第67話
キールの夢だ。ちゃんと私の家と繋がっていた。
甲高い鳥の鳴き声のような歌が聞こえてくる。
庭へと飛び出せば、大きなネムノキの下に子供のキールと私がいた。読書中の子供の私は無反応だが、幼いキールが目を丸くしている。
「首だけのおじさん、誰?」
その物言いに、つい顔が引きつった。バクのローブはフードだけ脱げているから、首しか見えていないのは分かる。だが、おじさんとはどういうことだ。私はそんなに老けていない。
「おじさんではない。まだお兄さんだ」
とても大事なことなので、訂正しておく。
「ところでキール、おまえの好物はナイトメアの丸焼きだったな。食べたいか?」
「うん! 食べたい!」
キールの表情がぱあっと明るくなった。私の正体よりも好物につられるあたりが、なんとも子供らしい。素直でいいことだ。
「クソガキ! どこだい!」
家の中からナイトメアの声がした。
壁に大穴を開けているのだ。そんな大声で叫ばずとも、私の居場所など分かるだろうに。
「キール、今から特大のナイトメアを食べさせてやろう。だから、さっきの歌を全力で歌ってくれ。思い切りだぞ」
「分かった!」
弾んだ声でキールが歌い出すのと、でかい図体のナイトメアが庭に飛び出してくるのは、ほぼ同時だった。
勢いよく庭に現れたナイトメアが、慌てて家の中に戻ろうとする。そんなに嫌がるとは。私が思っていた以上に、ハルピュイアに伝わる魔よけの歌は効果があるらしい。
逃がすまいと、私は地面に手をついた。魔力を流し込んでやれば、立派に育ったネムノキの根があちこちから次々に飛び出す。
絡みつく根に足を取られ、ナイトメアが盛大に転んだ。じたばたもがいているが、根の戒めの方が勝っている。もちろんキールの歌の効果で弱体化しているせいもあるだろう。いい気味だ。
とはいえ、こちらも無事では済まない。魔力不足でくらくらする。気を抜けば根の戒めが緩んでしまいそうだ。
使えるものは、なんでも使わなければ。
「おいエルクラート! そこで本読んでるやつ!」
後ろを振り返って声をかけると、子供の私が心底面倒くさそうに顔を上げた。
「……僕?」
「そうだ、おまえだ! こいつを押さえるのを手伝ってくれ!」
「おじさん、大人のバクなのに子供の手助けが必要なの?」
おい子供の私。なんだその生意気な言い草は。読書が趣味のおとなしい素直な子供だったはずなのだが。
だいたい揃いも揃って私を「おじさん」呼ばわりとはどういうことだ。私は充分バクとしても若い。身だしなみだって気を遣っているから、ついさっき風呂に入ったばかりで清潔そのものだ。どこをどう見て「おじさん」と言っているのだ。
いやまあ世の「おじさん」が皆身だしなみがだらしないかと問われれば、そんなことはないが。
それでも私は決してまだ「おじさん」と呼ばれるような容姿はしていない。
「おじさんではない、お兄さんだ! いいから手伝え! そのネムノキを切り倒すぞ!」
子供の私が深いため息をつくのが分かった。生意気すぎる。この夢だけはナイトメアの影響を受けていないから、歪みなどないはずなのだが。
子供の私が「仕方ないなあ」という表情で本を閉じ、片手をナイトメアに向ける。子供とはいえバクだ。魔法の扱いには長けている。膨大な魔力の放出を感じた直後、ナイトメアの体が空中へと持ちあがった。ナイトメアの全身を風で拘束して、浮かせている。
これならネムノキの根を外しても大丈夫だ。地面に流し続けていた魔力を止めて、根を地中に戻す。
「騙したねクソガキ!」
ナイトメアが吠える。おじさんにクソガキ。おまえたち、中間を取れ。私は間違いなくお兄さんだ。
「騙してなどいない。ほいほいついてきたのは貴様だろうに。ハルピュイアの夢に飛び込んだ気分はどうだ? 遠慮せず味わうといい」
なんとか絞り出した魔力で炎を作り、子供の私が発生させている風に乗せる。油を伝うかのように炎が空中を走り、ナイトメアが激しく燃え上がった。
ナイトメアが、初めて馬らしくいなないた。
「アタシを殺したら、あんたは夢に囚われたままになるよ! 分かってるのかい!」
「安心しろ。帰り道は用意してある。私の分だけな」
肉が焼ける匂いと断末魔が、あたりに広がる。
「美味そう」
歌うのをやめて呟いたキールの言葉に、私は心の中で同意した。
たしかに、肉が焼ける美味そうな匂いだ。ハルピュイアはよくこんなものを食べるものだと今まで思っていたが、こうして特大のナイトメアを焼いてみると、不思議と料理をしている気分になる。
幸いなことに、魔力が枯渇する前にナイトメアは香ばしく焼き上がった。子供の私が風を消すと、いい色に焼けたナイトメアがどさりと地面に落ちる。
焼けたナイトメアと私を、子供のキールが交互に見ていた。目がきらきらと輝いている。大人のキールにナイトメアを食べさせたときも、こんな顔をしていた。大好物らしい。
「首だけのおじさん、これ食べていいの?」
「だからおじさんではない。お兄さんだ。好きなだけ食え。全部おまえのものだ」
「やったあ!」
キールが羽ばたき、くるりと宙返りをして――びくりと体を震わせた。
庭に響き渡る大絶叫のせいだ。私が頼んだとおり、ネネリアが泣き叫んでいる。
頭の奥がじわりと痺れた。そのまま倒れそうになったところで、体がふわりと浮き上がる間隔に包まれる。視界に入った手が透け始めていた。
ネネリアが、私の魂を引っ張っている。
「首だけのおじさん、ありがとー!」
「弱いおじさん、ばいばい」
嬉しそうに手を振るキールと、こちらを見もせずまた本を開いた私。そんな二人に言っておかなければならないことが、ひとつだけある。
「私はおじさんではない! まだお兄さんだ! いい加減覚えろ!」
心地いい浮遊感に包まれながら、私の意識は急速に薄れていった。
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