金木犀のフィナーレ

「陽輝、私達もう上がっていいって。一緒に見て回らない?」

「あぁ、じゃあ行くか。」

文化祭当日は同じ学校とは思えないほどに校内の雰囲気が変わる。どこを見ても楽しそうに笑う人や、仕事に追われてるがそれでいてすごく満足そうな顔をしてる人が沢山いる。

「陽輝楽しそうだね。私は陽輝が沢山笑うようになって嬉しいよ。」

「そうかな。楽しくないといえば嘘かもしれないな。それに僕が変われたのは僕の力じゃない。」

隣を歩く彼女もいつもより楽しそうで僕も嬉しい。人の嬉しそうな顔を見て自分も嬉しくなるなんて去年の僕じゃ考えられない。それに彼女と一緒に過ごすようになってから、僕の周りに白いモヤが心なしか増えたような気がする。そのおかげで前を向くことも多くなった。そうして彼女と二人で文化祭を回って、後は後夜祭を残すだけになった。僕らは屋上で校庭に続々と集まる人達を眺めていた。

「もう文化祭終わっちゃうね。陽輝、楽しめた?」

西日に照らされてなのか、別の理由かは僕にはわからないけど彼女の顔を見ることができない。

「楽しかったよ。少なくとも去年の文化祭よりはね。」

「そうじゃなきゃ困るよ。でも良かった。楽しかったって言ってもらえて。」

「なんだよそれ。」

「陽輝はさ、ずっと一人で誰とも話そうとしないでいつも苦しそうな顔してた。」

ゆっくりと話し始めた。僕はなにも言えなかった。

「実行委員で一緒になった時、私正直限界だったの。毎日色々なことを我慢して、削って。そんなときに実行委員なんてもうだめかなって思ったの。やり遂げられる未来が想像できなかったの。完璧な私でいられなくなるかもって。」

西日に彼女の涙が照らされて輝いている。当然彼女のモヤは今までにないくらい真っ白に優しく彼女の周りをただゆっくり、静かに漂っている。

「でも、一緒に実行委員になってくれた陽輝は私の仕事なんてほとんど残ってないくらい、ずっとずっと動いてくれてたでしょ。私、先生に聞いたの。陽輝がいつそんな量の仕事やってるのって。放課後の下校ギリギリまで残ってやってたって聞いた時、罪悪感をね、感じたの。私は何もやってない、陽輝は自分は忙しくないからって言ってやってたけど私は陽輝のそんな優しさに甘えて、私は毎日のことでいっぱいいっぱいだって陽輝に甘えてた。」

「違う。あれは僕が勝手にしたことだから神崎さんが自分を攻める必要なんてないんだ。」

「でもね、罪悪感と一緒にそんな優しい陽輝のことをもっと知りたい、もっと近づきたいって思ったの。陽輝の助けになりたいって思ったの。だから私も陽輝の負担を減らしたいって思って、長田さんのお願いも仕事押し付けられるだけってわかってたけど引き受けたの。でもそのことに陽輝は怒ったでしょ?あの時びっくりしたんだよね。学校ではみんな私の言うことに同意してくれるし、あんなふうに怒る人なんていなかいから。」

僕の反論なんてその柔らかな表情で全部受け止めて、そんな慈愛に満ちた優しい気持ちになれる笑顔で彼女は続けた。四時のチャイムが鳴る。校庭では後夜祭でフォークダンスを踊る人達が並んで準備している。

「あの時、私ね村井さんに先に帰っててって言おうと思って動いたんだよ。前夜祭より陽輝と一緒にいたいって思ったの。でも毎日睡眠時間削ってたのが良くなかったのかな。私があんなことしなきゃ陽輝は普通に文化祭を楽しめたはずなのに。」

「それも違う。あの時僕がやったことにすると言ったのは、神崎さん、君の力になりたかったんだ。」

「え?」

振り返った彼女の目からは大粒の涙がボロボロとこぼれている。こんなの初めてだ。誰かの心の奥深いところで考えてるものに触れるのは。彼女がこんなに本気で涙を流すのは。

「僕は神崎さんのことは嫌いだった。いつも真っ白な本当の自分の上に真っ黒な偽りの自分を塗り重ねて、それでもその黒が欠けないように自分を追い込んでるのが。周りのやつらも嫌いだったけどその現状を進んで選んでいる君自身が嫌だったんだ。」

彼女は目を丸くして僕を見る。なんだか涙が流れるのが早い気がするが言わなきゃいけないと思った。

「僕は真っ白な本当の神崎さんのままでいてほしかったんだ。他の人とはぜんぜん違う、僕みたいな歪んだやつでも神崎さんの優しさに触れると心が暖かくなる、そんな人に傷ついてほしくなかったんだ。それでも僕なんかが神崎さんを変えることはできない。だから僕にできる最低限のことをしたんだよ。きっと白の上に重ねた黒だって到底僕にはわからない苦しみだろうから。だから僕はあんなどうでもいいような些細なミスなんかで、これ以上つらい思いをしてほしくなかったんだ。」

「でも、だって、陽輝が私を庇って自分がやったことにしたから、みんなからあんなひどいこと言われて、みんなして陽輝のことを」

「それは僕が望んで得た結果なんだよ。」

「なんで!陽輝は何も悪くないのに、悪いのは全部私なのに。なのに、なんで、なんで...」

「僕は心も性根も性格も何もかも歪んでいて、多分神崎さんの周りにいる人達みたいに真っ黒なんだと思う。それでも、僕は君に眩しいくらいの真っ白な笑顔でいてほしかったんだ。どんな人の心だって暖かく溶かして優しく包んでくれる、眩しいくらい真っ白な君でいてほしかったんだ。あの時僕は自分の心に芽生えたこの感情のことがわからなかったから、その得体のしれない感情に向き合うのが怖かったから君に深く関わらないようにいつも通り、僕なりの歪んだ解決方法しか思いつかなかったんだ。でも、この春、君が僕の席におはようと言ってくれるようになってから、君があの金木犀の丘に来るようになってから、帰り道君が横にいてくれたから僕はこんなに変われたんだ。」

らしくない。こんなこと。涙で視界がぼやける。たまに声が上ずる。それでも僕は彼女にもらったこの暖かい心をこの愛おしいほどに優しい感情を彼女に、胡桃に言わなければならない。

「私は、少しでも陽輝の苦しそうな顔が、その心が少しでも前を向ければって。そう、思って。」

彼女も涙で顔がぐちゃぐちゃだ。せっかくの可愛い顔がもったいない。でも僕だって同じようなものなのかもしれない。遠くから文化祭のフィナーレ、後夜祭の挨拶が聞こえてくる。

「あぁ、僕はその優しさに、救われたんだ。毎日がどうしようもないくらい辛くて、誰にも話せない苦しみを一人で抱えて、ずっと下を向いていた僕に手を差し伸べてくれた。他の誰でもない君が。君が横にいると僕の真っ黒に染まりきった心もいつか君みたいに真っ白な優しい心になれるのかなって、そう思えたんだ。僕は君に十分なくらい沢山のものをもらったんだよ。きみのおかげで毎日に希望を見いだせるようになったんだ。」

「陽輝...。私も、私もずっと苦しかった。みんな私を見てくれない。私の偶像しか見てくれない。でも陽輝は本当の私を見てくれた、それだけで私は報われたし、もっとがんばれたの。私だって陽輝に十分すぎるほどのものをもらったの。」

後夜祭の花火が打ち上がる。空はすっかり暗くなってしまった。でも胡桃の周りは優しい光で満ちている。花火の光に照らされて僕らの横に影が伸びたり、またフっと消えてしまったり。

「お互いもらってばっかりだったのかもね。」

胡桃の笑顔がとても愛おしい。僕は確信した。この感情の色を形を、匂いを、温度を。

「神崎、いや胡桃。」

「ーーーっ。」

胡桃の目が大きく開く。ずっと泣いていたからか肩を大きく揺らしながら僕の顔を見る。

「僕は胡桃と過ごして、胡桃と笑って、驚いて、同じくらいもう十分すぎるほど苦しんで、ようやく見つけたものがあるんだ。こんなの僕は生まれてはじめてのものだからどうしたらいいのかわからない。」

胡桃はまた涙をぼろぼろ流しながら黙って僕の話を聞いてくれている。

僕はこれから前を向いて歩こうとしている。


今までモヤの存在のせいにして人の優しさを知ろうとしなかった。


でもそれは間違いだって、それじゃ前には進めないって胡桃が教えてくれた。


僕に見せてくれる真っ白な笑顔。


僕にふれてくれる暖かい心。


その眩しすぎるほどの神崎胡桃としての、一人の人間としての輝き。


僕はそれに少しずつ、一歩ずつ、ふれていきたい。


前に進むために。


本当の僕の人生を一からもういちど始めるために。


「胡桃。僕は胡桃が好きだ。もうこの感情に背を向けない。胡桃がいたから僕は胡桃を好きになれた。胡桃がいなかったら僕は未だに真っ黒の心を抱えて下を向いて立ち止まっていると思う。僕はこれからも胡桃の側にいたい。胡桃の隣を歩きたい。胡桃と一緒に色々な感情にふれていきたい。僕は胡桃が神崎胡桃が大好きだ。」

涙で前が見えないはずなのに胡桃の顔がよく見える。

あぁ、きれいだ。その眩しい笑顔に僕は、恋をしたんだろう。

「私も陽輝が、中村陽輝が、大好きです。」

僕らは強く、強く、抱きしめあった。

お互いの心にそっとふれるように。


暗闇の中、花火が僕達二人を照らしてくれる。


金木犀の香りが鼻をくすぐる。


最後の花火が打ち上がった時、僕らは唇を重ねた。

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金木犀の下で、僕は君に恋した。 蒼 春 @aoi_haru

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