第22話

「馬鹿ねー! 楽しくなっちゃう。そんなことを思っていたのなら、ちゃんと優しくつけ込みなさいよ。もしかして戦略ミスなの? あなたらしいと言うべきかしら?」


「ここで肯くほどの馬鹿が、君が希望する僕の姿なのか?」


「あら。私はあなたに特に希望なんてないわ。あなたと彼女、どちらがより馬鹿なのかを語るのなら、自分を捨てたメアリーの勝ち。あなたの前に身を投げ出すなんて、友人の為にそこまで犠牲になる? それこそあの子らしいと言うべきなのかしら。あなたの餌食なんて結末、」


 二度も三度も、重ねて肯く。想像からの妄想が絶好調に進んでいるようだ。


「みんなの驚いた顔を眺めて歩きたいわ。今年一番の話題になったと思うと残念ね」


 プライドなんぞはどこの空でジェラルドは思った。そう思うのなら協力してくれれば良かったのに。女学校時代の厳しいお姉様が導いてくだされば、多少なりとも態度を和らげて、角の一角くらいは落としたかもしれない。


 その恨めしい思いが彼に、言わずもがなのことを語らせた。さほどの馬鹿ではないことを伝えたくなった、という理由かも。


「ヘレン。君がクリストファーを呼びに行かせたんだろう? それも、彼女の姿を見るなりに」


 そうでなければ時間的に不可能だ。つまりは、主人の方は『噂』としてしか知っていなかったクリストファーの恋人の所在を、事実と握っていたんだな。そして屋敷の場所まで把握していた。表に出してはいないはずなのに。


 そこまでは言わなかった。情報量の明らかな差が悔しかったから。


「あなたが大切にされたいと思っている友人との未来の関係性をお守りしたのよ。感謝されて然るべきなのに、そんな不満そうな顔で私を見るの?」


 嫣然と。ヘレンは笑い、行ってしまった。怒らせた? いや、この自分の態度もオモシロイの延長にいるだろう。ヘレンの思考なら正しく知れる。ヘレンならば。


 ひとり(寂しく)残されたジェラルドは、ゆっくりと天井に視線を向ける。そのロマネスクな装飾に興味はなく、そのはるか向こうの宙を仰ぐ心持ちで。


 父親代わりの後見人・クリストファーは、七つ年下の従妹を溺愛している。所謂、掌中の珠と言われるあれだ。メアリーアンの為ならば、どんな犠牲も厭わぬほどに。


 例えば、長らくチャンスを狙っていた今夜のお相手とこれっきりになってしまったところで、駆けつけたことに後悔はしないだろう。(原因となったジェラルドをたっぷりいたぶり、憂さ晴らしをするのだろうけれど)


 それほどまでに思う娘を我が物とせずに、他の男の視線にさらし続けるのは、如何なる心情に発するものだろう。


 できぬ理由などないはずだ。外から結婚相手を迎えることをせず、大きな財産を分割せずに済めば、一族はむしろ賛成するのではないだろうか。事実、若き当主を彼女の後見人とし、すべてを一任している時点で、メアリーアンの二親の意向は知れているというのに。


 雨に髪を濡らして、この部屋に駆け込んで来たクリストファーの顔は、血も凍る記憶として残りそうだ。ずいぶん長い時間を共にふざけている気がするが、彼のあんなに慌てた顔には初めてお目にかかった。


 そしてクリストファーはなんと言ったのだったか。そう、聖域の重要性。

 あれはどのような意味を持って自分にぶつけられた言葉だろう。


 クリストファーにとっての『聖域』に手を出そうとするとはどうつもりか? と? その覚悟が君にはあるのかと問うたのか? 


 もしくは。

 君にとっても聖域ではないのか、と?


 ご紹介にあずかって(はいないかもしれない)からの短くはない(例えば恋が育つにも充分な)日々、確かに、メアリーアンをそこらの娘と同等に扱ったことはない。


 しかしそれは、当初メアリーアンがまだ社交界にデビューもしていない年齢であったことや、クリストファーの接し方を見るに、最終的には伯爵の花嫁となるのだろうと理解していた――誤解であったわけだが――ために、対象外としていた故だ。


 知らずに出会えば、ただの娘であっただろう。そして、自分がそういった興味を示していたかは危うい。


 ジェラルドにとってメアリーアンの魅力とは、愛しい従兄につきまとう悪友である自分に対する拒否的な態度。従兄を悪い道に引きずり込もうとする存在への、苛立ちを隠そうともせずに立ち向かってくる。その物珍しさに尽きるのだ。

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