第8話刺客の元締め
「とうとう追い詰めたぞ――クソガキ!」
千住の裏路地、銀三郎との待ち合わせの飯屋の近くだった。
十四人のやくざ者に周りを囲まれた彦次郎は「銀三郎さんの言ったとおりですね……」と疲れた表情を見せた。
約束の刻限の二日はとっくに過ぎていた。そして三日目の朝、彦次郎は窮地に立たされていた。
「店に行くためには少々乱暴な手を使わざるを得ないのですが……こうなるのであれば、やっておいたほうが良かった……」
「何ほざいてやがる! てめえはここで終わりなんだよ、クソガキが!」
やくざ者がじりじりと迫っている。一斉にかかられたら彦次郎と言えども対処できまい。絶体絶命、万事休すという言葉が彦次郎の脳裏に浮かんだ――
「――待て。その者は私の標的だ」
今まさに襲いかかるところを挫くように、やくざ者たちの背に声がかけられた。
なんだこいつは? という顔で全員がその男を見た。
黒一色の着流しを着ているが、明らかに士分だと分かる上品さを持っていた。腰には大小の刀を提げている。髷を結っていて、顔は険しく強面と言っても間違いではない。どっしりとした大きな体型で力士のようだった。おそらくは鍛え上げているであろう筋肉質な腕が見えていた。
「なんだてめえは? 千住の人間じゃあねえな?」
「貴様に名乗る義理はない。だが、千住の人間ではないことは確かだ」
すたすたとやくざ者に近づく大男。
すぐさまやくざ者たちは警戒したが――まったくもって意を返さない。そして、やくざ者たちの間に割って入ろうとした。
「な、何考えて――ぎゃああ!?」
大男の肩に手を触れた瞬間、そのやくざ者の腕を捻り上げる――軽く足払いして転ばせた。
「邪魔をしないでくれ」
どよめくやくざ者たちだが、本能的に関わってはいけないと感じたらしく、道を開けてしまった。そのまま、大男は彦次郎の元へと歩き――抜刀した。
「――な、なにを!?」
素早く抜刀して受け止めた――やくざ者が大勢いたため、臨戦態勢になっていた彦次郎だから対応できた――いや、それ以上に驚いたのは殺しに躊躇が無いことだ。
普通、人を殺めるときは挙動にぎこちなさが表れる。ためらいが主な理由だが、どんな達人でも出てしまう不可抗力と言える。しかし――大男には無かった。ぎこちなさもためらいも、罪悪感も。
「流石だな。これならば、市村を退けたのも納得だ」
「市村? 誰ですか?」
警戒を解かずに彦次郎は訊ねた。心当たりのない名前だったからだ。
大男は「知らぬのも当然だ」と無表情で応じた。
「居合の達人だった男……そう言えば分かるか?」
「あ、あの――切腹した人ですか!?」
「いかにも。私の部下だった」
彦次郎の頭が目まぐるしく回る。
部下ということはこの人も刺客か、自分を狙う張本人ということ!
「何故、俺を狙うのですか!?」
「言えぬ。だが貴様は私たちの手で殺さねばならない。こんな三下の手で殺されるのは――」
言い切る前に、やくざ者の一人が「てめえ、三下ってどういう――」と大男に近づいて――
「話の途中だ。黙れ」
高々と刀を上げて、大男は迷いなど無く、あっさりとやくざ者を袈裟斬りした。飛び散る血が他のやくざ者に振り返る。斬られた者は倒れ込んだ。絶命したのだ。
「こいつ、イカれてやがる!」
「ちくしょう、やってやる――」
ドスを構えたやくざ者たち。
大男はため息をついた。
「これでは貴様を斬ることは叶わないな、彦次郎」
「……当たり前ですよ。やくざ者に喧嘩売ったんですから。むしろ穏便に済ませる気ありましたか?」
恐怖よりも呆れが勝った彦次郎は「どうするんですか?」と大男に言う。
「仕方がない。皆殺しにするか」
「随分と簡単に言いますね……」
「その隙に逃げようなどと思うなよ」
大男は八相の構えを取った。
すると威圧感が増す――
「こ、こいつ、この人数相手に、怯んでねえ――」
一人のやくざ者の呟きに、全員が戦慄する。
気づくのが遅かった。相手は鬼のように容赦がない。
「――そこまでだ」
待ったをかけたのは大勢の手下を引き連れた銀三郎だった。
彦次郎を囲むやくざ者のおよそ二倍の人数、三十六人が裏路地の出入り口を塞いでいた。これでは彦次郎を殺しても自分の身の保証がない。雄平一家のやくざ者たちは顔を青ざめた。
「迎えに来てくれたんですね」
「まあな。お前さんのおかげで上手くいった……だがそいつは何者だ?」
銀三郎が指差すのは大男。
八相の構えのまま「また別のやくざ者か」と面倒そうに言った。
「はあ。これでは貴様を殺すことは叶わんな」
「……それならどうしますか? 逃げるんですか?」
「そうだなあ。部下たちに大見得切ってしまった以上、逃げるのは恥だが……」
ちらりと彦次郎を見つめた後、大男は「仕方がない」と刀を納めた。
「またいずれ会おう。それまで死ぬなよ」
「あなたとその部下以外に殺されるなよ……って意味ですよね?」
大男は満足そうに頷いた。
そしてゆったりとした足取りで銀三郎の元へ向かう。
雄平一家のやくざ者は戦意を失っていた。だから道を開けてしまったのだ。
銀三郎の横を通った大男。
そのまま見逃すと思われたが、銀三郎は「お前さん、名乗らねえのかい?」と問う。
「彦次郎を殺すんだろう? だったら名ぐらい知っておきたいのが人情だ」
「死人に名乗っても意味はない」
「それは名乗らねえ理由にならないよ。だってさ、名乗ろうが名乗らまいが、どっちでも同じってことだろう?」
相変わらず詭弁を用いますねと彦次郎は無言のまま思った。
大男は「面白いことを言う」と少し感心したように顎を掻いた。
「いいだろう。私の名は――嶋田三郎家久。しがない浪人だ」
「へえ。立派な名前だこと」
「彦次郎。脳に刻んで記憶しておけ」
嶋田はそのまま静かに去っていった。
銀三郎は「てめえらもさっさと去れ」と雄平一家の者に命じた。
「見逃してやるよ。ほれ、俺たちは何もしねえ」
「……何のつもりだ? 今更怖気づいたのか!」
「そうじゃねえ。伝言を頼まれるか?」
銀三郎は威勢だけはいいやくざ者に言う。
口元は笑みを湛えていた。
「二代目が決断してくれた。雄平一家との戦争をな」
「ふ、ふざけるな! 手打ちはどうなったんだよ!」
「そんなの知るか。交わした誓紙ならケツ拭くのに使っちまった」
銀三郎はすうっと笑みを消して「親を殺された怨みは忘れねえよ」と凄んだ。
彦次郎は場の空気が下がったような錯覚がした。
「てめえらはもうおしまいだよ。千住は俺らのものにする」
「……くそ! 総長に知らせるぞ!」
十三人のやくざ者は蜘蛛の子を散らすように去ってしまった。
ふうっとため息をつく彦次郎に「ご苦労だったな」と銀三郎が話しかける。
「二日経ったのに来なかったときは、てっきり死んじまったと思った。荒川に沈められたんじゃねえかって探させていたんだぜ」
「そんな余裕があるのなら、助けに来てくださいよ」
「俺たちはお前さんに手を貸すのはできなかったんだ」
よく分かりませんねと彦次郎は首を傾げた。
そもそも、何故二日間逃げ切ることを条件にしたのか、考えても答えは分からなかった。
だから「そろそろ教えてくれませんか?」と訊ねる。
「この状況とか。そういえば、雄平一家と戦うって言いましたね」
「説明する前に、お前さんに会わせたい人がいるんだ」
「誰ですか……って訊くまでもありませんね」
彦次郎が軽く笑う。
銀三郎は「まあ当然だろうな」と腕組みをした。
「お前さんが千住に来た理由である、吉江を保護している。会いたいだろう?」
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