第11話河川敷

 雄平一家は総長である雄平が銀三郎に殺されて事実上壊滅した。

 千住を牛耳っていたやくざにしてはあっけない終わりだったが、それは日村組が秘密裏に力を蓄えていたことに起因する。元々、千住において最大勢力だった彼らは先代をだまし討ちされて後塵を拝すことになった。そんな経緯もあり二代目の日村恭平が戦争を決意したのだ。


 加えて彦次郎が雄平一家相手に生き残ったのも後押しとなった。

 二日かけても十六才の少年を殺すことができないほど、雄平一家は弱体化していると踏んだのだ。

 だから――今回の戦いに勝てたのは当然の結果だと日村組の面々は思っていた。


「なあ彦次郎。俺らの組に入らねえか?」


 銀三郎が誘いをかけたのは、単なる気まぐれではない。

 二日間逃げ回れたことと殴り込みでの腕前を高く評価したからだ。

 しかしながら、彦次郎は「お断りします」と当然のように断った。


「養子とはいえ、俺は佐川家という武家なのです。極道になる気はありません」

「ま、そうだろうな。一応訊いてみただけさ」


 彦次郎と銀三郎は日村組の屋敷の一室にいた。

 極道の屋敷で寝食するのは彦次郎も気が引けたが、今の千住でここ以上に安心できる寝場所は無かった。壊滅したとはいえ、雄平一家の残党は残っている。


「あのお嬢ちゃんと吉平を村へ連れ戻すのか?」

「吉平さんはともかく、吉江さんを連れ戻すのが俺の役目ですから」

「ふうん……吉平を日村組に入れてやってもいいぜ」


 眉をひそめて「どういう風の吹き回しですか?」と彦次郎は慎重に訊ねた。


「何か企んでいるんですか?」

「別に。ただ一度やくざ者の道を歩んだ野郎は、その世界でしか生きられないのさ」

「へえ。純粋に吉平さんのことを心配しているんですか?」

「心配というより鎖をつけておきたい気分だな。結構、筋はいいし気遣いもできそうだった」


 意外に高い評価だったので「雄平一家があんなことになったのに」と彦次郎は懸案していることを伝える。


「素直に従うのでしょうか? 銀三郎さんの寝首を搔かれたら……」

「気は許さねえよ。ま、数年後なら信用しても良いがな」

「案外、大雑把なんですね。人は簡単に恨みを忘れませんよ」

「それは自分のことを言っているのかい?」


 思わぬ指摘に顔を背けた彦次郎。

 けれどもすぐに「そうですね」と肯定した。強がっている証だった。


「特に大事な人が殺された恨みは忘れられません」

「大事な人ねえ……ま、吉平は雄平一家で良くしてもらっていた。恨みに思っていてもおかしくはねえ」

「というより、思って当然ですよ」


 そんな会話をしていると、どたどたとにわかに外が騒がしくなる。

 銀三郎は「うるせえな。おい、どうした?」と言いつつふすまを開けた。すると慌てた様子の舎弟がいた。


「若頭! 大変だ! あの吉平とかいう野郎、逃げやがった!」

「あん? 縛って納屋に閉じ込めていたろ?」

「そ、それが――」


 舎弟は一度言葉を切った。

 それから早口になる。


「あのお嬢ちゃんを人質にしたんだ!」

「……ざけんな!」


 怒鳴った銀三郎は急いで外に出ていく。

 全て聞いていた彦次郎は「助けなければ良かったですね」と呟いて後を追った。


「吉平さんはやくざ者ですが……外道だとは思いませんでした……」


 それから二日後。

 日村組に手紙が届いた。

 内容は『娘を返して欲しければ日村恭平と銀三郎、そして彦次郎の三人で指定の場所に来い』とのこと。


 当然、若衆たちは反発した。彼らにしてみれば吉江などどうでもいい存在で、そのために組長と若頭を危険な目に遭わせるのは言語道断だったからだ。

 しかし、恭平は「行かねえとな」とドスを手に取った。


「二代目、行くんですか?」


 銀三郎の静かな、それでいて覚悟を問う言葉に「当たり前じゃねえか」と恭平は笑った。


「女を人質に取られてんだ。ここで動かなきゃ、日村恭平の名が泣くんだよ。それにだ、カタギを巻き込むような外道は許せないんだ」

「……へえ。いつの間にか、立派になりましたね」

「そりゃあお前に鍛えられたからな、銀兄さん」


 笑い合う二人に若衆たちは黙ってしまう。

 その話し合いを部屋の片隅で聞いていた彦次郎は「極道はみんな、そうなんですか?」と呆れたような声を上げた。


「己の有利不利も考えずに、女の子を助けるためだけに命を張るんですか?」

「それが仁義ってもんだ」


 恭平の答えに彦次郎は「理解できませんね」と肩をすくめた。


「ですが――気に入りましたよ。極道もそう悪くない」

「へえ。お前さんも命を張るのかい?」

「銀三郎さん。俺は武士なんです。いたいけな女の子が拐われたのに、動かないのは士道に反します」


 三人は顔を見合わせた。

 そして自然と零れる笑み。


「よっしゃあ、行くか。これで雄平一家はしまいだ――」


 恭平に従って、彦次郎と銀三郎は屋敷の外に出た。

 空は晴れやかに青かった。



◆◇◆◇



 雄平一家の残党が呼び出したのは、千住から少し離れた荒川の河川敷だった。

 そこには二十人ほどのやくざ者が今か今かと彦次郎たちを待っていた。

 そして、その中には――縄で縛られた吉江がいた。


 泣き疲れているのか、憔悴し切っている。

 頬も赤くなっていて殴られたのが容易に分かった。

 彼女を押さえているのは兄の吉平だった。妹を人質に取っていることに何か思うのか、険しい顔をしていた。


「おうおう。子供を人質に取る外道共。ここがお前らの墓場だな」


 何の躊躇も無く正面から堂々と現れたのは彦次郎三人たちだった。

 恭平の挑発に雄平一家の残党の頭に相当する男が「よく来れたじゃねえか」と言う。


「この人数相手に大口叩けるとは。褒めてやるぜ」

「外道の誉め言葉なんざ要らねえよ」

「墓場とかほざいていたけどよ。てめえらの墓場だよ――」


 三人を囲むようにざっと広がったやくざ者たち。

 決して逃さないという考えの元、殺意を込めて睨みつける。


「はっ。こんな薄汚い小娘のためにわざわざ殺されに来るとはよ。面白れえなあ」

「俺ぁ殺されに来たわけじゃねえよ。お前らを殺しに来たんだ。そうだよなあ?」


 恭平に応ずるように「ええ。そのとおりです」と銀三郎はドスを抜いた。

 彦次郎は「俺は殺すつもりはありませんけどね」と刀を抜いた。

 三人は固まって動くようでぴったりと背中を合わせている。

 隙のない状態に敵の頭は「面倒だなおい」と鼻を鳴らした。


「仕方ねえな。おい、吉平! その娘を使って脅せ!」

「……分かりました、宗太の兄さん」


 宗太の命令に吉平はドスを吉江の首筋に添える。

 吉江はガタガタを震えて「に、兄ちゃん……」と泣き出す。


「お、お願いだから……」

「うるせえ! 黙れ!」


 余裕がないのか、吉平は引きつった声を出す。

 そんな二人を見て彦次郎は「あなたには殺せませんよ」と静かに言う。


「妹を人質に取る外道でも、妹を殺すような畜生ではないでしょう」

「なんだと? 馬鹿にしているのか!」

「いいえ。吉平さんの良心に訴えているんです」


 彦次郎が一歩前に出る。

 吉平は慌てて「来るな! 殺すぞ!」と怒鳴る。


「だから、殺せませんよ」

「う、うう……」

「もういい。殺せ、吉平」


 宗太は笑みを消して命令した。

 周りのやくざ者は固唾を飲んで見守っている。

 恭平と銀三郎は静かに見ていた。


「今更、逃しはしない。それよりも娘を殺して戦意を削ぐ」

「宗太の、兄さん……」

「どうした? ――殺せ! 男を見せろや、吉平!」


 吉平はドスを握り直し、吉江を刺そうとする――


「……ごめんね、兄ちゃん。嫌な思いさせて」

「――っ!?」


 吉江の呟きに手を止める吉平。

 宗太が「どうした?」と鋭く訊く。


「……すんません。俺、やっぱり無理ですわ。吉江は殺せません」


 ドスを捨てて、吉江から離れる吉平。

 吉江は呆然としていた。何が起こっているのか分からないようだった。


「俺は、俺だけは、吉江の味方だったのに、どうして――」


 最後まで、言えなかった。

 後ろからドスを刺されてしまう――


「臆しているんじゃあねえよ。カス」


 宗太が、吉平を刺した。

 胸に刃先が出ている。

 素早く抜かれるドス。噴き出る血液――


「兄ちゃん……? いや、いやあああああ!」


 吉江の悲鳴が、河川敷に広がった。

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剣脚流の彦次郎 ~大江戸決闘絵巻~ 橋本洋一 @hashimotoyoichi

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