第21話

「準備はできているのか? ヘレーナ」

「お待たせしてしまってごめんなさい、伯爵。まぁ、うちのご主人様ときたらお酒のひとつもお出ししないで、失礼ですこと」


 いつからそこに立っていたものか、扉のこちら側でカーストン屋敷の美女は微笑んだ。

 

 笑ったまま睨まれ、ジェラルドは降参の手を挙げる。今夜の自分の役回りなら理解した。誰も彼もが寄って集って、どうぞわたくしを思う存分責めるがいい。


「酒なら結構。これ以上、話すことは何もないよ。ここに座ってジェラルド君のお相手をするには、僕は疲れすぎている。一刻も早くベッドにもぐり込みたいね」


「ジェラルド様にはお嬢様の姿も目に毒ですものね。早々に移動いたしましょう。お部屋は一つでよろしかったかしら?」

「それでも構わないよ。後で君の部屋を教えてくれ」


 ぷいと。

 囁きを撥ねつけるように背を向けたけれど、決して怒ってはいないことを、消えない笑顔が物語っている。ヘレンはぱん、と手を鳴らした。


「あなたたち、出番が来たわよ」


 お召しに応えてぞろぞろと従僕とメイドが入ってきた。

 今夜参加した面々を、ジェラルドは覚えたかもしれない。使用人どころではない夜だったように思うのに、各自の出番――ヘレンの言葉を借りるなら――が印象的に刻まれている。


 現れたうちの一人は、先ほどの侍女任務のメイドだった。主人に愛のないことを再確認。(そんな顔つきは主従関係においてはルール違反だろう。例えこちらを本物の悪党と認識したにしろ)


 その仕打ちに挫けている暇もない。無駄に美形の従僕が、一向躊躇わずメアリーアンを抱え上げたのを見て、ジェラルドは非常に羨ましい気持ちになる。


 ここで私が運びましょうと、もう一騒ぎ盛り上げてみようかと、馬鹿げたことを思いつき、勢いよく上げた顔が、伯爵と美女ヘレーナの間に交わされた視線に気が付いた。


 なにやら暗黙の。やり取りされた刺激的な言葉より、よほどそれは刺激的。

 かも、しれないし。


 姫と伯爵とその一群の気配が廊下の向こうに完全に消えるまで、大変静かに待ち続けて、ジェラルドは低く名を呼んだ。


「ヘレン」


 賑々しさが消え、対比的に台頭激しい静寂の中。効果重視、ゆっくりと振り返るジェラルドの美しき腹心は、いつものように面倒な質問に答えはしないだろう。

 罵られるならまだましで、睨む真似もせずに無言で退室というパターンもあり得る。


 だからジェラルドは別の質問をする。恨めし気な声が出たのは、名残、そして甘えだ。


「君は以前から知っていたんだろうな。メアリーちゃんと酒の込み入った関係を」


「もちろん。メアリーアン・エルドリッジのクリスマスの空騒ぎは学院の伝説ですもの。あの子のためのレシピ変更は、きっと今でも蒸し返されているわよ。あの時は」


 あなたと同じように驚いたものよ。


 そうヘレン・マクスウェルは幼い笑顔を見せた。初めて見るような可愛らしさに、ジェラルドは驚く。


 娘時代を語るとき人は娘を甦らせるものか。残念なことこの上ないが、そんなものはさっさと消えた。まるで幻影であったのかのように、容赦のない現実が放たれる。


「ジェラルド、あなた。実は本気だったのでしょう」


 楽しそうだ。愉快そうだ。どうせ覗き見ていたのだろう。一部始終を。

 自分の視界は狭まっていた。もしかしたら堂々と部屋の中に居たのかもしれない。


「確実に撥ね付けられることがわかっているのにね。不毛な本気。本気で不毛」

「ワタクシ、いつでも本気が信条ですから。手を抜くことはいたしません」

「体力自慢ね。それも、ないよりましでしょうけれど」


「もしかすると、僕はあのお嬢さんに、それほどには嫌われていないのではないだろうか。そういう風に捉えてもいいような場面があったと思うんだけど。君はどう思う? ヘレン」


 真顔で見つめられれば、天の心地も地の思いも、胸に浮かばぬこともない。揺らぐその記憶を掴もうとしたときに、けたたましくも笑い出され、即座に消えるしかなかったが。

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