化ケモノ

ゆげ

 性転換する生物がいると知ったのはいつだったか。例えば、クラウンフィッシュは一番大きな個体がメスになり、他の魚がオスとして機能する。メスがいなくなると、次に大きなオスがメスに転換するという。ウナギも成熟するまでオスとして生き、その後、環境条件によってメスに転換する。ヒトデやカタツムリもまた、成長や環境条件に応じて性を変える。これらは自然現象であり、生殖腺まで変化するというのだから驚いた。だが人間は違う。環境や条件による自然な変化を受け入れることなどできない。自分の身体が本来の性別と一致しないとき、その事実は修復不可能なバグでしかないのだ。


 そう、私の体にはバグが起きているのだ。幼いころ、その感覚はただ不思議なものだったが、まもなくして嫌悪感へと変わっていった。そしてまた、私の内側で何かが変わりつつあった。



 最初は微かな違和感だった。鏡の中の自分が少しずつ変わっていくのだ。それは徐々にエスカレートしていき、願望をそのまま形にしたような可愛らしい顔が現れた。そしてついに、その存在は私とは完全に切り離され、新しい命が吹き込まれた。その顔は私に向かってゆっくりと微笑んだ。私はこれまで感じたことのない奇妙な幸福感に包まれたが、その感覚はすぐに消え去った。

 

 優しかった笑顔が狂気に満ちたものへと変わっていく。口角は不自然につり上がり、光を失った目はただただ不気味だった。目の位置がずれ、輪郭がぼやけ始める。私はその顔から目が離せなかった。


……ぽたり。


 何かが垂れた。こんなときだというのに、ふと幼いころの記憶がよぎった。私は雪だるまになりたかった。日に照らされた雪だるまが溶けていくのを見て、自分も同じように跡形もなく消えてしまえばいいと思っていた。だが、鏡の中の私は溶けていたのではなかった。私はゆっくりと腐敗していた。

 

 崩れかけた腕が伸びてくる。こちらに触れようとしているのか。反射的に鏡から離れようとしたそのとき、バリっと音がして背中が裂けた感覚がした。体が裂けた経験などないが、確かに裂けた感覚だった。背後に冷たい気配を感じた。

 

……ぱり。


 亀裂が広がり、何かが出てきたようだった。体が凍りついたように動けない。恐怖に押しつぶされそうになりながら、意を決して振り返ると、そこには何もなかった。なぜかほっとした自分がいた。再び鏡に向き直ったとき、そこには変わらぬ自分が映っていた。他の生物みたいに順応できない自分。世間にとっては異質な存在でしかない自分。人間の世界に紛れ込んだ――化ケモノ。



 ずっと。

 消えてしまいたかった。

 何か別の存在になりたかった。

 それでも。

 静かな絶望の中で、私は息をしていた。

 


 私の作り出す悪夢はいつも矛盾に満ちている。繰り返す幻覚が私の心を少しずつ蝕んでいった。鏡の中の私は目が虚ろで、まるで何もない世界を見つめているようだった。私はもう、自分が誰なのか分からない。自分が本当に存在しているのか、ただの幻覚に過ぎないのかさえも、分からなくなっていた。

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