第6話千住にて

 翌日、彦次郎は千住へと出立した。

 義父や義母には事情を話さなかった。ただしばらく帰らないとだけ伝えている。義父の太助は彦次郎のやることに口を挟まないが、義母のお菊は不安そうな顔をしていた。しかし彼女は結局、いつもの通りに無言で見送った。


 その一方で、彦次郎は義兄の誠一郎に些細を話していた。隠し事をすると後にひどく怒られることを経験上知っていたからだ。誠一郎は「危ないことをするなよ」とだけ言った。止めたりしなかったが、顔は物凄く恐かった。


 彦次郎は内心、心配かけてすみませんと思っていた。けれども止まることはできなかった。それは今まで自分が母の死の下手人を知るために、研鑽を重ねてきたからだ。自分が前に進むために必要だと頑なに信じていた。だから傍目からすれば愚かしい行動を取っている。


 そして千住に着いたのは昼過ぎのことだった。道中、刺客に襲われるかもしれないと思い慎重に向かったのだが、それは杞憂だったようだ。日光街道の宿場町として栄えているからか人通りは多かった。さて、どうやって雄平一家にいる吉平を探ろうかと彦次郎は考えていた。


「まずはご飯でも食べますか。腹が減っては戦はできぬと言いますし」


 何となしに呟いて彦次郎は大通りにある蕎麦屋に入った。

 店構えは普通だったが、中に入ると四人のガラの悪い男たちが下品な話題をしていた。

 なんだ、客層は悪いですねと彦次郎は顔に出さずに思った。


「すみません。白湯とざるそば一つください」

「あいよー。ざる一丁!」


 年配の給仕女の声が店内に響く。

 周りのやくざ者は彦次郎を一瞥した。一応、彦次郎は刀を提げている。だから士分だとは分かるようだ。


「妙な野郎だな。ここいらでは見ない顔だぜ?」

「知らねえ。興味もねえな」


 そんな声が聞こえてくる――彦次郎は一切を無視した。

 しばらくしてざるそばが運ばれてきた。一口食べてあんまり美味しくないなと彦次郎は顔をしかめた。


 彦次郎は店にいる四人の中には雄平一家のやくざもいるかもしれないと考えて「すみません、おばさん」と給仕女に呼びかけた。


「なんでござんしょ」

「雄平一家の人たちってどこで会えるか知っていますか?」


 給仕女の顔色がさっと変わった――店にいたやくざ者たちが一斉に立ち上がった。


「なあ、にいちゃん。雄平一家に何の用だ?」

「えっと。あなた方が雄平一家の――」


 向き直って彦次郎が訊ねると「訊いてんのはこっちだゴラァ!」と机を思いっきり叩かれる。

 これでは判断できませんねと彦次郎は思って「人を探しているんです」と答えた。


「人だと? 誰のことを言ってんだ?」

「雄平一家の方ではないのですが、関わりがある人です」

「なんだそりゃ? 意味が分からねえぞ馬鹿野郎!」

「吉江……この名に聞き覚えありますか?」


 やくざ者たちは顔を見合わせた。

 どうやら心当たりはないらしい。


「うーん。ないのであれば結構です。失礼しました」

「ちょっと待て。こっちの話は済んでねえよ」


 やくざ者の中でも年長の者が凄みを利かせる。


「何故、吉江……そいつを探しているんだ? 雄平一家と何の関わりがあるんだ?」

「その問いに答える前に、一つ確認させてください」


 彦次郎はやくざ者たちに囲まれているのに平然としていた。

 それが不気味に見えるやくざ者たち。


「あなた方は、雄平一家の方ですか?」

「ああそうだ。若衆だよ」

「なら吉平さんのことも知っているはずですよね?」


 吉平の名が出るとやくざ者は「吉平がどうしたって言うんだ?」とさらに問う。


「どうしたってわけではありません。俺の目的は吉江さんを探して連れ戻すことですから」

「……話が見えねえぞ」


 彦次郎はすっと立ち上がって「勘定、ここに置いておきます」と代金を出した。

 そしてやくざ者たちに「店に迷惑がかかります」と促した。


「人気のないところへ行きましょう。全てお話しします」

「……行くぞお前ら」


 店から出てやくざ者の先導で裏路地まで来た彦次郎は「ありがとうございます」と礼を言った。


「はあ? ありがとうってなんだよ?」

「素直にここに連れてきてくれたことですよ。本当に良かった。何せ――」


 彦次郎はすらりと刀を抜いた。

 四人のやくざ者は後ろに下がりつつ戸惑った。


「――これで仲間を呼ばれる心配はないですから」

「て、てめえ。何する気だ!?」

「吉江さんのことを知らないけれど、吉平さんのことは知っている……あなた方から教えてもらおうと思いましてね」

「くそ! おい、得物出せ!」


 臨戦態勢になっている彦次郎に対し、やくざ者たちは各々ドスなどの武器を取り出した。

 しかし、命のやりとりとなるとは思っていなかったのか――手が震えている。


「な、なんだこのガキ! いかれてやがる!」

「大人しく教えてくれれば……五体満足でいられますよ……?」


 一人のやくざ者が「ちくしょう、舐めやがって!」とドスを頭上高々に上げて斬りかかってくる。彦次郎は冷静に峰の部分で受け止めて――素早く腹目がけて横蹴りをした。

 まるで胴体を斬られた感覚に陥ったやくざ者は呻き声と共にその場に崩れ落ちる。


「まずは一人ですね」

「……お、おい! 全員でやるぞ!」


 年長の男が二人に話しかけて、ドスを腰の高さに構えて彦次郎を刺そうとする。

 二人も遅れて、同じ行動を取った。

 彦次郎は左の壁を蹴って近づいてくるやくざ者たちを飛び越えて――背後を取った。


 振り向く前に一人の背中へ重みを乗せた蹴りで攻撃した。背骨が折れるかという威力だった。続けて倒れたやくざ者に視線を向けてしまった者に峰打ちで斬る。袈裟斬りの軌道だったので肩の骨が砕ける音がした。


「ぎゃああああ! 痛てえよ!」


 肩を押さえて倒れたやくざ者を一瞥することなく、最後に残された年長の男に刃を向ける彦次郎は「さあ、どうしますか?」と冷たく訊ねる。


「俺とまだ、戦いますか?」

「ま、待ってくれ! 話す、全て話す!」

「吉平さんは今、どこにいますか?」


 年長の男は両手を高く挙げて「組の屋敷にいる!」と早口で答えた。


「若頭のお気に入りなんだ! いつも傍にいる!」

「そうですか。では、吉江さんは?」

「そんな女知らねえ! 本当だ、嘘じゃあ――」


 そこまでやくざ者が話した瞬間、彦次郎は背後から殺気を感じた。

 転がるように右へ回避する――その空間をドスが通過した。


「ぎゃあ、ああ」


 年長の男の額にドスが突き刺さった。

 崩れ落ちたのを見て、もう助からないと彦次郎は分かった。


「極道だったら組の情報を話すな……カスが」


 声のしたほうへ振り返ると、着流しを着た男が立っていた。

 町人風の髷だが、明らかにカタギではない――左頬に刀傷が走っているからだ。

 中肉中背でしっかりとした体格。そして凄みのある表情。

 この人たちよりも格上らしいですね、と彦次郎は判断した。


「雄平一家の方ですか?」

「いいや。違うね。ま、極道ってのは間違いないが」

「別の組の人ですか? なら殺すのは不味いでしょう」

「カタギのお前さんが裏路地に呼び出された……だから助けた。そういう筋書きはどうだい?」


 彦次郎は「欺瞞ですねえ」と険しい顔で刀を納めた。

 とはいえ、いつでも抜けるようにしている。


「とりあえず、場を変えねえか? お前さんが知りたいことを俺ぁ知っているしな」

「その前に肝心なことを訊いてもいいですか?」

「うん? なんだい?」

「……あなたの名は?」

「おっと。こいつは失敬した」


 着流しの男はにやりと笑いながら名乗った。

 その笑みが彦次郎にはうさん臭く見えた。


「俺は銀三郎。日村組の若頭やっている極道だよ」

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