売れない子役上がりの俳優なので引退しようと思いますが、幼馴染みの人気俳優が迫ってきます。
音央とお
第1話
演技の仕事を初めてもう20年になる。
子役の頃はそこそこ仕事を貰えて、名前は知らなくても「◯◯に出てた子」「◯◯のドラマの娘役の子」みたいに認知されていることはあった。知る人は知るというレベルから脱することはなく、年に数回エキストラやモブ役を貰えるくらいで、あとはバイトか事務所の雑用で小銭を稼いで暮らしている。
同級生たちは就職したり、結婚の話が出ている子もいるそうだ。
母親に入れられた世界だけど、20年続けたんだからもういいんじゃないか。とっくに母はステージママに飽きて、弟のサポートに忙しそう。名門サッカー部のレギュラーになったみたいで私よりも将来に希望がある。
「今年で俳優を廃業しようと思います」
事務所の先輩たちの奢りだという食事会で、ほろ酔いになりながら思いを口にした。先ほどまで和やかだったのに水を打ったようにしんとなるから、タイミングを間違えたかなと頭を掻く。
こんな風にみんなで集まることは少なくなったし、お世話になった先輩たちには事前に伝えておこうと思ったんだけど……。
「事務所を辞めるのか……?」
唐揚げを床に転がしてしまったタツキ先輩が恐る恐るという様子で聞いて来たので頷く。
「そうなると思います。私が関われるような仕事は事務所にないと思いますし、ちゃんと就職したいと思っているので」
「考え直さないか? まだ23だろう?」
「違う人生を送るならそろそろ転機の歳かと思いまして」
「……もったいねぇよ。若松は演技上手いじゃん」
そう言って貰えるのは有り難いけど、上手くても私じゃ売れないと自覚するには十分な年月だ。演技は楽しい、楽しいからこれ以上惨めになって嫌いになる前に辞めてしまいたい。
ピコンッと誰かのスマホが鳴ったと思ったら、タツキ先輩のものだったようでメッセージを確認したらしい彼は言いづらそうに口を開いた。
「ごめん、若松。今日は珍しい奴を誘ってたんだ。都合がついたみたいでさ、もう店の前にいるみたい」
「え?誰ですか?」
個室の中には6人いて、仲良くして貰っている先輩は揃っている。
「すみません、仕事が押して遅くなりました」
背後の襖が開いたので振り返る。キャップを深く被った男と目が合い、笑顔を向けられた。
「久しぶり、なぁちゃん」
「北斗くん……」
今を時めく野々宮北斗がなぜこんなところに?
タツキ先輩と仲が良いのは知ってるけど、もう何年も食事会に顔を出していない。私と違って忙しすぎて出せないというのが正しいけど。
事務所の新年会で顔を合わせるくらいで、まともに会話をしたのはいつ以来だろうか。
子役の頃と変わらず「なぁちゃん」と呼ばれたことに驚くけど、それ以外の呼ばれ方をしても違和感しかないか……。
私は映画やドラマで北斗のことを見ていたけど、年々色気が増していて、天使と言われた子役時代とは別人だ。若い女性層からアイドルのように人気があるようで、昨年初めて出した曲はその年を代表するヒットになった。
本人も作詞に関わったという切ない片思いの曲に、歌まで上手かったのかと驚いた。
北斗が来たことで私の話は有耶無耶になったので助かった。再び賑やかになった食事会はタツキ先輩が泥酔するまで続き、先輩たちに囲まれて楽しそうな北斗の顔を離れた席から見ていた。
話したい気もするけど、久しぶり過ぎて何を話せばいいのかも分からず、このまま解散かなと思っていたのに。
「なぁちゃん、もうちょっと飲もうよ」
二次会のお誘いかと思って「バイトもないし、いいか」と承諾したらまさかの他のメンバーはいなくて。
気付いた時には事務所が借り上げてるマンションの高層階の部屋へと誘われていた。売れっ子だけが住んでいるから、噂には聞いていても足を踏み入れたのは初めてだ。
「え?ええ?」
幼い頃からの知り合いとはいえ、男の部屋に上がり込んだのはまずいのではないだろうか。酔いがさめかけて狼狽している私をよそに、お酒とツマミを手際よく準備した北斗が隣に座れと手招きしてくる。
たぶん北斗は何も意識していなくて、変な空気を作らないためにも大人しくソファーに腰掛けた。
「そんなに見つめないでよ」
「だって、なぁちゃんの顔を見るの久しぶりだし」
高校の頃は同じ芸能クラスで、その頃の北斗は今ほどは忙しくなかったからよく話をしていたっけ。
「テレビ点けてもいい?」
「いいよ」
見たいものがある訳ではないけど、静かだと緊張してしまうから点けさせて貰う。……このテレビ大きすぎる。
「ねぇ、なぁちゃん」
「なに?」
「俳優辞めるの?」
「……うん、辞めるよ」
聞かれていないと思った話題が出てきて反応が遅れた。タツキ先輩から聞いたのかな。
「辞めて何するの?」
「就職したい。今より生活に余裕が欲しい」
演技の仕事は少なくても、人に見られていることは意識して美容や衣類にお金をかけて、食事や娯楽に使えるお金は僅か。食べ飽きたからと譲って貰った素麺ばっかり食べて、ここの玄関と変わらない大きさのワンルームで生活をしている。
まずはその環境から変えたい。
「就職か」と少し考え込んだ後、北斗は「それなら俺のマネージャーにならない?」と言い出した。
「え?」
「マネージャーになってよ」
「え!?」
「鈴木さんが手伝ってくれる人欲しいみたいでさ、頼むのは送迎とかになると思う。確か免許取ったじゃん」
鈴木さんというのは北斗のマネージャーで私も面識がある。強面だけど優しいおじさんだ。
「いや、それなら私より適した人いるでしょう」
「なぁちゃんがいいな。想像したらなぁちゃんしかいない」
「……なんでそうなる」
公にはされていないけど、北斗は事務所社長の孫で話がすんなり通ってしまいそうなのが怖い。本人の実力で勝負だとかで仕事のことでは贔屓しないけど、これくらいの我が儘は溺愛故に叶えちゃうのを知っている。
小学生の頃に私が事務所に声をかけられたのだって「なぁちゃんと一緒がいい」と言ったのが大きいと思ってるんだけど。
「“次の就職先が見つかるまで”でもいいよ」
「まぁ、助かるちゃ助かるから考えておくよ」
芸能とはかけ離れた仕事をしたいと思っているし、その誘いには乗らないつもりだ。
「本当は辞めて欲しくないけどね。俺はなぁちゃんの演技好きだよ」
北斗の頬がほんのり染まっているのは酔っているからだろう。売れっ子に褒められたら悪い気はしないけど、私は北斗みたいな演技力が欲しかった。自然な演技だと褒められるけど存在感はなく、次の仕事に繋がらない。
北斗は正統派のイケメンも怪演も出来て、その演技力は賞を取るくらいだ。
「もうこの話はおしまいにしよう。せっかく飲んでるんだからさ」
これ以上話したくなくてそう言ったものの、仕事以外の話題に困る。今の北斗が何を好きなのかとか知らないし……。
目を向けたテレビでは芸人が親子丼作りに挑戦していたけど、わざとかな?というくらい下手な出来で、案の定美味しくないらしい。
「後から参加したからあんまり食べてないんだよね。何か作ろうかな」
お腹を空かせているらしく、そんなことを言い出した。忙しいのに料理するんだね。
「食材何があるの? 簡単なもので良ければ作ろうか?」
「えっ!?」
「そんなに驚かなくても……。自炊はいつもしてるし、お酒とか振る舞って貰ってるからお礼にね。北斗くんは仕事で疲れてるでしょ?」
「なぁちゃんの手料理……」
変な顔してるけどそんなに不安かな?
上手ではないけど普通に食べられるものくらいは作れるよ?
「簡単なのでいいから! 冷蔵庫の中の物は何でも使っていいし、俺も手伝う」
「心配しなくても一人で作れるけど」
そんなに信用されてないんだろうか。ふて腐れそうになるが、北斗は笑みを溢す。
「一緒がいい!だって楽しそうじゃん」
すっかり遠い存在の青年になったと思ったのに、まるで小学生に戻ったかのようなはしゃぎっぷり。……これは可愛い。
売れない子役上がりの俳優なので引退しようと思いますが、幼馴染みの人気俳優が迫ってきます。 音央とお @if0202
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