オーバーホーム

白神天稀

オーバーホーム

 サンディエゴの家に帰る途中、俺はヒッチハイカーの坊主を拾った。



「それにしても坊主、アリゾナからサンディエゴまでって随分とまあ遠い旅だな」


「うん。だからトラックのおじさんに乗せてもらったんだ」


「ハッハ! 頭の回るガキだ。父ちゃんにでも教わったか」



 砂煙を上げ、トラックは砂漠の州間高速道路を走る。ブリトー片手にドライブするには最高の天気だな。



「俺はジョンソン。坊主は?」


「マーティン。マーティン・マクガフィン」


「マーティン! マクフライじゃねぇのか。惜しいな」


「誰のこと?」


「気にすんな。昔の映画さ」



 ブリトーを平らげたその手に、今度はコークを握って口に流した。



「そんで、どうしてまたヒッチハイクを? パパと喧嘩でもしたか?」


「パパはいないよ」


「おっと、これはデリカシーがなかったな。悪い、聞かなかったことにしてくれ」


「気にしないで。家にいてもお酒飲んでばっかりのママよりマシだよ。いつも遊び相手になってくれないもん」


「おうおう止まらねーなマーティン」


「家に来る人達は美人なママで良いねっていうけど、僕にはよく分かんないや」


「確かにそうだ。子どもにとって親が美男美女かなんてどうでも良い。肝心なのは愛情だからな」


「愛情は嫌い」


「悲しいこと言うなよ。誰だって親からは愛されたいもんだ」


「違うんだ。ママが好きなお酒の名前が愛情なんだ」


「その年でそれだけ皮肉が言えるなら十分だ。コメディアンでも目指しな、ツアーにはこのトラックで連れてくぜ」



 マーティンの母親は中々のもんらしい。この俺に冗談を躊躇わせるほどの女なんて早々いるもんじゃない。



「だが坊主のママにはビックリだな。トラック仲間でしょっちゅう夜遊びしてるやつがいるんだが、そこまで酷けりゃその同僚から話が回ってきても不思議じゃないな」


「もしかしたら聞いたことあったりして」


「かもな。ママの名前は何て言うんだ?」


「ママの名前はハンナ」


「ハンナ……ハンナ、マグガフィン…………か。そうか、素敵だと思うぜ俺は! 少し気性が荒くてワガママそうな名前だってこと以外はな」


「急にどうしたの?」


「いやぁすまない、お前のお母さんを悪く言うつもりは……実は、俺の昔の女が、同じ名前でよ。なんとなくこう、抵抗があるっていうか、なんていうか……」


「ママはハンナ・マクガフィン。好きな食べ物はアンチョビピザ。待ち時間とマーマレードが嫌いで、肩に入れたタトゥーはジェイソンステ……」


「ホントにあのハンナか!?」


「ミドルネームはスージー」


「それは知らん!!」



 あまりに驚き過ぎてトラックの車体ごと揺れた。

 もしかしたらデカめの動物を轢いたかもしれないが、今はそんなことどうでも良い。



「オイオイ冗談じゃねーぜ全く。マーティンおまえ、あのハンナの息子なのか?」


「そうだよ」


「何の巡り合わせだこれはよ。なあ運命の女神様聞こえてっか? ラジオ聴いてていい加減な仕事してるんじゃないだろうなあ」


「Xの投稿でも見てたのかもよ」


「いーやないな。見てたとしてもインスタに違いない。神様ってのはインスタグラマーだってノアも言ってた。それとアレはXじゃなくてTwitterだ。俺はまだ認めてないぞ」



 いや、今はジョークを言ってる場合じゃない。元カノの息子を拾ったこの状況を整理しないといけねえ。



「昔から遊び呆けてる女だとは思ってたが、まあ息子ぐらいはいるか。そろそろ落ち着いた頃だろ――」


「ママは毎晩遊んでるよ、朝まで。けど近所のクラブは全部出禁」


「アイツまだあのまんまかよ!」


「家だとお酒飲むか男の人達と遊んでるよ」


「なにやってんだハンナは。よりにもよって、まだこんな小さい息子がいるってのに……なあ、お前のパパはどうしてる?」


「サンディエゴにいる。生まれてから一度も会ったことないんだ」


「よし決まりだ、一発ぶん殴った方が良いな。なんて名前の野郎だ? お前の代わりに俺が重いの親父にブチ込んでやる!」


「パパの名前はリヒター」



 俺の右頬に強烈なストレートが決まった。



「……今なんて?」


「苗字は知らないんだ。ママから聞いたのは名前だけ」


「……マジかよ」


「おじさん?」


「オイオイオイうそだろ」


「え、パパ?」


「一回止めてくれマーティンその先は――」


「もしかしておじさん、リヒター・ジョンソン?」


「言っちまったぜチキショウ! そうだよ俺がリヒター・ジョンソン、なんてことのないアンティークショップの息子だ!」


「本当にパパなんだね!」


「待て待て待て、一度待ってくれ……マーティン、お前の歳はいくつだ?」


「八歳。来月で九歳になるよ」


「何回驚かせれば気が済むんだ。どうなってんだよ今日は!」



 一度冷静になろう。そうだ、深呼吸だ。息を吸い込んで……あ、ゲップ出た。

 まあ良い、呼吸はやめよう。何かの間違いかもしれない。ちゃんと確認をしようじゃないか。



「すまないマーティン。申し訳ないが、それは有り得ない。俺が? 父親? まさか。だって俺は彼女と何も……」


「でもママがリヒターが父親だって……」


「ない! 俺は、その……はずだ。俺はいつだって責任感ある男だ。トラックの荷物も時間までに傷一つなく届ける責任漢さ。当然あの日も、間違いなく着けてた」


「ママはティッシュを使ったんだって」


「クソ〇ッチやりやがったな!!」


「ビッ〇ってどういう意味?」


「子どもは知らなくていい! それよりなんでハンナはわざわざそんなことを」


「ママ、借金あったからパパのティッシュが必要だったんだって」


「どうかしてやがる! 俺のを使って何がしたかったんだ!?」


「借金肩代わり。返済が間に合わなくて逃げたんだって」


「クソったれ、なんて女と付き合ってたんだ俺は……ああすまないマーティン、あんなでも一応お前の母親だよな。ところで、ママは今どうしてる?」


「オジサンたちのところいるよ」


「オジサンたち?」


「そ、お金借りてたスーツのおじさんたち」


「Oh……」


「なんかママ、泡のお風呂に沈むんだって」


「それは、その、複雑だな……まあある意味穏便、いや、あの傍若無人を考えたら最善かも――」


「あれ、泡のお風呂じゃなかったかも。メキシコ湾?」


「OKだマーティン、それ以上は言わなくて良い。今だけはメキシコ湾もカリブ海も忘れときな」



 今後一生、少なくとも二年程度はあっちの海に行く事はないだろう。

 ハンナがフライング・ダッチマンに乗ってた時が恐ろしいからな。



「その、オジサンたちは何か言ってたか? たとえば、そうだな……俺の居場所を教えろとか、残りの金を肩代わりしろ、とか」


「オジサンは僕に『父ちゃんのとこ行きな。別れた旦那とガキにまで手にかける趣味はない』って言われた。だから前にママから聞いたことを思い出して来たんだ」


「なら良いな、ソイツは最高なヤツだ。きっと顔も良い事だろう……まさかソイツが、スキンヘッドの男前だったり?」


「髪はあるけど男前」


「そうかなるほ――」


「でも片目はなかった」


「そ、そうか……」



 お調子者ってのはこういう時に弱いよな。空気が重くなると馬力が上がらねえ。



「……息子、か」


「実感無いね」


「お前が言うか」



 俺はサンディエゴと書いてあった看板を見送って、そのまま高速を走った。



「あれ? そこの出口下りないの? サンディエゴ行くならあっち……」


「家には帰らない。このままサービスエリアでお前を降ろす」


「待ってよ、僕ここからじゃ帰れないんだ。帰るとこも……」


「ここから先はしばらくトイレが行けないからな。トラックが牧場臭くなるのは御免だぜ」


「それって?」


「今からカリフォルニアの北に向かう」


「どうして?」



 俺はアクセルを踏み込んだ。



「パパとディズニーランド行くからに決まってるだろ! カリフォルニアへ急ぐぞマーティン!!」


「Foooooooooooooo!!」


「Fooooooooooooooooooooo! 息子とディズニーだぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」



 トラックは法定速度を無視して北に向かった。

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