閑話2 カイルの望み

 ヤナがまだ宮殿仕えの騎士になる前、夕方の訓練終わりに新人騎士のカイルが話しかけてきた。


「ヤナ! そろそろ妹に会いに家に来ないか」


 一年前、大口を開けて笑う姿が可愛いという理由で告白されて以来、カイルとヤナは恋人のような関係になっていた。カイルは妹の話しかしないが、最近では妹と恋人を対面させようと画策しているようなのである。

 ヤナはこの提案に眉尻を下げて微笑んだ。


「いや、私は同性からは嫌われやすい人間だ。小さい子との接し方も知らないし、それにお前の家は私には敷居が高い」

「ルゼは人と壁を作らないから問題ない! それに僕の家に敷居なんてないよ」


 敷居なんてない、と大した事のないように言われたが、ヤナは辺境の地にある取るに足りない家の出なのである。ヤナには、誘われたからといって、宮殿に仕える大臣が仕切っているレンメル公爵家の門戸を安易に叩くことはできないのだ。


「あの人たちは他人に興味なんてないから大丈夫だよ。それに二人とも部屋にこもりきりだから鉢合わせはしないと思う」

「私は空気が読めない人間だ。お前の妹に心無い言葉を浴びせて余計に生きづらくさせてしまう」

「それを気遣ってくれてる時点でヤナは優しいと思う。妹は同世代の子からは軒並み嫌われてるし親にも放っておかれてるから、僕だけが話し相手で楽しいかどうかわからないんだ」


 カイルは一度提案したことは、その理由に納得するまで引かないのである。ヤナはただ、カイルが愛してやまない妹の顔を見たくない一心でそれらしい理由を並べているのだが、一向に伝わりそうにない。

 説得を試みてくるカイルに、ヤナは顔をしかめて返答した。


「優しい人間だという勝手な想像を押し付けて、私に役割を強要するのをやめろ」

「……すみません」

(……怒っているわけではないんだ……)

「……なぜそうまでして私と妹を会わせたいんだ」


 ヤナは空気が読めない云々以前に、語調が厳しくなりがちであったため、初対面の人からは敬遠されがちなのである。

 小さくため息をついて質問すると、カイルが破顔して答えた。


「可愛い妹と愛しい恋人が同じ空間にいたら、多分そこは天国だと思うんだ。僕は黙っておくから、二人で楽しく話しているその横にいさせてほしい」

「……お前、よくそんなことを平然と言えるな。しかも、言っていることが少し気持ち悪い」

「駄目ですか」


 カイルは普段ヤナを年上のように見ていないような気がするのだが、こうして時折敬語を混ぜてくることがあった。そのため、カイルは無理して敬語を使わないようにしてくれているのだろうか、などと考えるヤナである。


「うーん……。お前の妹に好きな人ができて、お前が失意の底に沈んだときなら考えてもいい」

「……」

「冗談だ!」


 想像したのだろうか、思った以上に悲痛な顔をさせてしまった。

 

「そ、そう言えば次の配属先は同じ場所だったな! 私は嬉しい」

「……ああ、それで言いたいことがある」

「おお、何だ何だ。何でも言ってみろ!」


 いい感じに話題がそれたようであるが、カイルにしては神妙な顔をしているため何か良くない話なのだろうか、とヤナも気を引き締める。


「今、隣国との情勢が少し不安定だろ。配属先が変われば前線部隊に入れられることもあると思うんだ」

「そうだな」

「二人ともいつ死ぬか分からないではないですか。死に際に会えないこともあると思うんだ。それで、前もってヤナに言っておこうと思って」

「……何を」


 遺言のようなものを聞かされるのだろうか。カイルはいつも言うことが重いと思うのだが、黙って聞くことにする。

 カイルは小さく息を吸うとヤナを見つめた。


「僕が先に死ぬことがあったら、6ヶ月くらい悲しんでから新しい恋人を探してほしい。それと、死後5年くらいは墓の前に僕の好きな酒を置きに来てほしい。その時には妹と墓の前で何でもいいから話して。新しい恋人は一回連れてきてくれたらもういいから」

「……はあ?」

「頼みます。では」

「おい……待て待てカイル、言い捨てて行く癖をやめろ」


 軽く頭を下げてそう言うと立ち去ろうとするカイルの腕を掴んだ。振り向いたカイルは顔をしかめてはいるのだが耳が赤くなっているような気もする。まさか今ので愛を伝えた気にでもなっているのだろうか。


「……なんでしょうか」

「何だはお前だ。何だ今の妙な告白は。普通に好きだと言えないのか」


 カイルは、一番最初にヤナに告白して以来一度もそういうことを言わなかった。それどころか妹の話しかしないのである。

 ヤナがそう言うと、今度は照れ隠しではなく不本意を表現して顔をしかめられた。


「好きだと言うことに何の意味もないだろ。僕の今の言葉の方がよっぽど気持ちを伝えられているし、死後もヤナを拘束できる」

(……重いだろ……)

「なぜお前はいつも気色の悪い言い方しかできないんだ。妹にも同じことを言うつもりか」

「出征の前夜には言いたい」

「……兄の威厳が保てているうちにやめておいたほうがいい」


 顔をしかめて忠告するヤナに、カイルが不可解そうな顔をしている。


「何が駄目なんですか」

「妙に期間を取り決めているところと未練がましいところだ。そんなどうでもいいことで頭を悩ませている暇があったら、一秒でも長く剣の鍛錬でもしておけ」

「……今のは僕の告白なんですが」

 

 精一杯の愛の告白をどうでもいいと一蹴されたことが気に入らないのだろう。ヤナはカイルの背をバシバシと叩いて大きく笑った。


「分かっているから、死なないように努力しろと返事をしたんだ! 馬鹿かお前は。いつも一方的に感情を吐き捨てているから鈍くなるんだ」


 カイルはいつも自信満々で自分の意見を主張するのだが、こうして否定されるとすぐに意気消沈してしまうところがあるのだ。

 ヤナの背を叩く振動に揺れたまま、カイルがぼそりと呟いた。


「それで、僕の願いは聞き遂げてもらえるんですか」

「心配しなくても、こんなに格好悪いやつはそうそう忘れない。お前の死後半世紀くらいは悲しんでやる」


 ヤナは妙な告白をしてきた恋人に尚も元気よく返答したのだが、ヤナのその言葉はカイルの想いとは少しずれていたようで、渋い顔をされてしまった。

 カイルの後頭部を鷲掴むようにして髪の毛をめちゃくちゃにしていたのだが、その手を払われると正面から見下された。カイルとは滅多に目が合わないのだが、随分真剣な、あるいは怒ったような表情をしている。


「ヤナの前にいる時の僕なら格好悪くないはずだ。あと、半世紀は長すぎる。6ヶ月でいい」


 妙なところで怒り出すカイルを、ヤナもまっすぐに見返した。


「私の前にいる時が一番かっこ悪いだろ。それに、好きなやつを半年で忘れられるものか。悲しむ期間くらい私の好きにさせろ」

「……」


 眉根を寄せて冷ややかな視線を向けられた。

 心底嫌そうなその表情に、恋人に向ける顔ではないとヤナは毎度思うのである。


「おい照れているのか? よくわからんやつだなお前は。人には言うくせに言われ慣れてない」


 照れているのかどうかは定かではないが、ヤナがカイルから言われる婉曲的な表現を直接的な言葉に言い直して返すと、カイルはいつもすっと表情をなくしてしまうのだ。

 カイルはヤナの手を離して踵を返し、スタスタと歩きだしてしまったので、ヤナも微笑してその後を追う。


「そんな恥ずかしいことをよく言えるな」

「言っておくが先に言ったのはお前だ」

「ヤナが曲解してるだけだろ」

「調子に乗るなアホ」


 カイルが異常なまでに愛を寄せているルゼという名の少女でも、自分の前にいるカイルは知らないのかもしれない。ヤナは、勤勉で優しく元気だと言うカイルの妹に会ってみてもいいかもしれない、と思うのだった。


 ✽ ✽ ✽


 ルゼがまだ騎士の姿に扮して騎士団の訓練に混じっていた頃、ヤナは迷った末に一本の酒を持っていた。


「───だが、私はカイルの墓があるのか、あったとしてもそこであいつの死を悼んでも良いのか分からないんだ。墓があるのならこの酒を置いてくれないか。なかったらあなたに飲んでほしい」

「はあ……」


 ルゼはそこそこ高い酒の瓶を受け取ると顔をしかめて眺めており、ため息をつくと頭を下げている。


「すみません。故人になってもヤナ様のお心を留めておきたいだなんて浅ましい兄で……」

「ははは。いや、言われずとも私にはカイルを忘れられそうにない」


 6ヶ月悲しんで新たな恋人を作れというカイルの願いは、10年経った今でもヤナには叶えられそうになかった。

 ルゼは顔を上げると眉尻を下げて微笑んだ。


「実は私もレンメルの墓がどこにあるのか知らないんです。唯一の血縁である私が10年姿を隠していたので、恐らく遺灰にされて土に撒かれたのだと思いますが……」

「……そうか。すまない、身勝手なことを頼んで」


 レムナリア国では、引き取り先のない遺体は高温の炎で焼かれ、遺灰にされて土に埋められる。引き取り先のある場合だと、遺体か遺骨を土に埋めて墓が建てられることが多い。

 ヤナは、どこかの土に埋められたカイルの遺灰を想像して苦しくなると同時に、カイルの妹であるルゼにそれを考えさせてしまったことが申し訳無かったのだが、ルゼは予想外にも柔らかい笑みを向けてくれた。


「いえ、宜しければ一緒に飲みませんか? 墓の前ではないですが、ヤナ様のお話を聞かせてください」

「……」

「お嫌ですか?」

「……いや。ぜひご相伴に預かりたい」

「堅いですよ。カイルの妹として……」


 恐らくルゼも同じことを考えたのだろう、言葉に詰まっている。

 もはやルゼがヤナの義理の妹になる未来はなく、ヤナはカイルの知り合いとして酒を飲まねばならない。ヤナにもカイルが最終的に自分を選んでくれたかどうか断言できるほどの自信がなく、何の関係性も作れなかったルゼと酒の席を共にするのは気まずい思いがあった。

 ルゼは、カイルの妹として酒を飲むからカイルの想い人として相手をしてくれと言いたかったのだろうが、ヤナが今でもカイルを愛しているのか分からずに言い淀んだのだろう。


 ヤナは、言い淀んでくれるルゼを見下ろし、いつも通りにこりと笑う。


「いや、あいつは今でも私を好きに違いないな。私の気持ちがこんなにも冷めていないのに、あの一途な馬鹿が私から離れるはずがない」


 突然のヤナの宣言に、ルゼは一瞬キョトンとしたあと笑ってくれた。


「勝手にあれの恋人としてあなたと酒を飲むことにしよう」

「ふふ。嬉しいです」

「あなたに会えて良かったです」

「そうですか?」

「なぜ疑うんだ」

「忘れ形見はない方が良いような気がしますから」

「そうだろうか……」


 カイルの願いは一部だけ叶えられた。

 酒の場で、ヤナは目の前の少女が義妹として存在する世界を想像し、少しだけ胸が締め付けられるのだった。

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