閑話3 字が汚いルゼ

 ルゼはクラウスの執務室で一人、新薬の作り方を書いた紙を睨んでいた。


「……あの薬は作り方を変えたのか」

「あっ」


 背後から唐突にクラウスの声が聞こえてきたため、咄嗟に紙を手で隠して振り返る。


「あれは色とにおいが駄目でしたからね!」

「……そうか」


 クラウスはルゼの焦りように訝しげな表情をしていたのだが、すぐに椅子に座ってしまった。

 ルゼは、自分ができないものを見せたくないという性癖を持っている。今しがた隠した紙を見つめ、ぼんやりと過去見た中で一番美しかった文字を思い出した。


(……字が綺麗なんだよな……)


 クラウスの字は達筆でバランスが良く、行が傾いたり文字が詰め込まれたりしていなかった。細いペンのようなもので書かれてあり、インクの掠れている部分ですら美しさに拍車をかけている。


 対してルゼの字は行が斜め上に向かってしまっており、それに気をつけたら字の大きさがまちまちになっていた。インクは掠れているところはない代わりに終始つけすぎであった。字間もまちまちで、いつも最後の方が入らなくなるので小さくして詰め込まれていた。


 以前ルゼは報告書を一旦クラウスに見せて確認してもらった後、ウォルターに提出したことがあったのだが、その時に「人に読ませることを想定していない」として再提出を命じられたことがあった。ルゼはその時クラウスに、言ってくれればいいのに……と恥ずかしさのあまりに嘆いたのだが、クラウスは読めれば問題ないと言うだけだった。


(……読めないではないですか!)


 クラウスは難なく読んでくれるのでルゼも気にせず好きなように書きしたためていたのだが、この前アランと魔力の扱い方について土に図や文章を描いて話し合っていたときに、アランが「お嬢様は口頭だと意味が分からないですけど文字だと訳が分からないです」と困惑した顔で言っていた。


 ルゼはクラウスの文字をなぞったりインクの量を意識したりして頑張っていたのだが、そうすると多少は綺麗な字が書ける反面、何を書きたかったのか忘れてしまう。

 しかしルゼもクラウスのような字を書きたいのであり、字が汚くて他人に伝えられないというのでは文字の意味を成さないため、最近では隠れて文字の練習をしていたのである。

 そして練習して自分の字が汚いと認識して以降、人に文字を見られるのを恥ずかしがっているのであった。


「俺が読めれば問題ない」


 ルゼが自分の書いた文字を睨み、一番汚い文字を紙の端に書き直して練習していると、クラウスが書類にサインをしながらそう言った。

 ルゼが自分の字に悩んでいることを知っていたのであろうか。


「……私の文字の話をされていますか?」

「ああ」

「私の字は汚いですか」

「……変」

「……例えばどのように」

「…………?」


 クラウスは手を止めると暫く考え込んでいたのだが、ん? とよく分からないような顔をしてすぐ公務に戻ってしまった。


 その反応に、ルゼは大きく息を吸い込むと一大決心をするかのようにしてお願いした。


「クラウス様、時間があるとき……があるのか分かりませんが、私に綺麗な字の書き方を教えてくださいませんか」


 あまり人の時間を奪いたくないのだが、どうしても読める文字が書きたい。

 クラウスは書類にサインを入れたり入れなかったり大事そうな書類を捨てたりしながら、ルゼを見ずに答えた。


「最近ウォルターに再提出を言われることも少なくなったのだろう。十分ではないのか」

「あれらは内容よりも書く文字を意識したから完成した作品なんですよ」

「作品」

「字が汚いせいで、クラウス様に情報を伝える手段が一つ減ってしまうのです」

「読めるよ」

「恥ずかしいです」


 クラウスは手を止めずルゼも見ずに話していたのだが、しょげるルゼを一瞥するとペンを置いて顔を上げた。


「ルゼ」

「はい!」

「……」


 ルゼはソファを立つとクラウスの隣に立ったのだが、なぜか膝の上に座るように催促されている。


(……なんで膝の上なんだろ……)


 クラウスはルゼの手に先程まで使っていたペンを握らせ、その上からルゼの手を覆うようにして自分の手を重ねた。


「え……」

「インクはそこまでつけなくていい」


 そう言って、クラウスに動かされるままにルゼの手が動く。


「力みすぎない」

「……」

「正しいペンの持ち方がある」

「……」


 クラウスはそう説明しながら力の入っていないルゼの手を動かして、何か重要そうな書類にサインをした。

 綺麗な字が紙の上に浮かんでいる。


「……こ……」

「こ?」

「……これは意味がない気がします……」


 耳元で囁かれる説明と自分の手を包む大きな手に何も頭に入らなかった。


 クラウスはその時初めてルゼに視線をやったのだが、顔を真っ赤にしているルゼを見ると再び紙に視線を戻し、ペンを握っているルゼの小さな手を握りしめた。


「……ひっ……」


 クラウスは楽しそうに笑いながら紙の山から一枚白い紙を引っ張り出すと、ルゼの手でさらさらと何か文章を書いている。


「!」

「ははは」

「うるさいです!!」

「お前に問題がある」

「緊張するの!」


 ルゼはクラウスの手を払い除けると今度は自分でペンを握りしめ、紙に顔を近づけて文字を書こうとした。


「……姿勢も悪い」

「……も?」

「……」


 ルゼは目が悪かったときの名残で、紙に顔を近づけすぎる癖があった。


 上体を起こして姿勢を正すと、クラウスのペンの持ち方を真似てペンを持ち、インクをつけて自分の手で文字を書いた。

 その様子をクラウスが後ろから見下ろしている。


「……」

「どうなんですか」

「言おうか」

「……いえ結構です……」

「ははは」

「…………」


 今度はクラウスがペンを持ち、紙に文字を書く。


 綺麗な字と奇妙な図形が交互に描かれた紙が一枚、二人の前に完成したのだった。



 ========


 字を教えているだけだがお前には違うようだ


 あなたは どうして私に求 婚したのですか


 一目惚れかな

 -:_=’·_ 

 読めない

 

 クラウス様も素敵です。

 言って

 嫌


  私は 少し後悔し ています

 なぜ

 あなたの心臓の傷と痣が 治っていない から

 俺は この痕を嫌 ってはいない

   まねをしないでく ださい!

 お前の字は変だが変えなくて良いと思う


 クラウス様にしか読めないではないですか

 それの何が問題なんだ

 逆になぜ問題がないと思うの ですか

 俺にしか分からないものがあっても良いだろう

 

 :-="_--!


 読めない


 ========

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復讐令嬢の異議申し立て 三辺 志乃 @minabe_shino

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