時詠みの魔女

英 悠樹

時詠みの魔女

「魔女様、お逃げください! 隣国の兵が!」


 響き渡る侍女の声に嘆息してしまう。

 どこに逃げろと言うのだろう。

 ここは塔の最上階。階下からは敵が上って来る。

 魔女とは名ばかりのただの女である私に、逃げる術など無い。

 空を飛んで逃げることなどできようはずも無いのだから。

 ここでただ大人しく、敵の裁きに身を委ねるだけ。


 この10年、この塔に閉じ込められていた。

 この部屋と窓から見える景色が私の世界の全て。

 外に遊びに行くこともできない。

 自由な恋など夢のまた夢。

 私は死ぬのだろうか。恋も知らぬまま。


 死にたくは無い。

 しかし、やって来るのは血に飢えた兵士達。

 何をされるかわからない。

 尊厳のために自ら命を絶たねばならないかもしれない。

 いざと言う時のための短刀を懐に、上って来る兵達を待ち受ける。





 やがて乱暴に開け放たれた扉からなだれ込んでくる兵達。

 その男たちが、一糸乱れぬ動きで扉の前に整列した。

 抜刀した剣を捧げる男たちが並ぶ中、現れた男を見て、私は声を失ってしまう。

 眩い金の髪。燃えるような深紅の瞳。

 黒い詰襟に金糸の刺繍の施された豪奢な軍服に、紅いペリーズを左肩に掛けたその長身は、男神もかくやと言わんばかりの凛々しさ。

 塔に閉じ込められ、世情に疎い私でもわかる。

 彼こそは隣国オルティア王国の若き金獅子───


 言葉も忘れ、ただ茫然と見つめていた、それが不敬であることに今さらながらに思い至り、平伏する。


「ようこそいらっしゃいました。オルティア国王レオンハルト陛下」

「そなたが『時詠みの魔女』か?」


 平伏している私には彼の表情など見えない。感情のこもらぬその問いに、非礼とならぬよう心掛けながら答える。


「はい。魔女などとははばかりり多きことながら、そのように呼ばれております」

「本当に魔女なのか?」

「いいえ。ただの人間にございます。ただ少し、未来を視ることができるだけ」

「ほう、ただの人間が未来を見通すか」


 彼の声に幾分かの興味が混ざった。淡々とした物言いは変わらないけれど。


「面を上げよ。話を聞かせてもらおうか」






 場所を応接用のソファに移し、彼の質問は続いていた。


「そなた、未来が見えると言ったな。今のこの状況は見えていなかったのか?」

「……あいにくと、自分自身の未来は見えません。いえ、見えたことはありません」

「ならば何が見える?」

「自らが望むときに、望むものの未来を見えるわけではありません。時に、天啓のように心のうちに閃くのです。未来の風景が」


 その言葉に彼は考え込むように頷く。


「なるほど。時詠みの力とやらも万能ではないと言うことか。それでは、今回の俺の侵攻も見えてはいなかったと」

「いえ、陛下が我が国に侵攻してくること自体は見えておりました」


 その答えに彼の目がすーっと細められた。探るような視線が私を射抜く。


「その割にはこの国の軍は迎え撃つ準備が出来てなかったように見えたが?」

「……黙っておりましたので」

「ほう……、祖国の危機に口を閉ざしていたと?」


 一段と低くなった声で発せられた問いに、一瞬気圧されそうになりながらも睨み返す。生まれ育った国だから無条件の献身を注ぐのが当然とでも言うのか。


「祖国として献身を求めるならば、それに値する扱いをして欲しかったものです」

「この国はそうでは無かったと?」

「この10年、この塔にずっと閉じ込められていました。まるで罪人のように。どうして愛することが出来ましょうか」

「なぜだ。そなたは『時詠みの魔女』。この国にとって大事な存在だろう。なぜそのような理不尽な扱いを受けていた?」

「それは……」


 その問いに下を向いてしまう。それは、女である自分の口から話すのは憚られたから。だが、いつまでも黙っているのは、不興を買うのでは無いか。心に浮かんだその恐れは、そのすぐ後に近づいてきた喧騒によって杞憂となった。






「レオンハルト陛下、国王エリダヌスを捕らえました」


 その声とともに、兵に連れてこられた男の顔は見まごうはずもない、この国の国王。私を塔に閉じ込めた張本人。


 エリダヌスは、かつて私に見せた尊大な態度とはうって変わって不安そうな表情を見せていたが、レオンハルトを認めると、表情を一変させた。


「レオンハルト殿、これは何事だ! 我が国に一方的に侵攻し、あまつさえ王である余に対するこの仕打ち! 断固抗議させてもらう!」

「黙れ」

「は?」

「黙れと言っている。こちらの礼を尽くした依頼を何度も拒絶し、使者を害し、あまつさえ脅迫をしてきたのは貴様の国では無いか!」

「だ、だが、時詠みの魔女に会わせろなどという依頼、聞けるわけがなかろう!」


 圧倒されながらも反論してきた言葉に、レオンハルトは薄笑いを浮かべる。


「お前たちが他国を脅迫する後ろ盾としていた時詠みの魔女が、ただの人間だと知られると困るからか?」

「!」


 絶句してしまったエリダヌスを見ながら思う。

 笑ってしまう。彼は私を他国への脅迫の後ろ盾としていたのだと言う。虎の威を借る狐のように。私を塔の一室に押し込め、全ての自由を奪っておきながら。

 気が付けば、パアアンッ!と、頬を張り飛ばしていた。


「なっ⁉」


 いきなりの暴行に、エリダヌスは一瞬呆気にとられた顔をしていたが、すぐにそれが怒りの表情に変わる。


「何をする、小娘! 『時詠みの魔女』と言うから何不自由ない生活をさせてやっているというのに。その恩を忘れおって!」

「何不自由ない生活⁉ これが? 塔の部屋に閉じ込められて外に出ることすら許されない。こんな生活が、あなたには素晴らしいものに見えるのですか⁉」

「貴様ぁっ、調子に乗りおって! 貴族などと言うもおこがましい下級貴族の娘が!」

「そこまでにしていただきたい、エリダヌス殿」


 わめき続けるエリダヌスを止めたのはレオンハルト。だが、エリダヌスはその矛先を彼に変えた。


「ふん、若造が! 金獅子などと呼ばれて調子に乗りおって! オルティアのような歴史の浅い国の王が余と対等だと思うか!」


 仮にも同じ王。歴史の違いはあれ、表向きは対等の存在として尊重しあう立場。ましてやエリダヌスは戦に敗れた側。そんなことすら忘れ去るほど彼は逆上していた。


「そうか、この女が気に入ったか⁉ 我が国に戦争を仕掛けてまで奪いに来たと! だが、残念だったな。その女の力は、純潔でなければ失われるのだ! 寝所で組み敷くことはできんぞ。それさえ無ければ、とっくに余が花を散らせ……」


 最後まで言い切ることはできなかった。

 突然のきらめく銀閃。ポーンと丸い何かが飛んでボトリと床に落ちた。


「ひ!」


 それはエリダヌスの首だった。次の瞬間、頭部を失った首から血を吹き出し、胴が床に倒れこむ。


「汚らわしい。お前はもう黙っていろ!」


 いや、黙ってろも何も、もう生きていませんから、などという突っ込みが喉元まで出かかるが、とてもそれを口にできる雰囲気ではない。一方、レオンハルトは剣を振るい、刃についた血を落とすと、私の方に向き直り、問いただす。


「この男が言っていたことは本当か?」

「……本当です。時詠みの力は精霊の力によるもの。純潔でなくなれば、魔力が濁り、精霊との契約がうまくいかなくなるでしょう。だから……殿方と接触することの無いよう、間違いが起こらぬよう、この塔にずっと、ずっと閉じ込められていました……」

「そうか」


 彼が近づいてくる。何をされるかと一瞬、身を固くするが、彼の手はただ優しく、私の頬に触れた。


「つらかったな」


 その声に顔を上げると、私を見つめる深紅の瞳と目が合った。そこに宿るのは優しい光。

 思わずドキリとしてしまい、慌てて身を離す。


「……私は、これからどうなるのでしょう?」

「お前には俺の国に来てもらう。もとより、そのために侵攻してきたのだからな」


 今後の身の振り方を問うた私に、間髪入れない答えが返ってくる。

 その答えは半ば予想していたもの。

 次はオルティア王国に「時詠みの魔女」として囚われるのだ。

 エリダヌスが死んだとて、私が自由になれるわけじゃ無い。

 そんなこと、わかっていたのに──


 そう諦念に囚われる私に、思いもかけぬ言葉がかけられた。


「国についたら、やりたいことを探せばいい。他国の襲撃から守るために護衛はつけざるを得ないが、後は好きにしてくれて構わないぞ」

「え?」


 理解が追い付かない。わざわざ他国に武力で攻め寄せてまで私を拉致しようとしたのに、好きにしていい、とは何事だろうか。


「なぜ? 陛下は時詠みの魔女である私を奪いに来たのですよね?」

「魔女の力で他国を押さえつけるこの国が許せなかっただけだ。お前は連れて帰るが、時詠みの力を求めているわけでは無い」

「それでよろしいのですか?」

「無論だ」

「なぜ?」


 そう、改めて問う私に、彼は笑った。どこか無邪気な、子供のような笑顔。


「最初から分かっている未来など面白くも無い。未来とは、自らの力で勝ち取るものだ!」


 それは、傲慢とも言えるかもしれない自らの力への絶対的な自信。だけど、目が離せない。そのまぶしさに圧倒される私は様々な風景を幻視する。


 風そよぐ草原を。

 戦場を駆ける騎馬たちを。

 舞い散る紙吹雪の中、進むパレードを。


 時詠みの力なのか、単なる私の願望なのかわからない。

 でも、これは、彼が将来目にする風景なのだ。それがわかる。

 そして私は強く、強く願う。

 この風景を彼と共に見たい、と。


 私は跪いた。


「レオンハルト陛下、私を共にお連れください。あなたのお側に」

「ああ、ついてきてくれ」


 跪く私に手を伸ばし、立たせた彼は、先ほどまでの自信に満ちた姿からは想像できないような、少し気恥しそうな顔を見せた。


「そう言えば、名を教えてくれ。いつまでも『時詠みの魔女』などと呼んでいるわけにはいくまい」


 その言葉がうれしくて、私も笑顔になる。


「ラティーナです。ラティーナ=エイゼス。これからよろしくお願い致します、陛下」

「こちらこそ。君を迎えることができて嬉しいよ、ラティーナ」


 ああ、彼とともに歩む。それがどこに行きつくのか。時詠みの魔女と言えど自分自身の未来を見通すことはできない。既知では無い未来。だが、感じるのは恐れよりも喜び。彼とともに紡ぐ未来。今、私はその新たな未来に踏み出したのだ。



========

<後書き>

初めて異世界恋愛ジャンルを書いてみました。いかがでしたでしょうか。

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時詠みの魔女 英 悠樹 @umesan324

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