第68話

 またしても背中からなにかにぶつかり、息が詰まる。

 真っ暗だ。

 クローゼットの中にいるはずだ。手探りでその辺を調べていたらいきなりドアが開く感触があって、前のめりに倒れた。無事に目覚めたらしい。


 頭の痺れが酷い。

 あれだ、ネネリアの慟哭が原因だ。まだ命の危機は終わっていない。


 魔力不足で吐きそうな体を引きずって、壁を伝いながら店を目指す。なんだかぼんやりしてきた。歩いているのかどうか分からなくなるほどの、強い浮遊感。こみ上げる眠気に、つい欠伸をしてしまう。

 立っていられなくて、ずるずると崩れ落ちた。這いずりながら、店に続く廊下を進む。もうここまで来ると、夢の中に響いたのと同じネネリアの絶叫がはっきりと聞こえた。


 どうにか上体を起こして、店へと通じるドアを開ける。


 私が頼んだとおり、店ではネネリアがぼろぼろと涙を流しながら泣き叫んでいた。床に座り込んで、大泣きしている。


 バンシーの泣き声をこんな間近で聞いたのは初めてだが、めちゃくちゃうるさい。耳を塞いでしまいたくなる気持ちをぐっとこらえて、彼女のもとへと這う。視界が暗くなってきた。間もなく死ぬんだろう。


 朦朧とする意識の中、なんとか手を伸ばしてネネリアの肩に触れる。こんなに近くにいるのに、不思議とネネリアの声が全く聞こえなかった。


「ネネリア、ネネリア! ネネリアもういい! 泣くな! おいネネリア!」


 最後の気力を振り絞って、ネネリアを思い切り突き飛ばす。もう体力の限界だった。そのまま床に倒れる。


 泣き声が途切れた。


 それと同時に、急激に周囲の音が戻ってくる。薄暗くなっていた視界が、ゆっくりと明るくなってきた。


 鼻をぐすぐすいわせながら、ネネリアが真っ赤に腫れた目元を拭う。


「死ねなくても……いいの? あと少し、だよ……?」


 起き上がる力も残っていない私を見ながら、ネネリアはさらりと恐ろしいことを口にした。


「死なせたいのか?」


 問えば、ネネリアは勢いよく首を横に振った。


「助かったよ。ありがとう」


 私の言葉に、ネネリアが不思議そうな顔をした。そりゃあそうだ。バンシーに泣かれて礼を言う者などなかなかいない。

 それにネネリアのあの悪夢は私が全て喰らった。悪夢と紐づいていたレオンの記憶も消えたから、もう彼女は優しい言葉への耐性がない以前の彼女に戻っている。『ありがとう』という言葉は、彼女にとって初めての経験だ。


 暫し目をぱちぱちさせて私を見ていたネネリアが、うっすらと笑みを浮かべる。


「もう……いいの?」

「ああ、もう大丈夫だ」

「……起きれる、の?」

「問題ないよ。このままでいい」

「それじゃ……本当に、さよなら……」


 ネネリアがすっと立ち上がり、店を出ていく。あの激しい雨はとっくに止んだようで、閉じていくドアの向こうには一筋の月光が見えていた。


 からんころんと軽やかに鳴るドアベルの音を耳したら、ほっとした息が出た。寝返りをうち、天井を見上げる。魔力不足の吐き気は相変わらずだし、頭も痺れているが、久しぶりにぐるぐるとした目眩が治まってきた。


 そのまま暫くぼんやりしてから、左手の甲に右手をかざして夢を少し取り出してみる。取り出したのは、私の家族に紐づいている夢。クリーム色の煙はホットミルクのような甘い匂いがした。

 じっくり観察してみるが、臙脂色の煙が混ざっている様子もなければ、あの忌まわしい匂いも感じられない。ナイトメアが死んだおかげで、この夢からは歪みが消えたようだ。


 やっと全てが終わった。


 取り出した夢を、私の中に戻す。


 のそりと起き上がり、ロッキングチェアのところまで這っていって座る。

 自分の夢の中で大暴れしたせいだろう。なかなか頭の痺れがひかない。

 焦らず休んでいれば、じきによくなるはずだ。今こうして自我を保っているからには、私は記憶の遺産を守り抜いたのだから。


 夢についた傷はそのうち治る。肉体の傷と同じだ。そうでなくては夢屋や夢喰屋が成り立たない。もしも夢についた傷が治らないのだとしたら、どんな夢であれ切り離した部分の傷が致命傷になり、夢主の精神が壊れてしまう。


 魂についた傷もそうだ。棘のような悪夢が刺さって傷ついても、悪夢に浸食されて濁っても、原因さえちゃんと取り除いてやれば治る。もちろん魂を大きく傷つけられてしまえば、無事では済まないが。


 私自身は散々痛い思いはしたものの、幸い魂の破壊に至るほどのダメージではない。傷跡が残るかもしれない酷い火傷レベルではあるが、治りはする。その点だけでいえば、あのナイトメアが私の魂の喰らい方にこだわってくれたことに感謝できる。


 まあバクの場合は、夢みたいな魂をしていて、受け継がれる記憶の遺産が全てひとつながりになっているから、他の種族よりも傷つきやすくて、処置が難しく、治りにくいのだけれども。


 子供のキールが馬鹿でかい声で歌ってくれたおかげで、まだ甲高い鳥の鳴き声の残響があった。

 今頃夢の中のあいつは、私が置いてきたナイトメアの丸焼きでご機嫌だ。いくらキールが小さな頃からよく食べる方だったとはいえ、あれだけ大きなナイトメアを完食するには数日かかると思う。次にあの夢を見たら、置き去りにしてきたナイトメアをもりもり食べるキールの姿が見られるかもしれない。


 ぜひとも残さず綺麗にたいらげて欲しい。ナイトメアの欠片など、私の中にあっても邪魔なだけだ。しっかり完食して、元の夢に戻して欲しい。


 それにしても、子供の私はかなりひねくれていた。私が覚えている子供時代の可愛らしさがどこにもなかったが、どういうことだ。ありのままの私のはずなのに、おかしい。あれではまるで私の性格が歪んでいるかのようだ。


 私に関する不愉快な謎は残ったものの、今夜からはゆっくり眠れる。


 店内にセットしていた拷問用の魔術を解除し、一息つく。目を閉じれば、心地のいい眠気がこみ上げてくる。

 ロッキングチェアに抱かれながら、私は眠りについた。

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2024年9月26日 00:00
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エルクラートさんちの夢喰日記 Akira Clementi @daybreak0224

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