二度と開けない

衣純糖度

二度と開けない



五人の死体が発見された。

発見された場所は東北地方の山奥の鍾乳洞だった。観光地としても知られており、観光客を迎えるための売店や大きな駐車場もあり、観光シーズンになれば毎日一定の人が訪れていた。駐車場から看板の案内に従って歩いてゆけば、その鍾乳洞の入り口が現れる。

俺はその入り口の前に立っている。

中をじっと見れば太陽の光は届かず、薄暗いのがわかった。一歩踏み出して、その中に入れば、肌をしっとりと撫でるような冷気を感じられた。

人工ライトが照らされた道は、人が二人すれ違えるほどの道幅で、うねる道の先が見えないためうっすらとした恐怖感を感じる。岩肌の不規則な凹凸は人間ではきっと作れないような色合いと形状で自然の脅威を示していた。

しかし、地面は鉄板などが使用され整えられており、安定して歩くことができた。

うねる道中をその道ゆくままに進めばやがてほのかに人口光ではない、明るい場所が見えてくる。

道の終わりに空間が開ける。小さい広場のよう場所があり、広さは10人程度ならゆったり立っていられる程度で、上の空間を大きく開いていた。その広場をそのままさらに真っ直ぐに進めば、突然地面がなくなってしまう。

落下を防ぐために置かれている柵から慎重に下を除けばそこから5メートルほど下にまた地面がある。

ほぼ90度に削られてしまっている崖は落ちれば無事ではいられないだろう。下に降りるための道や道具は一切ない。上から見るだけになる。

その崖の下は今いる空間よりさらに二倍ほど広い空間が広がっておりその中心部には石の仏像があった。仏像はは古く、いつ誰がどんな目的でそこに設置したのかはわかっていない。崖の上から見て何月による劣化によって元の形がどうだったかもわからないほどになってしまっていた。

けど、以前はしっかりとした仏像の形状をしており、菩薩像であったことがわかっている。

調査で直接測った際には仏像の土台を含めても2メートルほどの大きさだったと報告されている。簡単には降りれないため管理が難しく、自然に晒され続けた結果、大まかな形がわかるが、苔に覆われてしまい細部を確認できない状態になってしまった。

洞窟に突如現れる仏像は異様な光景だ。しかし、それを更に異様にさせているものがあった。

その仏像の上には本来は岩天井があるはずなのにちょうど仏像の頭上だけ円状にくり抜かれており、そこからは青空が見えた。意図的にくり抜かれているそのか穴から晴れた外の光が差し込み、その仏像を照らした。光一つない暗い鍾乳洞でその仏像だけが一身に天上の光を受けておりこの場所だけこんなに明るいのはそのためだった。

観光客はそんな神々しい光景を見るためやってくる。

しかし、今は観光客は誰一人居らず、俺が一人佇むだけだった。観光シーズンでないことも関係あると思うがそれ以前に一つの問題があった。

昨年の今頃、ここで五人の死体が発見されたのだ。

崖から落ちたその五人の死体は仏像の目前に散らばるように落ちていたそうだ。五人は崖から落ち、頭を地面に打ちつけた。ゴツゴツ岩場に頭を強打してしまえば無事で済むはずなく、全員が亡くなった。発見された時、崖から落ちないための安全装置としての設置された柵が五人と一緒に落ちていた。警察としては全員が柵に体重をかけたため、柵の根元が折れてしまい全員が一気に落ちたと推測し、不慮の事故としてこの事件を扱った。

しかし、事故というには不審な点が多すぎた。

一つにその集団が鍾乳洞に行ったのは0時を回る程の深夜だったことだ。営業は17時まで、それ以降には人は入らないようにとされていたが、五人は人目を盗んで忍び込んだ。鍾乳洞の中で日光に照らされる仏像という非日常を見るために人はそこを訪れるのに、なぜ深夜の真っ暗な中、そこに行ったのか。

二つめに、その集団の関係性が一切不明だったためだ。

その場で死亡していたのは北海道在住の10代の男の子、東京在住の30代の女性。北陸地方在住の50代の男性。九州地方在住の40代の女性、東北地方在住20代の男性の五名だと当時の新聞記事は記載していた。

その肩書は学生だったり、主婦だったり、会社員であり、共通点は一切なかった。どうやって知り合ったのか、なぜ一緒に鍾乳洞を目指すことになったのか。一切が不明だった。事件が報道された当時は集団自殺や鍾乳洞の呪いだ、と様々な憶測が流れたが、結局、事件は事故と処理されて、人々の記憶から忘れられていった。


これまでにまとめた内容を頭で反芻しながら、俺は再び目の前の仏像をみる。

今日は晴天で、仏像は天井からの日差しを一新に受けている。確かに、観光地として見る価値のある光景だと思った。突然、異世界にきてしまったような非日常を味わえる。

写真で何度も見た場所だが実際に来るのは初めてだった。ここで、亡くなったのか。そう思うと心臓が絞られるような感覚になる。雰囲気も相まって余計に俺は呼吸が荒くなっていく感覚があった。柵に近づく、どれほどの高さなのだろうと思って下を覗くため胸辺りまである柵の上から頭だけ出そうとする。

その時だった。

「おい、あんたあんまり柵から身を乗り出すな」

低い声が後ろから聞こえて、俺は驚きで肩を大きく震わせてしまった。勢いよく振り返って声の主を見れば薄闇の中にハゲ頭の腰の曲がった老人が立っていた。驚いて目を見開いている俺に老人は「ああ、すまんすまん」と言った。

「悪い。驚かしちまったな」

老人は俺に謝りつつ、俺の近くへ来て、向かい合う形になる。

「ここで事件があって、何人か死んだことがあるんだ、だからついな。危ないと思って」

老人はそう言って少し笑みを浮かべた。その笑みからその人柄の良さが伺えた。

「いえ、危ないですよね、すいません」

「あんたこんな時期に来るなんて珍しいな、観光か?」

老人は親しげに話しかけてきて戸惑いつつも俺はそれに応えた。

「まあ、そんな感じです、えっと…お父さんはどうしてこちらに?」

「まあ散歩みたいなもんだ。この場所の下の集落に住んでんだ」

その言葉で俺は目を見開く、老人は俺は最大の目的であった人に出会えた。目を見開いた俺に老人は戸惑っているようだった、俺はチャンスを逃すまいと、老人に告げる。

「…実は観光ではないんです。先ほど言っていた事件現場を見たくてきています」

そう告げれば、にこやかな老人の顔は急に険しくなった。

「…ふざけたことはやめてくれよ、肝試しだなんてふざけた奴らが来るようになって困ってんだ。あんたもそういう輩か?」

老人の声が低くなり、眉に皺を寄せた。おれは慌てて弁解をする。

「違います、違います」 

手のひらを向けて横に振る。しかし、老人の疑いの眼差しは変わらない。俺は弁解のため咄嗟に思いついたことを告げる。

「俺は…実は、探偵なんです」

「…探偵?」

「この事故の被害者の家族の方から、なぜ亡くなったのか調べてほしいって言われてるんです」

そう言えば老人は険しい表情がおさまった。

「そうか、そうか。そういうこっか」

納得してくれたらしく、一人頷く素振りをしている。

「ええ、なので地元の人から何か情報があれば聞きたいと思ってたんです。ぜひ、お話を聞かせてください、お願いします。」

そう言って俺は頭を下げた。

「まあいいが….。その身内の人は、あんたになんて言ったんだ?」

俺は頭を上げて返答する。

「…その人は事故だとは思ってなかったみたいで、殺されたのか、自殺のどちらかだと言ってました。けど、妻が自殺したとは思えないから、調べたい。そう、言ってました」

「そうか…」

老人はしばらく考えた後、

「俺も自殺だとは思ってない、あれは事故だ」

老人は確信を持って断言した。

「何でわかるんですか?」

「今から話すことをその人に話してあげてくれるか?自殺じゃないってわかるはずだ」

その後に老人は付け加える。

「最初に聞いとくが、ここ最近、あんたの身内や近しい人が亡くなったことはあるか?」

「…なぜですか?」

俺が不思議そうに聞き返せば老人は「いや、」と言葉を続けた。

「いなきゃいいんだ。まああんたがこれから話すことを信じられねぇかもしんねぇしな」

長くなるからと言って老人は地面に座ったので、俺も習うように隣に座った。老人は柵越しの仏像を眺めながら語り出した。



あんた、ここいらで二十年前にあった土砂崩れがあったのを知ってるか?

…しらねぇよな。そうだよな。それで二人の子供が巻き込まれて死んだ。二人とも女の子で、数日前の大雨の影響で地盤が緩んだ付近の公園にいてな、一緒に遊んでたんだ。

その一人が、俺の娘だった。

人生の後悔なんて沢山あった。けどな、その後悔が霞むほど、俺は悔やんだ。危ないから山の公園にはぜってぇ行くんじゃねえってなんで止めなかったんだって。山の怖さを知ってたのに。何度も何度も悔やんだ。まだ10歳だぞ、早すぎる。末娘だった。目に入れても痛くねえぐらい、可愛かった。

警察や地元の人みんな協力して、娘の、幸の遺体を見つけてくれて、俺のもとへ返してくれた。けどな、俺は幸の遺体を家内に見るんじゃねぇって言った。俺だって一瞬見ただけでもう見れなかった。家内が見たら立ち直れない、そう思うほどの状態だった。俺だって正直に言えばもう二度と見たくないと思っちまった。触って抱きしめてやりたかったのに、俺はとっとと火葬した。あんな状態なら早く荼毘に伏せたほうがいいってそん時は思ったんだよな。けどな、骨になった幸を見て俺は深く後悔したよ。どんな形であれ幸は幸だったのに、なんで抱きしめてやらなかったんだって深く後悔した。それは今でも引きずってる。

しばらくはずっと家族全員落ち込んで幸のことを引きずって暮らしていた。俺もしばらくは仕事ができねぇでずっと家に引きこもってたな。けどな、幸の上に二人の兄がいて、そいつらを食わせなきゃなんねぇって。そう思って、俺はまた働き始めた。

やっと気持ちが切り替えられたのは幸の一周忌の時だった。坊さんを呼んでお経を読んでもらった。決心がつかず幸のお骨を墓に入れずにずっと家の仏壇に置いていたが、そん時にやっと俺のわがままでで幸を家に縛りつけており、御浄土へ行かせてやれていないことに気づいた。行くべき場所に行けず、俺たちの涙ばかり見て幸が傷ついているかもしれない。そう思えて、

その日のうちに、お骨を墓に入れる事にした。お骨を入れ終えて俺は気持ちが和らいだ。

幸は天寿をまっとうした。俺もいつか行く場所へ先に行っただけ。そう言い聞かせて納得できるようになっていた。


その数日後に尋ねてきたのが、林田さんだった。林田さんはあの時娘と一緒に遊んでいた子の父親だった。事故当初は互いにバタバタして自分のことで手一杯で、一年ぶりに会ったが、以前の面影がないほどやつれてしまっていたよ。

仏壇に手を合わせたい、そう言われて家の中に案内した。妻は不在で俺だけだった。

林田さんは仏壇に手を合わせて、お参りをしたあと、言った。

“娘さんに会いたいと、思いませんか?”

今思えば林田さんはちょっと神経がおかしくなってたんだよな、俺みたいな畑やってる百姓じゃなくて、学校のセンセをしてる頭がいい人で、亡くなった子も一人娘できっと考えすぎたんだろうな。でもな俺もその苦しみがわかるからどうしても無下にできなかった。話を聞けば林田さんは鍾乳洞に行こうって言った。

その一言で林田さんがいいたいことはわかった。

ここな、今じゃ観光地なんて銘打ってるが、地元では近づかないほうがいいって言われるような場所で、死んだ霊が見えるって言い伝えがあるような場所だったんだ。

まあジジババが言ってる迷信だって集落の大半は信じてなかったけどな。

けど、林田さんは大真面目言うんだ。ある条件があってそれが重なった日に行けば、亡くなった人に会えるってな。その条件を俺に伝えて、それが今日なんだと言った。

林田さんは最初一人で行くつもりだったみたいだが、ふと俺のことを思い出して自分一人じゃ申し訳ないからって今回誘いにきたと淡々と説明してた。俺は内心、何馬鹿なこと言ってるんだ、幸やあんたの娘の明子ちゃんはもう御浄土へ旅立っている。そこで幸せに過ごしてるんだ。そう、言ってやりたかったが、今そんな事を言っても林田さんが余計におかしくなってしまうかもしれないと思って何も言えなかった。着いていくと了承したのは、幸に会いたいからじゃなく、林田さんが心配だったからだ。

23時に鍾乳洞の入り口に集合と言われて林田さんは帰って行った。


その日の指定された時刻に向かえば林田さんは懐中電灯だけ持って待っていた。俺が着けばすぐに「行きましょう」そうってどんどん進んでいった。俺も持っていた懐中電灯で路を照らしながら着いていった。何かあった時に連絡できるように持ってきた携帯は持ってきていたが、護身用に、何か竹刀みたいな棒でも持ってくればよかったと思うくらい暗く、昼間とは違っていて怖いと思ったな。

「やめないか」と林田さんを説得するつもりだったが、そんな考えもなくなるほど俺は余裕が無くなって林田さんの後ろをついていくしかなった。

仏像の前までやってくれば林田さんは懐中電灯を消すよう俺に言った。

ここの…ちょうど今ぐらいの位置だな。そこで林田さんと隣り合って立ち、二人とも懐中電灯の電源を切った。

懐中電灯を消せば暗闇に包まれた。

完全な闇の中に身を置いたことはあるか?月明かりもない、電気の光もない闇。薄暗く不気味な鍾乳洞に何も見えない状態で立っている、もし何かに襲われても抵抗なんかできない無防備な状態。時間は一分も経っていなかったが、恐怖で俺は冷や汗が出てきて、林田さんに言おうとした、「なあ、出てこないだろ、ほら帰ろう」そう言おうとした瞬間だった。

闇の中に明かりが灯った。

俺は目を見開いてそれを見た。何が光っているのかと目を凝らす。光るものなんてないはずなのに、崖の下から何かが発光している。その場所にあるものは一つだった。そう、あの仏像が光っていた。元の形もわからないぐらいの状況だったはずなのに、ついた苔は無くなっており、できたばかりのように綺麗になっていた。菩薩様が、艶めき輝いていた。人口の光じゃない、表すなら、あれは月の光だった。自ら発光するんじゃない、冷たい、光だった。光を纏った菩薩様は、見惚れちまうほど神々しかった。

最初は穏やかな光だったのに徐々に発光する光が強くなり、10秒程でで直接見ることができないほどになった。眩しすぎた光に目をやられて、俺は強く目を閉じた。


そしたらな、幸が目の前に現れた。

いや、現れたんじゃねえな、瞼の裏側に幸がいたんだ。意味わかんねぇだろ、瞼の裏ってどういうことって言いてぇよな。でも、瞼の裏としか言いようがない。真っ暗な中に俺と幸だけがいた。光一つもないが、その闇の中で幸の姿をしっかりと見ることができた。それは想像の幸じゃなく、体温を持って動いていた。暗闇でおかっぱ頭の髪の毛を揺らして、俺に似た一重で目を瞑るみたいに笑う、幸だった。

真っ暗な中俺に手を振ってる。お父さん、来てって。腕をめえいっぱい伸ばして大きく振って、お父さんって。…その時、目を閉じてるって感覚は一切なくてな、目の前に本当に幸がいるって思った。ああ、幸だ、俺を呼んでる、抱きしめてあげないといけない。最後、抱きしめてあげられなかったから、行かないと。そう思って足を踏み出した。数歩歩き、幸に近づく。幸の姿はどんどん近くにきて、あと数歩で幸に触れられる。そう思った瞬間だった。

突然、鈴が鳴った。

尻のポケットに入れた携帯電話のキーホルダーについてた鈴で、長男が修学旅行のお土産に買ってきてくれたものだった。後からわかったことだが、タイミングよく紐が切れちまって、鈴だけが地面に落ち、ちりんちりんと音を立てた。

その音が耳に入り、俺は正気に戻った。自分がいま鍾乳洞で、目を閉じていることを思い出した。

目を開けた。

目を開けた瞬間、幸は消えた。あ、消えちまった、そう思ったがもう遅かった。

目を開けたら、先ほどの仏像の発光はもうしていなくて、真っ暗闇の中だった、けど、そんなことよりも俺は消えちまった幸のことしか考えられなかった。

俺は消えてしまった幸をもう一度見るために、もう一度目を閉じた。けど、幸はもう現れなかった。

何度、目を閉じることを繰り返しても幸が現れることはなかった。俺は何か大切なものを自分でも知らないうちに手放してしまった感覚になった、先ほどまで触れられそうだった幸を失ってしまった。

もう幸を見れない事実にしばらく呆然と立ち尽くした後、俺は諦めて、目を開けて周囲を見渡した。

俺は何が起こったのかさっぱり理解できなかった。

混乱していたが、とりあえず林田さんに声をかけようと思って、手に持っていた懐中電灯をつけた。

周囲を見回すように懐中電灯をてらせば、先ほどの場所から移動しており、あと一歩踏み出せば柵を越えて崖の下に転落してしまう場所に来ていることがわかった。危ぶないと思い数歩後ろに下がれば、俺は嫌な予感が頭をよぎった。

林田さんは?

俺は自分から見て左隣に懐中電灯を向けた、けどそこにいたはずの林田さんの姿は見えず、俺は最悪の想像をしながら崖の下を照らした。

林田さんが横たわっていた。

林田さんも俺と同じように、娘の明子ちゃんを見たんだろうな。けど、俺と違って、林田さんは目を開けなかった。開けずに、明子ちゃんに向かって歩いたんだ。そう、真っ直ぐ真っ直ぐ歩いて行って、柵を越えて崖から落ちた。今と違って柵は腰ほどの高さしかなかった。

俺が何度も声をかけても林田さんは動く気配がなく、俺は慌てて助けを求めるためにその現場から立ち去った。

警察がきて…、まあここら辺はいいか。結局、林田さんは亡くなった。俺は殺人の疑いをかけられたが、証拠不十分で刑務所には行かなくて済んだ。このことは不慮の事故として小さな記事になった。

これでこの話は終わりだ。



話し終えた老人はふうと、息をついた。

「話は理解できたか?」

そう言いながら、老人は横にいる俺の顔をみて驚く。大の大人が目から涙が出ていることに驚いている様子だった。

「すいません、俺、涙脆くて…」

袖口で涙を拭きながら言えば老人の眉が下がり泣きそうな顔になる。

「こんな話をすれば何を馬鹿げたこと言ってるんだって言われるかと思ったが、あんたは信じてくれるんだな」

「そう、ですね。俺の依頼者も言ってました。その方の家族は直前に別の家族を亡くしているって」

「そうだったか」

老人は真っ直ぐ前を見据えて仏像を見る。日が暮れてきたのか穴から差し込む光が弱くなってきていた。

「自殺じゃない、あの五人は大切な人に会おうとして逝っちまっただけだ」

老人だけはあの事件の真相がわかっていた。

「残された家族のことを思うと心が痛んだ。集団自殺でなんて煽る奴らここで肝試しする奴ら。全員に言ってやりたかった。あの人達は瞳を開けることなく、真っ直ぐに大切な人に向かっただけだって」

老人はこちらをみる。

「あんたの依頼主、その人が信じるか信じないかはわからないが、この話をしてやってくれよ」

俺は深く頷いた。


「さ、帰るか。暗くなる」

老人はそう言ってよっこいしょと言いながら立ち上がった。俺も立ち上がれば老人は手招きをして俺についてくるようにいった。

鍾乳洞の入り口まで一緒に移動する。

外に出ればいつのまにか夕方になっており、空は赤い夕焼けに染まっていた。

老人は「じゃ、気をつけて帰れよ」そう言って、背を向け、歩いていこうとする

俺は慌てて声をかける。

「最後に一つだけ、聞きたいことがあるんです」

「なんだ?」

老人は振り返って立ち止まった。

「その条件って何だったんですか?」

老人は言葉に詰まった。言いたくないのだろう、口篭って何も言わない。

「ここまで聞いてしまったんです、絶対に口外しません」

俺が食い下がらずにさらに告げると、老人は迷ったように視線を泳がせた後に「絶対に、誰にも言うなよ、あんたのその依頼主にもだ」と言った。

「はい」

俺は深く頷く。

「新月だ」

「新月?」

「新月の、月の光がない夜、真っ暗な闇の中で待つ」

「…それだけなんですね」

「ああ、それだけだ。あの五人がどうやってその条件を手に入れたのかはわからないけどな」

俺は知りたかった情報を手に入れて、「ありがとうございました」と老人に向かって頭を下げた。

「いいよ、いいよ、兄ちゃん気をつけて帰れよ」

そんな会話をして、そのまま老人は自分の帰路を進んだ。その後ろ姿を見送った後、俺は駐車場に停めていた自分の車に向かった。

運転席に乗り込めば、先ほどまでの夕焼けがなくなり、あたりはすっかり薄暗くなっていた。俺はエンジンをかけずにハンドルに手を置いてそのままそこへ頭を埋めるようにして背中を丸めた。


先ほどの老人の話を反芻する。

「自殺じゃない、あの五人は大切な人に会おうとして逝っちまっただけだ」

俺は亡くなった朝子のことを考える。

鍾乳洞の崖から落ちた五人のうちの一人で、俺の妻だった。探偵なんて大嘘で、俺は妻が亡くなった理由を自分で調べており、今回ここにきた。

事故で亡くなった人の身内だとわかれば腫れ物扱いされるかもしれないと考えて咄嗟についた嘘だった。

朝子は俺に何も告げずに突然、事件の前日にいなくなっていた。

状況を加味して、事故ではないと思っていた。常識的だった朝子があんな時間帯に知らない人達と鍾乳洞になんて行くはずないと思い、誰かに殺されたのだと思った。もしくは自殺だが、朝子が俺を置いて自殺をしたと思いたくなった。

けど、自殺したと言われて納得してしまう程、亡くなる直前の朝子は不安定だった。

当時の朝子を思い出すと泣いていた姿ばかりが思い浮かぶ。朝ごはんを作りつつ泣いて、バラエティ番組を見つつ泣いて、寝るために布団で横になりつつ泣いた。俺は妻が泣いているたびに背中を摩り、ティッシュを渡して彼女を抱きしめた。自分でも何が引き金で泣いてしまうのかわからないと言っており、朝子の涙はいつも唐突に流れた。

朝子の涙の源流は俺たちの息子の陽太だった。お調子者でサッカーが好きな、俺には生意気な口ばかり聞いていたのに朝子には甘えてばかりいた俺の息子。

朝ごはんの時に目玉焼きはよく焼いて欲しいと言って、テレビでお笑い芸人の一発芸を見ればそれを真似して、家族三人で川の字の真ん中で、妻の隣で寝ていた息子。

そんな息子はある日突然、大型トラックに撥ねられて命を落としてしまった。まだ小学五年生になったばかりで、早すぎるとしか言いようがない。先ほどまで聞いていた老人が娘を思う気持ちが俺は痛いほどわかって、泣いてしまった。

俺も苦しかったが、俺以上に苦しんだ朝子は陽太に会うためにあの鍾乳洞へ行ってしまったのだろう。

朝子は自殺なんかじゃない、陽太に会うためにあそこへ行って死んでしまった。朝子はきっと陽太と会うことができた、そしてそのまま。

俺はハンドルににつけていた頭を持ち上げて、俯くのをやめる。

ポケットからスマホを取り出して、ネット検索を立ち上げて調べる。

次の新月の日は3日後だった。

俺はスマホの画面を暗くして、車の天井に顔を向け目を瞑る。

瞼の裏の暗闇を見つつ、俺は考える。もし二人亡くなってしまった会いたい人がいたらどちらが瞼に映るのだろう。どちらも写るといい。瞼の裏に朝子と陽太が写った時、自分がすることはもうわかっていた。

俺は、きっと。

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