せーのっ

 宿に着いてから大浴場へ赴いて、さっぱりとしたところで部屋へ戻る。流樺は疲れていたようで、宿の部屋でゴロゴロしていたからその隙にさっさと体を清めてきてしまった。好きな人が同性だからこそ、下手な事は出来ない。着替えが終わると丁度入れ替わりで流樺が大浴場へ入ってきた。疲れているだろうし、ゆっくりして欲しい。


 部屋へ戻って、歯を磨き、明日の身支度を軽く整える。と言っても、あまり荷物を広げないで纏めてくくらいしかやることは無いけれど。支度を済ませて、布団に寝っ転がっていると、流樺がお風呂から戻ってきた。


「はぅ~気持ち良かった! あ、でもなんで先入っちゃったの!」

「ごめんごめん。直ぐさっぱりしたかったからさ」


 嘘はいていない。それ以上に大きな理由を話していないだけで。


「むー嘘は無しだよ?」

「嘘じゃないよ。針千本はりせんぼん吞んでも良い」

「ほんと? せっかく二人で旅行来れたんだし、これからは隠し事無しね!」

「うん、良いよ」


 一個を除いてなら。


「それじゃあ、明日も早いし寝る?」

「うーん、そうだね。そうしようかな」


 二人で布団に入る。夏ということもあってか、布団はかなり薄手で被ってもあまり暑さを感じることはない。

 と、布団に入ったところで気が付く。部屋の電気をまだ消していなかった。


「電気消さなきゃ」

「僕が消しとくよ~」

「あ、ごめん」


 電気のスイッチはこちらの方が近いというのに態々わざわざ流樺に歩かせてしまった。少し負い目を感じるけれど、どうしようにもないから流樺が電気を消したのを視認して目を閉じる。明日も早いから、朝弱い自分は早めに寝とかないとね。


「あぅっ」

「んぐっ!?」


 布団の上から衝撃と重みが腹部に圧し掛かる。完全に気を抜いていたせいで、変な声が出てしまった。どうやら流樺が暗くなったばかりの部屋に目が慣れず、自分に躓いてしまったみたい。やっぱり自分が電気を消すべきだったな……


「ご、ごめんっ!」

「ぁ、う、ゲホッ……うん。全然大丈夫だよ」

「す、すぐ退くから!」


 布団を挟んで自分に乗っかっていた流樺は、体勢を立て直した後に布団に入りに行く。正直申し訳ないのは電気を消さなかった自分の方だ。


「ご、ごめんね? 痛くなかった?」

「全然。心配してくれてありがとね」

「ほ、ほんと? 隠し事無しだよ?」

「ほんとだって」


 実際流樺は体重も軽いしそこまで負担がかかった訳では無い。突発的だったからお腹の空気が吐き出されただけだ。ただその気遣いをしてくれるだけありがたい。


 そんなことを思っていたら布団の間から手が入ってきた。なにか、腕を引っ張られたので抵抗せずに預ける。どうしたのか


「手のマッサージ、せめてもの償いだよ」

「えぇそんな。いいのに」

「嫌?」

「嫌じゃないけど」

「ならいいでしょ。蒼佑の手あったかいね」


 身長に見合った大きさの両手で自分の右手を揉んでくれている。気持ちは良いけれど、それ以上にこんなことをしてくれること自体が嬉しい。湯冷めかなにか分からないけれど、流樺のてのひらは少しひんやりとしている。


「気持ちい?」

「うん、ありがとね。流樺にもやろうか?」

「ありがと、でもそしたら蒼佑が眠れなくなっちゃうでしょ?」

「それは流樺もじゃん」

「あは、確かに」


 そう言いながら、右手にかかる圧力は未だ途絶えず変わらない。別に気にしていないしそこまでしてくれなくていいのに。


「はい、おしまい。流樺も寝なさい」

「あ、でも」

「明日も早いよ?」

「うう、分かった」


 動き続ける手を握って強制的に制止する。お返しに揉んであげようとするけれど、

同じように止められてしまった。止められてしまったのなら仕方ないと、右手を戻そうとする。


「……ん?」


 戻そうとしても、今の位置から動かない。流樺の手をマッサージしようとして制止されたまま、離す気配が無い。


「どうしたの?」

「あ、えと。温かいから……もうちょっといい?」

「いいよ」


 いいよ、と言ったけれど自分の心臓が鼓動が普段よりも早くなっていることが分かる。当たり前だ、こんな状況でドキドキしない方がおかしい。


「どう? 温かくなった?」

「もうちょっと」

「ん」


 今の声で分かったけれど、多分離す気は無い。学校でもこの声のトーンの時は満足するまで他のことはしない。


「……」


 ドキドキしてるのは自分だけなんだろうか、そう思うと少しずつ気持ちが落ち着いてくる。正直、流樺の手はもうひんやりしてなく、自分と同じくらいの温度になっている。けれど、やっぱり右手が動く気配は無いから諦めて寝る体勢に入る。


 何時しか握られている右手もその感覚慣れてきて、まるで元からそうだったかのような軽い錯覚に陥る。初めての自分達だけで考えた旅行という事もあって、疲れも溜まっているのか気になってしまわなければ眠ることは容易い。


 翌朝、目覚めたら空いていた自分の左手も握られた手に添えられていたことは墓場まで持っていく秘密となった。




 今日は有名な湖沼こしょうへ行って散歩する。二人とも、ハードスケジュールは苦手だからこれくらいが丁度良いんだ。


「ね、見てっ! ボート貸出だって!」

「やってみる?」

「やろやろ~!」


 本来の予定としてはいくつかある湖沼の周りをハイキングみたいに回っていくつもりだったんだけど、せっかくならという事でボートもやってみることにした。


 貸出ボートに乗り込んで、湖沼を自由に動き回る。自由にと言ってもパドルの操作に慣れていないせいで思った通りの方向に行かないことが多いけれど。それでも楽しい時間であることに間違いは無い。


「凄い綺麗だねぇ~」

「水に反射した森の風景好きかも。長閑のどかで凄く良い」

「え、分かる! ここ鏡みたいに綺麗に映ってるよね!」


 そうやって水面みなもに注目していると、水面下に何かが見える。水質が澄んでいる為にはっきりと視認できる。鯉だ、それも錦鯉にしきごい。それにしても、白を基調としている体にはどうにも赤色が少ないように見える。


「ね、この鯉さ。なんかハートマークみたいじゃない?」

「え? どこどこ」


 よく見てみれば、お腹の方にある赤い斑点の形がハートに似ている。これは面白いものが見れた。


 その後無事にボートも返却して、もともと目的にしていたハイキングの続きをした。交わされる会話の数々に重要な意味なんてないけれど、その会話の一つ一つが自分にとっては重要なものだった。


 こんな時間も、そろそろ終了となる。




 お土産も買って、もう帰る時間になってしまった。この二日間で幸せのメーターならとうに振り切れている。でもだからこそ、残ったこの時間を大切にしたい。


「駅弁だって!」

「これどう? 美味しそうじゃない?」

「え、好き! これにする!」


 駅弁も買って、新幹線の空いている自由席に乗り込む。お盆休み明けから一日ズレたのもあってか意外にも人は少ない。空席が二つ並んであって良かった。


「楽しかったね~!」

「すっごい楽しかった」


 楽しい気持ちもそうだけれど、それ以上に幸せな時間だった。本当に旅行に誘えて良かったと思う。来年も来れるかな、どうかな。


 定刻どおりに列車は発車して、この地にさよならを告げる。もう少し滞在したい気持ちもあったけど、公共機関は優秀で揺らぐ気持ちを断つように高い速度で眼に映る景色を変えてゆく。


「お弁当食べよ~!」

「うん、いただきます」


 ついさっき買った焼き鳥を主としたの駅弁を開けて、口に運ぶ。流石に美味しい。隣で同じ弁当を食べる流樺も満足そうだ。

 そして弁当を早々に食べ終えた流樺はスマートフォンを弄り始めた。視線を横に飛ばすとどうやら写真フォルダを確認しているらしい。


「んね、食べ終わったら僕にも写真ちょうだい? 僕も今送ったから!」

「んん、了解」


 それからしばらくして弁当を食べ終わり、自分もスマートフォンを開いて写真を流樺に送ろうとする。しかし流樺からの写真も届いていない上、上手く写真が送られない。どうやら回線不良みたい。後でにしよう。


 今、流樺はもう眠ってこちらの肩に寄りかかってきている。それをどかすことなく、自分の写真フォルダを見返す。これを見ているとこの二日間の記憶が鮮明に蘇ってくる。どれだけ楽しんでいたのかが自分自身で分かる。




 今日ならなんとなく、気持ちを伝えられそうな気がする。




 車内アナウンスが鳴った。どうやら思っていたよりも長い時間写真を眺めていたらしい。優しめに流樺を起こして、降車の準備を済ませる。


「起こしてくれてありがと~!」

「ううん、気にしないで」

「蒼佑は優しいな~」


 言っても良いかな。


 写真フォルダを見返していて、改めてどれだけ気持ちが大きいかを確認できた。あとはそれを口にすればいいだけの段階まできてる。ほら、青薔薇の件もあるしさ。


「あ、あのさ。流樺……あ、いや」

「ん~どうしたの?」

「いや、違くて。ごめんね、あはは……」


 無理だ。奇跡なんて起きる訳が無い。迷信を信じるなんてできない。


 この関係に罅が入ったら、自分はどうなるのだろう。今までの友人関係が、今まで築き上げてきた蒼佑という人間が、流樺との関係が……全てが壊れて消えてなくなる時に。自分はどうやって生きていけるだろう。


 今でも余裕が無くてこうやって自分の事しか頭に無いような人間が。他人の力もなしに何ができるだろう。占いや運試しに人生をかけることなんて到底自分には出来ない。今のままで幸せだというのに、これ以上何を求めるというのか。


 人生に都合の良い展開は無い、自分自身が作者であり主人公なのだから。小さな閑話が数珠繋ぎのようにあって、特に大きな盛り上がりもオチがあることも無い。無欲な者だけに与えられる平穏を易々と手放すなんて……自分には出来ないよ。


「ね、蒼佑」

「う、うん」

「なんで僕に隠し事するの? 昨日の夜、無しって言ったでしょ?」

「あ、えと、そのっ」


 上手く言葉が出てこない。何とか、喉から捻り出した言葉は一言。


「か、帰ろう」



 だった。



 とても他人様にお見せ出来ないような、仕様もない人生。きっと今日を自分は一生後悔し続けることになる。これは想像でも予想でも無く、只の確信だ。



「待って」

「な、なに?」


 じっと真正面に自分を据えて流樺は悠然と立っている。目線は自分の方が上の筈なのに、今だけはどうしようもなく流樺のその姿が大きく見えた。流樺が言ってた大きい方が安心するって言葉、今だったら分かる。


「僕ね……蒼佑に言いたいことがあるんだ」

「……え?」


 流樺の眼の奥に真剣なものを感じる。普段なら言うのを躊躇うような重大な事を、今ここで伝えようとしていると否応なしに分かってしまう。自分とは対照的なその姿、今の樺はあまりに眩しい存在だった。


「……あのね、実は僕も一つだけ隠し事してた」

「……あ」


 毅然とした態度とは裏腹に、流樺の足は小刻みに震えていた。


 あぁ、流樺は今凄く頑張ってるんだ。昨日の様に支えが無いとまともに立ち続けることすら辛いだろうに、それを隠すかのように上半身は堂々と構えている。


「蒼佑」

「…………」


 本当にこれで良いのか?


 言わせていいのか。自分は逃避していればいいのか。




 そんな訳無いだろ。




 この二日間の思い出がフラッシュバックする。あまりにあっという間に過ぎ去ったのに、とても深く記憶に刻み込まれたかけがえのない時間。


 この旅行に誘ったのも少しの勇気からだった。今のままじゃ嫌だって思ったから、中学の時よりもほんの少しだけ勇気を出して。流樺をこの旅行に誘った。


「僕……」

「待ってっ」


 このまま流樺だけに言わせて良い訳が無い。


 せっかく勇気を振り絞ってくれた流樺には悪いけれど。今日くらい、流樺の前でも自分の我儘を少し出させてほしい。


「ごめん、俺も隠し事してた、から……一緒に、言わせて」

「……うん。いいよ」


 深呼吸をして、今度はしっかりと流樺の眼を捉えた。


 未だにはっきりと胸の中の鼓動を耳が捉えている。怖いけど、ここで言わない方がもっと怖いから。


「「せーのっ────」」



 ルルルルルルル!!!



 タイミング悪く発車ベルの音が鳴り響く。



 大きな音の波が忽ちにホームを包み込む。



 その中でも、何故だろう。














二人には口の動きがシンクロしたお互いの声があまりにも澄んで届いていた。














 グラスからは感情が溢れ出ていく。もう自分の中には溜め込めない。

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淡黄の七本薔薇 さっきーオズマ @sakkiiozuma7

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