第7話取引

「へえ。彦次郎ってのか。そんで、まだ元服前のお前さんがどうして千住に?」

「実は人を探していましてね。ま、銀三郎さんが知っているかどうか分かりませんが」


 彦次郎は日村組が世話をしているという飯屋に来ていた。

 そこで銀三郎と食事を囲んで話している。

 周りには客がいるが、さほど多くはない。

 さっきの蕎麦屋と違って味は確かですね、と焼き魚を頬張ると「吉江、という十三才の少女です」と彦次郎は明かした。


「へえ。そういや、雄平一家の屋敷で女が喚き散らしていたって聞いたな」

「もしかして、その人が吉江さんですかね?」

「さあな。あの組は岡場所の顔役だが……良いうわさは聞かねえ」


 そう言って銀三郎は湯豆腐を箸で摘まんで食べた。

 もし屋敷に現れたのが吉江ならかなり危うい目に遭うかもしれない。

 やくざ者に関わるということはそういうことなのだ。


「銀三郎さん。俺は吉江さんを連れ戻すだけで良いんです。ここで騒ぎを起こすつもりはありません」

「だがお前さんは雄平一家に手を出した。気絶した連中がそう証言するかもな」

「汚いですね。あのやくざ者を殺したのはあなたじゃないですか」

「そうだよ。大人ってのは汚いんだ」


 小気味いい認め方だったので、彦次郎は二の句を告げられなかった。

 銀三郎は「千住の状況を説明しようか」と笑った。


「今、俺の日村組と雄平一家は揉めてんだ。ここ五年ぐらいな」

「五年もですか? いったいどうして?」

「先代同士で殺し合いしたんだよ。初めは若衆の小競り合いだったんだが、抗争に発展して……組の親父が直接カタをつけたんだ」


 銀三郎は手酌で酒を注いだ。

 彦次郎は「カタをつけたのなら、それで終わりじゃないんですか?」と問う。


「カタをつけたって言っても、うちの組長は死んで向こうは生きている。だけどな、停戦協定ってやつを結んだんだ。今の二代目が上手いことやってくれた」

「上手いことをやった割には、銀三郎さんは納得していない様子ですが」

「当たり前だ。親の首取られて極道が黙ってやれるか」


 銀三郎は鋭い目で机を睨みつけている。

 母親の仇討ちのために生きている彦次郎はその気持ちが痛いほど伝わった。


「そうですね。正しいと思います」

「……当時、二代目はお前さんと同じくらいだった。それでも手打ちできたのは立派なことだよ。あのまま続けていたら共倒れだったしな。そう考えると二代目の判断は正しかった」

「俺のことを助けてくれたのは、その揉め事に関係ありますか?」

「ないって言ったら嘘になる」


 案外、正直な人なんだなと彦次郎は目の前のやくざ者を評価した。

 無論、彦次郎を利用してあのやくざ者を殺したことは忘れていない。

 それでもなるべく誤魔化さないようにしているのは伝わった。


「二代目は雄平一家とのケリをつけるのに躊躇している。だから水面下で揉めているのさ」

「ふうん。それなら水面から顔を出す真似しないでほしいですね」

「まだ出してねえ……というより、お前さんは人殺しを許せないのか?」


 彦次郎はあからさまに嫌な顔をして「許す許さないの問題ではありません」と答えた。


「殺さずに済めば、それに越したことはありません」

「子供の意見だな。少なくとも武士の考え方じゃねえ」

「あっさりと殺せるのはやくざ者の考え方ですから」

「言うねえ……なあ彦次郎。お前さんは人を殺したいと思ったことはないのか?」


 彦次郎は一瞬、言葉に詰まった。

 だけどすぐに「ありますよ」と肯定した。


「俺が今、千住にいる理由はそれですから」

「よく分からねえけど……ま、いいか。そんじゃ本題だ」


 今までの話は枕だったらしい。

 彦次郎は姿勢を正した。


「吉江の情報を探ってやるから、こっちの仕事手伝えよ」

「仕事の内容に依ります」

「簡単だよ。二日の間、千住に留まって生き残ってほしいってだけだ」

「すみません。意味が分かりかねます」


 銀三郎は「おそらく、お前さんは雄平一家の連中に狙われるだろう」と言う。


「死因のドスは俺が持っている。つまり、気絶した連中の証言を合わせれば、あの野郎を殺したのはお前さんになるんだぜ」

「状況から鑑みたら、そうでしょうね」

「人相書きも出回るはずだぜ。そうなったら三日と生きていられないだろう。だが俺の見立てなら二日は生き残れる」

「つまり……俺を利用して何か仕出かすつもりですね」


 彦次郎の言葉に「よく分かっているんじゃあねえか」と銀三郎は大笑いした。

 面倒なことになったなと思いつつ、すっかり冷めて伸びたうどんを啜る彦次郎。


「その仕出かす詳細は言えねえが……生き残ったら吉江を会わせてやるよ」

「俺があなた方の手を借りずに吉江さんを見つけ出したらどうしますか?」

「あん? 女連れて五体満足で千住を出られる自信があるのか? そんな優しい場所じゃねえぞ」


 剣脚流の壁や塀を乗り越え、屋根を伝う技術――通称『鶏』を使えば雄平一家の追っ手からは逃げられる。

 けれども、守るべき少女がいる状態では難しいだろう。足手まといがいては斬った張ったもできない。


「しかし二日間生き残るのに情報だけでは労が報われませんよ」

「銭でも欲しいのか?」

「吉江さんの情報ではなく、身柄を保護してほしいんです」


 この要求に銀三郎は「極道に幼気な少女を預かれって言うのか?」と怪訝な表情をした。


「岡場所をシノギにしているんだぜ、俺の組はよう」

「別に売る気はないんでしょう? それに保護するだけなら負担でもなさそうですし」

「まあそうだけどよ――」


 話がまとまりかけたとき、表から「クソガキ、ここにいるんだろう!」と怒声が上がった。


「出てきやがれ! ぶち殺してやる!」

「どうやら見つかっちまったようだな。どうする?」

「二日間逃げ切ってみせますよ。さっきの話を了承してくれればね」


 銀三郎は「分かったよ。約束する」と明言した。


「取引成立、ですね」

「そうだな――二日後の夜、この店で落ち合おう。精々、死なねえようにな」

「はい。心得ておりますよ」


 彦次郎はそのまま立ち上がろうとして――銀三郎に訊ねる。


「ここの勘定、お願いしてもよろしいですか?」

「お前さん、やくざ者に追われようとしているのに、のん気だな」


 呆れた顔になる銀三郎だったが、ある意味度胸があるなと思い直した。

 その図太さは世間知らずの殿様のようだなとは声に出さずに「勘定は払ってやるよ」と頷いた。


「ありがとうございます。それじゃ、行ってきます」


 まるで寺子屋に向かう子供のように、彦次郎は飯屋から出た。

 外には三人のやくざ者がいた。先ほどの若衆とは異なる面々だ。


「てめえがガキだな? 玉吉を殺した落とし前、つけてもらおうじゃねえか」

「ガキ相手に三人がかりですか。臆病ですね」

「なんだと!?」


 恐怖や不安は心の片隅にあった。

 しかしそれらをおくびに出さずに不敵に笑った。


「どうせ臆病なら、もっと大人数連れてきたら良かったですね」

「……舐めているのか?」

「四人がかりで傷一つ負わなかった俺に、三人で挑むのはおかしな話ですよ」


 するとやくざ者の一人が「三下と一緒にするな」とドスを出した。

 合わせるように二人も取り出す。


「これからてめえを捕まえて拷問してやるよ。裏で糸を引いている野郎も同じ目に遭わせてやる。後悔しても遅せえ。てめえの親兄弟、全員なぶり殺しにして――」

「剣脚流、雀――」


 一足飛びに近づいた彦次郎は刀を鞘のまま、話していたやくざ者の顎に斬り上げるように殴打した。顔が上向きになってがら空きになった腹を前蹴りする――後方に吹き飛んだやくざ者は向かいの店の入り口を壊して――伸びてしまった。


「なあ!? このガキ――」

「それでは、御免!」


 やくざ者が目を離したときを見計らって、彦次郎はその場から逃走した。

 背後から追いかけてくる気配を感じつつ走り続ける。


「やれやれ。女の子一人連れ戻すのに、どうしてこんな苦労しなくていけないのか。理解に苦しみます――」

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