第10話殴り込み
「剣脚流――百舌鳥!」
「ぐああああああ!」
彦次郎から放たれた連続蹴りはやくざ者を後方へ吹き飛ばし、周りの人間を巻き込んでいく。
しかしまだ全員倒したわけではない。
百を超えるやくざ者が雄平一家の屋敷にひしめいている。その中で彦次郎は剣脚流を用いていた。
「おうおう。お優しいこった。刀を使わずに足技だけでのしちまうとはよ」
銀三郎はそう言いつつ、襲い掛かってきた雄平一家のやくざ者の顔面を思いっきり殴る。
鼻が折れ、鼻血が噴き出てその場にうずくまる――流石の一撃だと彦次郎は思った。
「あなたもやりますね。若頭なだけはある」
「まあな……おい! さっさと次の部屋行くぞ!」
翌日、彦次郎と銀三郎、そして日村組の極道たちは雄平一家の屋敷で大暴れをしていた。
早朝のことである。不意を突くように日村組総勢三百人で攻め込んだのだ。
辺りは血が飛び散っていて、雄平一家のやくざ者は軒並み倒れている。中には息のない者もいた。
「なあ彦次郎。お前さんは刀を持たなくてもいいのか?」
「この乱闘の中で刀なんか振り回したら殺してしまうかもしれません」
「殺したっていいんだ。こいつらは所詮、やくざ者なんだからよ」
彦次郎はじっと倒れたやくざ者を見つめた。
生きているのか死んでいるのか分からない。
「俺が殺すのはたった一人ですよ」
「そりゃあ、この組の総長か?」
「違います。俺が殺すべき人は――」
「オラァ! 死ねやぁああ!」
そのとき、ふすまをぶち壊して――やくざ者がドスを腰低く構えて刺しに来た。
彦次郎は冷静に半歩右へ避けて、背中へ回し蹴りを放った。
背骨が折れるかという強烈な打撃だった。
やくざ者は目を回して倒れ込む。
「へえ。不意討ちも効かないんだな」
「鍛えていますから。それに気配や殺気には敏感なんですよ」
そりゃあすげえなと声に出さずに銀三郎は笑う。
周りは血みどろの抗争をしているのに余裕綽々だった。
「それで、雄平一家の親分と若頭はどこにいますか?」
「奥のほうじゃねえか? ま、この人数相手に抵抗しようなんざ、底が知れているけどな」
笑顔のまま、銀三郎は奥の間へのふすまを開いた。
彦次郎は黙って後に続いた。
しばらく進むと、日村組の極道が足を止めていた。
「おいどうした? ビビってんのか?」
銀三郎が軽い気持ちで声をかけると「あ、若頭」と数人が頭を下げた。
「いえ。雄平一家の若頭と舎弟の二人が厄介でして。これ以上先に進めないんですわ」
「……ふうん。なあ彦次郎。一緒に来てくれや」
おそらく戦わせるつもりだなと思った彦次郎は「面倒ですねえ」と脚を抱えてこきりと鳴らした。
彦次郎と銀三郎が部屋の中に入ると、そこでは激しい戦闘が繰り広げられていた。
若頭であろう中年の男と年若い舎弟が背中合わせで日村組の極道を渡り合っている。
床には日村組の極道が数人倒れていた。
「へっ。お前さんが逃げ遅れるとは……珍しいこともあるんだな、浩太よ」
銀三郎が話しかけると、中年の若頭が「てめえ、やってくれるじゃあねえか」とドスの利いた声で応じる。
ついでに舎弟も銀三郎を睨む――見覚えのある顔だなと彦次郎は思った。
「てめえを討ちとりゃこっちの勝ちの目もあるってことだよな」
「ははは。面白い冗談、言えるようになったじゃあないか」
「おい、吉平。手を貸せ」
若頭の浩太が命じると「承知いたしました」と頷いた――吉平。
彦次郎は生きていたことに安堵したが、この状況は不味いと考えた。
このままだと吉平が死ぬ可能性が出てきた――
「そちらが二人なら、俺も加勢していいですよね。銀三郎さん」
ずいっと銀三郎の隣に並ぶ。
すると「お前さんの気苦労も絶えないねえ」と笑われた。
「件の兄ちゃんがそいつだな」
「ですから、俺が何とかしないといけません。浩太とかいう若頭、任せましたよ」
ぼそぼそと囁くのが気に入らなかったらしく「何を打ち合わせしているのか知らねえけど――」と怒気を上げていく浩太。
張り詰めた糸のように緊張感が高まっていく。
「てめえら殺して、無意味にしてやるよ――オラァ!」
浩太がドスをもって銀三郎を仕留めようと一気に間を詰める。
銀三郎は素早い足運びで躱し、彦次郎と吉平から距離を取った。
感謝しますよ、銀三郎さん――心の中でお礼を言いつつ、彦次郎は吉平に近づいた。
「ガキが……舐めんなよ!」
吉平は徒手空拳で挑んでくるみたいだ。
大振りの拳を難なく左に避けた彦次郎はガラ空きになったわき腹に蹴りを入れる。
どすん! という鈍い音。吉平の顔が歪む。あばらを損傷したみたいだ。
「あ、ぐ……」
「剣脚流――燕!」
腹を押さえた吉平は通常よりも頭を低くしていた。
後頭部が上を向いている状態で、高々と上げた足を素早く落とす――燕はかかと落としに近い技で本来ならば刀も同時に斬り落とす。今回は刀が無かったので頭へのかかと落としになってしまった。
「ぎゃ、は、あああ……」
「よし。これで――」
常人ならば気絶するだろう。しかし吉平は打たれ強かった。
執念と言うべき最後の力を振り絞って、彦次郎の足首を掴んだ。
「ま、待てよ……俺ぁまだ、負けてねえ……」
「やくざ者にしては、根性ありますね。そこが若頭に見込まれたところなんでしょうか」
じっと見つめた後、彦次郎は乱暴に手を振り払った。
「終わったのかい。手早いな」
後ろから話しかけたのは銀三郎だった。
その先の後ろには、腹部を押さえて座り込んでいる浩太がいた。
おそらく助からないであろう出血が噴き出ている。
「結局、殺したんですか」
「そうしなきゃ俺は死んでいたよ」
「…………」
「若頭……くそ、どうして……」
悔しそうに床を這う吉平。
彦次郎は「あなたの命は助けます」と告げた。
「な、なんで……殺せよ……」
「妹さん、つまり吉江さんがあなたを迎えに来たんです。だから――」
言い終わる前に吉平が「妹? そんなの知るか!」と怒鳴った。
床の上に大の字になって喚き散らす。
「俺にとっての家族は雄平一家の人たちだったんだ! 総長と若頭、それに兄弟もたくさんいた! ここしかなかったんだ! 俺の居場所は! 田舎の村でつまらねえ一生を過ごすよりは良かったんだ!」
それから悪口雑言を続けた吉平に「こいつもう駄目だな」と面倒そうに言う銀三郎。
彦次郎も吉江から聞いた印象がかなり違いますねと思っていた。
「だいたい、吉江のことは鬱陶しいと思っていたさ! いつも俺の傍にくっついていて邪魔だった! 離れられて清々するね! 今度会ったら――」
そこまでしか言えなかった。
彦次郎が吉平に馬乗りになって「ふざけたこと言うんじゃありません!」と怒った。
それも火山が噴火するような怒り方だった。
吉平どころか周りが静かになるほどだった。
「吉平さん! あなたには妹への思いはないんですか! 自分を慕ってくれている、十三才の吉江さんが、どれだけの勇気をもってここに来ているのか、まだ分かりませんか!」
「…………」
「あなたを追って、たった一人で千住まで来た妹に、そんなひどいことを言うなんて――俺は絶対に許さない!」
胸ぐらを掴んで凄い形相で叫ぶ彦次郎に、どうしてこいつはこんなに必死になって俺に言い聞かせているのだろうと、吉平は不気味に思った。
その理由は単純で、彦次郎には家族がいないからだ。無論、養子として佐川家に入っているが、それらには血のつながりがない。養父や養母、そして義兄の誠一郎は優しくしてくれるが、それでも殺された母のことを思わなかった日は無かった。
彦次郎が怒っているのは自分にないものをドブに捨てるような真似を目の前でやられたからだ。そして吉江の覚悟を踏みにじられてしまったからだ。それが許せないのだ。
「……よく分からねえよ」
吉平はか細い声で言う。
「俺はあんなつまらねえ村で一生を暮らすのが嫌だった。だから出て行ったんだ。妹のことも捨てたつもりだった。それなのにどうして――今になって出てくんだよ」
「分からないのなら、教えてあげます」
彦次郎は年齢にはそぐわない、険しい顔のままだった。
「それが家族の絆ってやつですよ」
「…………」
「俺が欲しくて仕方がない、素晴らしいものです」
彦次郎は吉平から離れて「落ち着いたら吉江さんと会ってください」と頼んだ。
「思い出してください。つまらない村の数少ない煌めいていた日々を」
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