第7話 大団円

 最初は、そんな10分先を歩く人間というものを意識したことがなかったが、最近、SFなどでよく言われるようになった、

「タイムループ」

 という言葉を思い出した。

「タイム」が付く現象をつかさどる言葉で、時間を操るSFチックな言葉に、以前であれば、

「タイムスリップ」

 くらいであったが、最近では、似た現象として、

「タイムリープ」

 であったり、今回の、

「タイムループ」

 というものがある。

「タイムリープ」

 というのは、タイムスリップとは違い、タイムスリップが、

「時間というトンネルを、自分の身体と精神がそのまま、過去や未来に行くことで、そのために、タイムマシンというものを使う」

 ということである。

 しかし、このタイムスリプというものには弱点があり、それは、

「タイムパラドックスを引き起こしてしまう」

 というかが枝。

 つまりは、

「時間を飛び越えることで、もう一人の自分と合ってしまう」

 ということであったり、

「過去にいくことで、歴史を変えてしまう」

 ということであった。

「過去の歴史を変えてしまうと、時系列で考えた場合、現在も変わってしまうということになるので、そももそも、自分が存在しているか分からない」

 ということである。

 これが、

「タイムマシンを開発できない」

 という根本的な理屈であり、もちろん、科学的に無理なのかも知れないが、できたとしても、このパラドックスを解決できないと、タイムマシンの実用化は、不可能となるのであった。

「タイムパラドックス」

 というのは、

「過去を変えてしまう」

 ということが一番の理屈で、たとえば、

「過去の自分をもし、歴史を変えることで、生まれなくしたとすると、生まれてこない自分が過去に行って、歴史を変えることはできないので、変わらなかった歴史として、自分が生まれてきてしまう。すると、自分が過去に行って歴史を変えると……」

 という理屈が、無限ループする形になるのだ。

 それが、

「タイムスリップ」

 というもので、次に考えられることとして、

「タイムリープ」

 というものがある。

 この考え方は、

「過去のことを知っている自分の肉体以外の精神や、魂が、肉体から離脱して、時間をさかのぼり、過去の自分に、

「憑依する」

 というのが、

「タイムリープ」

 である。

 したがって、タイムリープの理屈は、

「過去にさかのぼる」

 ということしか考えていない。

 もちろん、未来の自分にいく、

「タイムリープ」

 というのも、存在するわけだが、

「物語としてのタイムリープというと、どうしても、過去ということになる」

 ということである。

 つまりは、

「自分の今の記憶をもっていくわけだから、未来に行っても意味はない。過去に行って、今まで知らなかったはずの未来を知っている」

 ということがキーとなるからだ。

 そして、ここで重要なのは、

「タイムパラドックス」

 というものの矛盾を解決する方法。

 ということである。

 というのは、

「過去の自分と会って、自分の歴史を変えてしまう」

 ということがなくなるわけだ。

 確かに過去に行って歴史を変えたとしても、その歴史は、過去の自分本人によって変えられるものなので、歴史が変わることはありえない。もっといえば、

「そもそも、自分に憑依するということなので、自分が生まれる前にタイムリープするということがありえないわけだ」

 しかも、

「自分に乗り移るわけなので、自分を殺す。つまり自殺でなければ、歴史が変わるということはない」

 といえるのではないだろうか?

 タイムリープというのは、そういう意味で、

「人生をやり直す機会を与えられた」

 といってもいいかも知れない。

 さらに、今度は、

「タイムループ」

 というものだが、

「同じ日を繰り返している」

 などというSF小説があったりするが、繰り返してしまうように、

「本当は明日になってほしいのに、明日が来ない」

 という、スピリチュアルな感覚に陥るものであったり、逆に、

「タイムリープ」

 を何度も繰り返すことができるという発想であるが、これは、ある意味、

「回数が決まっている」

 ということで、タイムリープと、

「どっちが得なのか?」

 ということを考えると、発想が難しかったりする。

 ちなみに、

「タイムリープ」

 というものが過去に限られる。

 という発想であるが、

「これは、現在から未来に飛んだ時、その間の記憶はどうなってしまうのか?」

 ということが考えられるからである。

 そんな、

「未来へのタイムリープ」

 というものを考えたりしたのだ。

 そして、今回の自分が、

「宝くじが当たった」

 という実に都合のいいことに遭遇したわけだが、今まで、

「パチンコばかりをしていて、まったくお金の使い方を分かっていない」

 ということで、宝くじが当たって、うれしいはずなのに、どうも、気持ちがすっきりしない。

 やはり、

「お金の使い方が分からない」

 ということが、自分にとって、

「ろくでもないことだ」

 ということを分かっているからであろう。

「これが夢だったらいいのにな」

 と感じたのも、無理もないことだ。

 宝くじが当たって、あぶく銭が手に入ってしまうと、

「これから社会人になって、頑張っていこうと思っている」

 という気持ちを寸断する形になるのではないだろうか。

 それこそ、

「タイムリープして、競馬などで、何を買えばいいのか?」

 ということを分かっていれば、

「必ず当たる」

 ということで、

「ズルをして、金を儲ける」

 ということになるわけで、それが、

「お金を儲けるという夢を見るために、見た夢だ」

 といってもいいかも知れない。

 これも、一種のループである。

 ただ、そんなループを考える時、

「時間というものに、大いなる矛盾」

 というものがあるということを分かっているのだろうか?

 そもそも、

「時間という概念は曖昧なもの」

 ということであり、

「一分は、60秒、一時間は、60分、一日は、24時間」

 と、時間の単位は、徐々に上がっていくのだが、その概念は、どこの誰が決めたというのか?

 それを証明できないのであれば、時間の概念が、もし正しいとしても、それに対しての説得力はない。

「そうなっているんだ」

 ということに対して、誰もが疑いを持たずにいるから、曖昧なものではないということになるのだ。

 昔のギャグで、

「赤信号、皆で渡れば怖くない」

 というのがあったが、まさにその通り、

「集団意識」

 というものが、皆の頭にあるから、

「曖昧なものでも、理屈に合っていれば、正しい」

 ということになるのだ。

 そんな中において、タイムリープで、過去に行き、自分の都合のいい未来にしようということが、タイムリープであれば、そこには、

「メリットがあるのだから、デメリットも存在するはずである」

 ということになる。

「10分前の女」

 という話を、時間で考えた時に、どう考えればいいのだろうか?

「同じ人間が、同じ時間に、先を進んでいる自分と、後ろにいる自分が存在する」

 と考えると、

「実際に存在しているのは、本当に2人だけなのだろうか?」

 と考えられる。

「タイムスリップ」

 と、

「タイムリープ」

 というものを考えた時、

「タイムリープはタイムスリップの矛盾を解決するために、考えられた」

 ということになるのだ。

 そうなると、この

「10分前の女という発想は、タイムループの矛盾を解決するためではないか?」

 ということが考えられる。

 だから、今回の、

「お金の使い方も知らない人間が、宝くじに当たった」

 ということを考えるという夢を見たのも、

「その矛盾を正す」

 ということを証明しようとしていることなのかも知れない。

 それを考えると、

「デジャブの証明」

 にもなるかもしれない。

 舗装していない道路の記憶なのか、意識なのか、

「タイムリープ」

 して、再度戻ってきたのかも知れない。

 それを実現できるとすれば、夢というものであり、それこそが、

「タイムトンネル」

 の正体なのかも知れない。

 今となって考えてみれば、最初から考えたこととして、

「意識と記憶」

 というものから始まっているような気がする。

「そもそもの、この二つの矛盾が、夢となって出てきたのではないか?」

 と考えるのであった……。

「あれ? 今はいつなんだ?」

 大学3年生であった坂上は、いつの間にか社会人になっていて、それがどの時代の未来に当たるのか、分かっていなかった。そう、

「未来へのタイムリープ」

 だったのだ。

                 (  完  )

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時系列矛盾の解消 森本 晃次 @kakku

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