息苦しくせつなく

小児性愛者というのは現代の社会で、性愛の対象を獲得することも、自身の性的指向を表明することも許されません。性愛の対象を獲得するということは、力なきものを搾取することに他ならないからです。無論、実現しなければ、何ら罪ではありませんが、実行が許されないことを欲望として公言するということは、許されないことでしょう。小児性愛に限らないことですが、暗い欲望に駆られたとしても、それは墓まで持っていかねばならないものですから。
作中において、主人公は、少女(たち)を舐めるように見ている様が描写されます。この描写の仕方は大変秀逸で、同時に主人公に共感しづらさを抱かせるものでもあります。
このような共感しづらさを前景化させながら、それでも共感的に読ませてしまう文体は大変素晴らしいものでした。視姦するかのような描写に引きながらも、その視点にとらえられ、私も舐め回すように少女(たち)をみているような感覚を抱きました。
すべてが周到に配置され、それがわざとらしくみえないこの技術は大変羨ましく思います。
小児性愛者である主人公が社会生活を送っているのは、倫理や規範というものよりもインポテンツのおかげであるかのような感じで描かれていることもあり、常に息苦しくやるせない感じがただよい、結果的に主人公の恋心は純愛のようなものになっている。
だからこそ、最後の自慰のシーンがものすごく印象的なものとして映ります。セクシャルな話となってしまうのですが、自慰行為というのは、刹那的な快楽の後にどうしようもない虚無感が漂うものです。
主人公は恋心が微妙な形でほんの少し報われて満足していますが、我にかえった後、これまで以上の苦しみ――田嶋と同じことができるようになってしまったのですから――を感じながら、キーホルダーを汚し続けるのかもしれません。
田嶋の描写は簡潔ながらも、これはこれで大変素晴らしいものだったと思います。
容姿端麗高身長コミュニケーション能力が高い彼は、性愛の対象が違いさえすれば、加害者になる可能性も低かったでしょう。
この田嶋という人物がいるからこそ、物語の終わりに漂うどこか物悲しい余韻が際立つわけで、その点も素晴らしいと思いました。
大変素晴らしい作品です。