在していたとしても残すはずがない。合宿でのサプライズについて、メモの類は一切残さないようにと示唆したのは、外ならぬ私だ。ほんとに犯罪を計画していたのなら、その痕跡はすべて消し去った上で、館にやって来たに違いない。
私がそんなことを考えていると、探偵は話を続けた。
「僕はこう見えて――もしくは見た目通りかもしれませんが――、口が達者なつもりです。先ほどお話しした心理的な証拠だけで、知り合いの刑事を納得させられる。藤峰男君が裏の計画を立てていたかどうかだって、再調査に持ち込んでみせますよ。
そもそも、実光さんがしたことに関しては物証が残っている可能性、ゼロではないと、僕は睨んでいます。
あなたが拾ったメッセージの書かれた紙、どうされました? 恐らくはすべてが終わった時点で、こっそり燃やすつもりだったと思いますが、松田さん達が船に乗ってやって来たのは予想外の成り行きだったはず。それ以降、警察が呼ばれたあとは身体検査を受ける公算が大。館に警察が来るまでに、他の人の目を盗んで密かに燃やす機会があったかどうか。燃やせなかったとしたらどうしたか。館の中、あてがわれた部屋のどこかに押し込んだのでは? 慌てていたから指紋を消すのを忘れていた可能性は? 十鶴館は今も健在なのはご存知でしょう。警察が改めて調べれば、出て来るかもしれない」
「……何を言っても、今さら、よ」
「ええ、その通り、今さらです。僕は遅すぎた。そこは非常に悔やまれます。そして逆に問いたい。実光さん、あなたは何を恐れているのですか」
恐れている……確かに、法律を額面通りに受け取れば、恐れることは何もない。
十鶴館でのあの事件から、今年で二十一年。刑事時効は十五年目の二〇〇二年に成立した。民事上の賠償責任も負うことはないはず。殺人については、時効成立したあとになって法律が変わり、二十五年に延びたけれども過去に遡って効力を発揮するものではなく、影響はなかった。
「あなたが事件後、どれほど外国旅行をしてきたのか知りませんが、上岡さんから伺った限りでは、数えるほどしか行っていないはず」
「ずーっとつきまとってた訳やないから知らんで。今日会うのかて十何年かそこらかぶりや」
探偵と上岡君は、細かなことにまで言及した。笑うような場面じゃないのに、ほんのちょっとだけおかしくなった。
「先月、また新たな事件が十鶴館で起こりましたが、ご存知ですね?」
もちろん知っている。気にしていなくても、十鶴館の名前を見聞きすると、どうしても意識が向くもの。
「現時点で解決を見ておらず、警察が調べを進めています。それこそ、館の隅から隅まで、なめるように、もしかすると一部解体を始めかねない勢いだ。何故か? 元々、十鶴館は娘の復讐を果たすためにH夫妻が建てたもので、色々な仕掛けが施されているという噂が根強く流布されています。今度の事件はいわゆる不可能犯罪という代物で、捜査上の秘密故詳細は申し上げられませんが、館の仕掛けが犯行に用いられたのではないかとの見方が浮上した。そのため、館を事細かに調べている。
もしも実光さんが、メッセージの書かれた紙をどこかに押し込んだのなら、見付かる可能性がある。紙に付いた指紋は、よほど状態が悪くない限り長く残る。
どうでしょう? 時効が成立しているとは言え、あなたは注目の的になる。見付かる前に、認めませんか」
心が傾きつつある。私は長い沈黙のあと、上岡君の顔をちらりと一瞥し、また探偵に視線を合わせた。
「……一つだけ、聞いていいかしら。それとお願いが一つあるのだけれど」
「何でしょう?」
「新幹線の中で、上岡君達の会話に注意が向いたとのことだったけれども、もし仮に、この八月に新しく十鶴館で殺人が起きていなかったら、地天馬さんは上岡君達の会話に関心を持ったのかな?と思って」
「うーん、多分、持たなかった可能性が高いでしょうね」
「僕も、事件が起きてなかったら、わざわざ思い出して話題にはしてへんかったと思うわ」
探偵に続き、上岡君まで私に追い打ちを掛ける。今度こそ、はっきり苦笑してしまった。私にとっての最大の不運は、十鶴館で新しく事件が起きたこと……。
「願いとは何です?」
「警察に行く前に、お墓参りを。何人もの人に会わなくてはいけないから、時間が掛かるでしょうけど」
特に、中谷さんには。私が力沢の最初のメッセージを隠したがために、彼女は襲われたようなものだもの。
「ええことや」
上岡君が言った。彼の関西弁は今でも優しく聞こえる。
「僕もついていってええか」
許しを得なければならないのは、私の方でしょうに。分かっていたけれども、敢えて私から言った。
「こちらからお願いするわ」
※念のための注釈
『占星術殺人事件』(島田荘司 講談社文庫)刊行 一九八七年七月
『十角館の殺人』(綾辻行人 講談社ノベルス)刊行 一九八七年九月
上記事実により、本作で描かれたB大学推理研の夏合宿は、一九八七年の出来事であると定まります。
他にもあれこれと枠外を使ってでも説明すべき事柄(「あれ? どこに『十角館の殺人』のトリックを用いたの?」等)がありますが、ネタばらしになりますし、しばらく間を置くことにして、ひとまずここで〆とします。
ご通読、ありがとうございました。
テン・リトル・ミステリマニア 小石原淳 @koIshiara-Jun
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