第23話

 クリストファーに向ける笑顔は愛らしいとは思う。予想を外した反応のおもしろさに、つつきはする。


 無駄に怒らせ応酬を楽しみもするし、断れない状況にと巧みに追い込み、ダンスのお相手を務めさせていただいたことも何度も。


 しかし、それ以上の決定的な行動に出ることはなかった。それを、聖域などという言葉で人は語る――のか? あるいは、つまりは、もしかしたら、ひょっとして、だから自分は、そういったふざけた物言いでしかあの娘に近づくことができない……の、だとか?


 考え続けているうちに、だんだんと頭の中は、初めて見ている天井の複雑な蔦模様だけでいっぱいに満たされていった。


 距離を互いに一定に正しく保ち、決して絡み合うことのない蔓と葉と葉と蔓。その整然さが、今の自分には鬱陶しい。


 彼女の手から滑り落ち、絨毯に転げたまま忘れ去られたグラスを拾いあげる。回答はイエスとノーのどちらだったのだろう、と思う。(今となってはフランス語のことは忘れ去ろう)


 今ごろ自分はこれからの人生の長きに渡って愛すべきフィアンセを、胸に抱き頬を紅潮させていた――という状況であったのかもしれない。


 酒と知りながらグラスを掴んだメアリーアンは、何を考えていたのだろう。なんのつもりで飲まれたものか。思いつきでクリストファーに述べた自分の意見は、あながち外してはいなかったのでは?


 友(なんと言ったか。彼女の名は)の為に餌食とならんことも、もしやそれほど嫌なことでもなかったということだって、あるいは。もしかしたら。ひょっとして。


 説得。……それは失敗した。かなりの努力をしたように思うが。ついさっき。

 懇願。……類した真似なら行ったと言えなくもない。こちらは当方が認めたくはない気持ちもある。


 むしろ割合常に、自分はあの娘にそんなスタンスでいるのではないか? よろしければ、と何度口にしただろう。そう、今夜だけでも。

 情けないとは思いはしないが、蒸し返して歓迎すべき記憶では決してない。


 そして最後はなんだって? 泣き落とし?


――まさか。


 まずは自分でやってみてから言うがいい。この気取り屋のローダーデイル伯爵め。


 ジェラルドは弾みをつけてソファから立ち上がり、新しいグラスに新しい酒を満たした。グラスと言うよりは、杯と言うのが雰囲気だろう。


 もはや周りに一人たりともはおらず、暖炉の炎だけが相手だろうと、一晩中でも語り続けたい気分だ。(むしろ夜明けはもう近いし。使用人は主人を主人と呑み込めているのか気にはなる)


 しかして、いったい何を語ったものか? 


 堅物だとしか思っていなかった兄に襲いかかった熱愛とやらのことや、危ういところで婚約しかけた彼女の面影。親友だと思っている男の恋の行方に、どうやら自分にこのたび爵位が転がり込むらしい話。


 あぁ、最後のそれは、思うだけでも面倒くさい。


 さて、明日の光を自分は果たしてどのような気持ちで浴びるのだろう。とは、大変詩的な表現なれど、酒に強すぎるジェラルド君はまだまだ正気であったが故に思い至った。


 そう。明けない夜はないと知っている。例え明日も雨が続こうと、光の射さない朝であろうと、人はやはりそれを朝と呼ぶのだ。そうでなければ。


「そう。でなければだ」


 ジェラルドは言う。深いグリーンのボトルを一本、わざとらしくも絨毯に転がして。


「いつまで反省を続けるべきか、きっと誰にもわからない」

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ぼくが理解できない聖域のはなし @yutuki2022

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