第9話説得
窮地を脱した彦次郎は後始末――嶋田が殺したやくざ者の死体の処理だ――を終えた銀三郎と共に、約束していた再会場所である飯屋に向かった。そこで吉江が保護されている。これでようやく、お町さんの依頼を達成できますねと思っていると、店内が俄かに騒がしくなった。
「どうしたんですか? まさか、雄平一家が――」
「そうじゃねえよ。あの娘が暴れてんだ」
面倒くさそうに髪を掻く銀三郎は「もうよしなって」と言いつつ店の中に入った。
彦次郎も後から入ると、泣き喚いている少女の姿が目に入った。
あれが吉江かと彦次郎は口を呆然と開けた。
十三才と聞いていたが、それよりも幼く見える。
面長で可愛らしい顔立ち。栄養をしっかりと摂れば数年後は美しい姿になるであろうと予想できる。
服は百姓が着るようなボロのもの。それが汚れているのは着替えもせずに千住を歩き回った証だった。
「放して! あたしは兄ちゃんと話をするために来たんだから!」
銀三郎の手下が数人で宥めているが、一切を無視して手足をぐるぐると回している。
なんて暴れ方だと彦次郎は呆れて言葉が無かった。
彼の知り合いの女性はあんな駄々をこねたりしなかった。
「お嬢ちゃん。聞いたろ? お前さんの兄貴はやくざ者になっちまった。連れ帰るなんてできねえよ」
「うるさいうるさい! あたしは諦めないんだから!」
よくよく見ると目から涙をこぼしている。
本当はやくざ者に囲まれている状況が怖いんだと彦次郎は悟った。
だから安心させるために「大丈夫ですよ」と声をかけた。
「俺が無事に家まで送ってあげますから」
「はあ? 頼んでないことしないでよ! あたしは――」
「兄君のことは忘れたほうが身のためだと思います。今だって危ういのに、このままでは……」
「あたしのことなんてどうだっていい! それにあんたは誰なのよ!」
吉江の涙混じりの問いに「申し遅れました」と頭を下げる彦次郎。
「俺は彦次郎と言います。吉江さんの村で暮らしていたこともあります」
「……どういうこと?」
「その縁もあって、あなたの両親に頼まれて、連れ戻すために千住に来ました」
本当は母を殺した者の手がかりを得るためだが、嘘を言っているわけではない。
怪しげに吉江はじろじろと見るのだけれど、疑う点が見当たらないので、ふんっと鼻を鳴らす。
「さあ帰りましょう。これ以上親に心配かけてはいけませんよ」
「何よそれ。あたしは兄ちゃんを説得しに来たんだからね」
「……きつい言い方をしますが、子供の説得で兄君がやくざ者をやめることはありませんよ」
彦次郎自身、言いたくはなかった現実を告げると、ますます涙目になってしまう吉江。
ちらりと銀三郎を見ると、お手上げの仕草をした。
「でも、でも……」
「このまま兄君の元へ行けば、痛いことや汚いこと、悲しいことをされる可能性があります」
「……兄ちゃんは優しいの」
俯きながら吉江はぼそぼそと独り言のように言う。
彦次郎と周りの大人は黙って聞いている。
「兄ちゃんはあたしと一緒に遊んでくれた。村の男の子にからかわれたときは、やっつけてくれた。それにいつだってあたしの味方だって言ってくれたの。だから、やくざ者になっても――変わらないでいてくれるはず……だから」
彦次郎は「兄君が家を出て行ったのは何年前ですか?」と訊ねる。
「三年前。あたしが十才のときだった。兄ちゃんは偉くなって、あたしたちを楽にさせてあげるって言って……」
「三年も経てば人は変わるぜ。立派なやくざ者になっちまう」
銀三郎の余計な一言に「そんなことないもん!」と吉江は喚いた。
それは喧嘩で負けそうになった子供が、両腕を回しながら自棄になって抵抗しようとするのと同じだった。
「兄ちゃんは変わらない! だから、会えさえすれば、きっと分かってくれるもん!」
「だとよ。どうする、彦次郎」
水を向けられた彦次郎は「俺としては、このまま連れ戻したいです」と素直な心情を言う。
「吉江さんに兄君を会わせたところで、良い結果が生まれるとは思えません」
「だろうなあ。俺もそうだよ……それにだ。明日には雄平一家に殴り込みに行くしな」
「……吉平さんだけ、助けるわけにはいきませんか?」
微かな希望を持って訊ねてみるが「駄目に決まってんだろ」と首を振った。
「雄平一家は皆殺しだ。禍根を残さないようにな」
「そんな……兄ちゃん殺さないでよ!」
真っ青な顔になって懇願する吉江を鬱陶しそうな顔で一瞥すると「いいかお嬢ちゃん」と銀三郎は言う。
「やくざ者になったのは、お前さんの兄ちゃんの自由だ。誰に強制されたわけでもねえ。そんで悪さもしているんだろうよ。だったら、殺されても仕方ねえよな」
「お、お願いだから……」
「お前さんの願いは叶えてやりたいが……すまねえな」
すると吉江は「あんたなら、助けてくれる?」と彦次郎に縋りついた。
「なんでもするから! お願い、します!」
「そうは言っても……」
「一生かけて、お金とか払うから!」
困った顔になった彦次郎は「仕方ないですね」と銀三郎に向かい合った。
「殴り込みに参加させてもらえませんか?」
「お前さん、本気で言っているのか?」
「遊び半分で言えませんよ。でもね、女の子が泣いているんです。男の子としては助けないわけにはいかないんですよ」
彦次郎は肩をすくめた。
呆れ半分に彦次郎を見つめる銀三郎だったが、軽く笑って「格好いいねえ」と言う。
「でもな。いくらお前さんの腕が確かでも、生き残れるって保証は――」
「いいじゃねえか、銀。こいつなら生き残れると思うぜ」
店の奥から出てきたのはまだ十代後半の青年だった。
一見、優男に見えるが着流しの隙間から刺青が見える。
そして目が鋭かった。この世全てを警戒しているような、あるいはこの世全てを窺っているような、視野の広そうな目だった。
「あなたは……どなたですか?」
周りの極道が頭を下げている。銀三郎さえそうなのだから、きっと組の偉い人だろうと当たりをつけていた彦次郎。
優男は「日村恭平……ま、渡世名だけどよ」と名乗った。
「皆からは二代目って言われている。特別に恭平って呼んでいいぜ」
「そんな親しげに呼べないので、恭平さんと呼ばせていただきますよ……つまり、あなたが組長さんですね?」
恭平は彦次郎の問いに「おう。そうだぜえ」と頷いた。
「俺はお前に感謝しているんだぜ。ようやくみんなを説得できた」
「はあ。よく分かりませんが、それは良かったですね」
「子供一人始末できねえやくざ者なんて、軽く捻られるぜ……銀の言うとおりだった」
なるほど。つまりはどれだけ雄平一家が脅威ではないと証明したかったのかと彦次郎は内心、銀三郎の考えをくみ取った。二代目の恭平も自身の親を殺されてはらわたが煮えくり返る思いだっただろう。しかしそのためには一度負けたという事実を乗り越えないといけない。
「明日のために、力蓄えてきたんだ。楽しみだなあ」
「ええ。殴り込みは極道の晴れ舞台ですから」
二人の極道が笑い合う中、彦次郎は吉江に「必ず、兄君を連れ戻してきます」と言う。
「そしたら、村に戻ってくれますね?」
「う、うん……だけど、あんた、強いの?」
「ええまあ。大勢のやくざ者相手に二日間生き残れるくらいには」
吉江はしばらく黙って――小さな声で「ありがとう」と呟く。
「大変なことを頼んでいると思う。けど、あたしにとって兄ちゃんは一人しかいないの。大切な兄妹なの。だから、お願い……兄ちゃんを助けて」
彦次郎は力強く頷いた。
「ええ。約束しますよ」
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