その煌めきを孤独と呼ぶなら

蛙田アメコ

その煌めきを孤独と呼ぶなら

 死のうと思った。

 正確には、何もかもめちゃくちゃにしてやろうと思った。

 というのも、俺はこの九月で三十歳になったのだ。その記念に俺は何もかもめちゃくちゃにして、そんでもって死のうと思ったのだ。


 だって、三十歳ですよ。

 派遣先では息を止めたままタイムカードを切り、貯金は十万円から大きく増えることがなく、このあいだ若年にもかかわらず糖尿病を患い、さらに言えばこの年まで性交渉の経験もない。三十歳童貞。一昔前のネットミームによれば、俺は「魔法使い」ってことになる。夢も希望もないけどね。


 ……は、何。

 性経験の有無とかで人を判断するのはナンセンスだって言いたいわけ?


 ざけんな。そんなもん、戯れ言だ。

 つまるところ、性交渉というのは他人による受容の体験だろうと思う。

 いや、別にナニをアソコで受け入れて貰うとか、そんな話じゃないよ。普段パンツの奥に隠してるモンをさらけ出して粘膜接触をしようだなんてぶっちゃけ正気の沙汰じゃないし、そういう意味ではこう、自分の汚いとこっていうか、臭いとこっていうか、そういうの全部を受け入れて貰うって……あ、まあ全部童貞の戯れ言です。すみませんね。


 セックスごときに意味とか価値とか見出しすぎだって、春谷っていう色々とガバガバな女友達に笑われたことあるけどさ。それって結局、性交渉の相手に困ったことないヤツの言い草だって俺は思うね。


 むなしいセックスじゃ心が満たされないとか、メンヘラの裏垢でよく見るけどさ。

 身体から満たされる心ってのも、あるんじゃないかと思うんだわ。


 世間的に褒められたこともない。

 賞状とかさ、トロフィーとかさ、小さいネット記事に名前が載るとかさ。

 そういうハレの場からは無縁の人生だった。


 ほぼ全員に配布されるような賞状すら、俺には手が届かなかった。

 小学生の頃に皆勤賞をとれそうになったときにも、最後の最後でインフルエンザで家族が全滅して出席停止になった。俺が休んだ翌日に学級閉鎖になって、その期間にインフルの診断を貰った同じ班の森田くんはちゃっかり皆勤賞の賞状を貰っていた。っていうか、森田くんはその数日前から鼻水垂らして咳をしていて、どう考えても俺のインフルエンザは森田くんから感染ったものだった。


 あのとき、俺は悟ったね。あ、こういう人生なんだなって。


 で、三十才になった今日は給料日だった。

 ちょうど自社内でのポジションが上がって、いわゆる出世をしたタイミングで。ちょっと期待して開いたポータルサイトには、先月よりも低い給与額が記載されていた。


 どういうことだよって思ったね。

 給与明細を観察して、わかった。


 俺がうっかり人事部のおだてに乗って出世しちまったせいで、諸々の控除やら何やらの足し算引き算ソロバンの結果、俺の給与の総支給額は下がったわけだ。なお、九月はボーナス月だけどこの数年はとんと支給されていない。


 なんか、切れちゃダメな感じの筋が切れちまったんだよね。


 こう、喉の奥のほうってか、首の付け根のあたりってか、心臓らへんっていうか──要するに「心」ってやつの、大事な筋が一本。ブチって。


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144:名無しの魔法使い

つーわけで、おまいら安価で死にかた決めてクレメンス

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 古代インターネット語で書き込んだ匿名掲示板。ぶっちゃけ、無視されるか冷笑されるかの二択だろうと思ってた。

 驚いたことに、二分後にレスがついた。


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149:匿名名無し

>>144

渋谷のスクランブル交差点でチンポ出して社会的にタヒね

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 「タヒね」ってのは、「死ね」のことだ。

 ははーん、と俺は感心してしまった。なるほど、社会的な死。


 そりゃまあ、リポ払いでバカスカ買い物して債務地獄におちいるとか、銀行口座売って二度と口座開設できなくなるとか、色々な社会的な死にかたはあるだろう。そのなかでも、繁華街で下半身露出というのは極めてどうでもいいし、中途半端だし、スベってる感じがする手法だ。気に入った。


 クソみたいな人生だし、とことん滅茶苦茶にしてから死ぬのも一興かと思ったのだ。何もかもめちゃくちゃにして、人生台無しにして、それで死のう。


 軽率な銀行口座の売却により二度と口座開設できなくなった馬鹿親父と、いい年してホスト狂いのババアに成り果てて風呂に沈んだ母親(ともに金の無心以外での連絡が途絶えて久しい)、それから社会とか会社とか、穴モテ春谷とバイオテロ森田くんとその他大勢への当てつけにちょうどいいじゃないか。


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150:名無しの魔法使い

>>149

おけ、さんきゅ

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 俺は素敵なアイデアをくれた匿名さんに感謝を述べて、渋谷に向かった。

 なんか、すごくワクワクした。

 俺の人生、さいごに明るくなってきたわって思った。





 ──渋谷は、煌びやかだった。

 誰も俺なんかには目もくれず、無邪気に前を向いてズイズイ歩いているか、あるいは、スマホに夢中になっていた。さきほど降った秋雨に濡れる渋谷のアスファルトは、レトロでサイバーな看板が放つ無秩序な光を反射して、ありえないくらいに賑やかで、クソうるさくて、綺麗だ。


 俺は大きく息を吸う。

 せっかくなので会社に迷惑かけてやろうと思い至ったので、社員証を首にぶらさげたスーツ姿でチンコを出す所存である。


 最近ちょっと腹が出てきたせいで、ベルトがなくても困らないスラックス。

 そのウエスト部分に、手をかける。目をつぶる。

 信号機の色の変化を、ぽっぺーぺっぽーと鳩っぽい人工音が訴えているのがやけにデカい音で聞こえた。


 ……3,2,1。

 死へのカウントダウン。ショートカット式十三階段。

 勢いよく、俺はちんぽをボロンした。


「え、何あれ!」


 小さな悲鳴が、波になって俺を呑み込む。

 これが俺の社会的死。どうだ、見てるか>>149。


 だが、なんだか様子がおかしかった。


「え、仕込み? やば、エロ漫画じゃん」

「再現度えぐすぎ」


 ん? 再現度?

 エロ漫画の再現なんて褒められるほど、立派なイチモツではないのは自覚している。なんだって、こんな騒ぎになっているのか。思ってたんと違う。


 ゆっくりと瞼を開く。

 すると、どうだ。


「まぶしっ!!」


 俺の股間が白く光っていた。

 エロ同人誌みたいに。エロ同人誌みたいに。


「いや、ちょ、まじ眩しい」


 股間から発せられている謎の白い光はいや増して、夜の渋谷スクランブル交差点を包む。まばゆい逆光により、俺の社会的な死は遠ざけられた。眩しすぎて、全然、俺のちんぽを直視できる人間はいなかったのだ。なんでだよ。


 一体、この光はどこから。

 どうして、俺の股間から。


 そういった疑問はまったく意味をなさず、俺の股間の光は収まることはなかった。

 眩しい。めっちゃ眩しい。


 通行人が撮影した股間発光男の動画はthick tackに投稿され、瞬く間にバズった。誰だよ、投稿したのは。きっとバイオテロ森田くんのような自分勝手で利己主義の人間に違いない。ふざけんな。


 とにかく。

 エロ同人誌の白抜き修正よろしく、俺の股間はその日以降、誰にも目視で観測されることはなくなった。眩しすぎて。



 ◆


「やっべ、なにそれウケる! 光魔法使いかっつーの!」


 宇田川町のラブホ街。空いていた一室。

 「光あれ」から数日が経過していたが、股間の光は収まることはなかった。

 呼び出したら驚くほどあっさり応じてくれた旧知の女──数年前の大学同窓会ぶりに会う春谷(自他共に認めるヤリマン/男女両方食う/28歳)が、俺のイチモツを握ったまま笑いすぎて呼吸困難に陥っている。失礼な奴だ。


 こうしている間にも俺の股間は煌々と光っていて、足の間に割り込んでいる春谷は安全のためサングラスを着用している。タモリみたいな真っ黒いサングラスをつけたまま、ちんぽ握って爆笑している知り合いの美人ビトゥイーン俺の両足。なんというか、カオスだ。


「…いいから舐めてよ、春谷」

「うっせ、指図すんな童貞」

「おいおい、春谷。その悪口も今日までだぜ」

「これからあたしで捨てるんだろーが、威張るな」


 ばし、と内腿を叩かれて、俺は「ひゃうん!」と情けない声をあげた。

 そうか。マゾだったのか、俺は。

 三十年間知らなかった新しい自分との邂逅である。


「で、なんで今更?」

「なにが」

「大学時代、何回かヤル流れだったのに帰ったじゃん。あんた」


 オフショルダーのニットも脱がないままに俺の股間に潜り込んでいる春谷が、懐かしげな声色で囁く。ちんぽに息がかかってくすぐったい。


「え、あれヤル流れだったの?」


 数年越しに明かされた事実に、俺は驚愕した。

 たしかにサークル部室で深夜作業をしているときに、何度か春谷と二人きりになったことはあったけれど。


「どう考えてもそうだったっしょ! 『終電なくなっちゃったのー』とかわざとらしー台詞言ったの恥ずかしかったんだかんな」

「そうなのか。ごめん」

「いいよ。で、どうしてあたし呼んだの。もしかして、股間が光ったから?」

「……まあ、そう」


 俺は頷く。

 古いアドレス帳からなんとなく消さずにいた連絡先を掘り出して春谷を呼び出したのは、童貞を捨てたら股間の光がおさまるんじゃないかと考えたからだ。


 理由なく光り始めたちんぽである。

 どうやったら光が収まるかなんて、わからない。


「ふーん。つーか、さすがのあたしも光ってるちんちんとか初めてなんだけど」

「経験あったら、さすがに尊敬するわ」

「まぶしー。だりー」


 春谷は楽しそうだ。他人事だと思って、こいつ。

 ちょっと苦言を呈そうかと思ったけれど、やめておこう。急に呼び出したにも関わらず、三十歳童貞の俺と性行為に及んでくれるというミラクルな存在である。


「ふぇかふぁ、ふぇふにほまわわくふぁい。ひはっへはっへ」

「なんて?」


 

 春谷曰く。

 別に股間が光ってようが困らないだろう、ということだった。

 というのも、どうやらズボンを履いている間は、俺の股間はまったく光ることがないようだった。たしかに俺は頻繁に公衆浴場に行くこともないし、トイレで用を足すにしても数秒のことだ。困ることは……困ることは……。


「いや、困るだろ」


 発光ちんぽでは、日常生活に支障が出るじゃないか。

 その瞬間、俺は理解した。


 死にたいとか。

 何もかもめちゃくちゃにしてやろうとか。


 そんなことを考えていたはずの俺は、光り始めた股間を持て余して、「日常生活」ってやつを続けることを前提にして困り果てていたわけである。


 なんだよ、と思った。

 馬鹿みたいに涙が出てきた。


 俺は別に死にたくなんてなかったし、引くほど眩く股間が光るという事態に陥ってなお、社会的にも生理的にも生きていたがっているのだ。本当、つまんねえ男。


「なに、泣いてんの?」


 いつの間にか、俺の上にのっかっていた春谷の声が降ってくる。

 その声が妙に優しくて、俺はまた声を上げて泣いてしまった。

 俺の股間は、そうこうしている間にも白く光っている。眩しい。


「ごめん、なんか……俺、馬鹿で、ごめん」

「いいよ、泣いて。そういう日もあるって」


 あと、あんたは馬鹿じゃないっしょ。

 春谷はニットを脱ぐと俺に覆い被さって、ぎゅうっと抱きしめてくれた。


 あったかい。

 俺はまた泣いてしまった。


 きっとこれは春谷にとって何百回も繰り返しているセックスの一過程に過ぎなくて、それでもなんていうか、俺は救われてしまったのだ。「股間がめっちゃ光ってる知り合い」とかいう意味わかんない俺を、少なくとも春谷は案じてくれていて、そのままの俺を受け入れてくれた。


 だから、なんつーかさ。

 明日からも、みっともない俺のままで生きてみようかなとか。

 俺はそんな安っぽいセンチメンタルに酔ってしまう。


 まったく、嫌になる。セックスごときに意味とか価値とか見出しすぎだって、また春谷に笑われてしまうじゃないか……って、泣きじゃくりながらそう言ったら、春谷は「笑わんよ」と優しく微笑む。


「なんかさ。みんな、寂しいんだよ。たぶん」


 びぃびぃ泣いている俺を、春谷のアソコは優しく受容してくれて。

 ……股間の光は、まったく収まらなかった。





 俺の股間が光り始めてから、十年の月日が流れた。


 あれから春谷とは時折飲みに行ったり、茶をしばいたり、たまには彼女の買い物の荷物持ちとして招集されたりするようになった。セックスは抜きの付き合いだ。何故って、春谷は誠実そうで精悍な男と結婚し、あっという間に可愛い娘を産んだ。俺は「ママの知り合いのおじちゃん」として、彼女の家族とも交流させてもらっている。


 今日も俺の四十歳の誕生日を記念して、春谷と春谷娘を千葉方面にある水族館にレンタカーで送迎するという栄誉な役目を仰せつかった。春谷の夫からも、何故か感謝されている俺である。なんでだよ。春谷の夫は激務で、家族サービスどころかまったく家庭に構ってくれないらしい。たまに愚痴ってくる春谷は、相変わらずあっけらかんとした様子で、けれど少しだけ寂しそうな表情をしている。


 俺の生活は相変わらずで、セックスとは無縁な非モテ人生を歩んでいる。ズボンを脱ぐと発光する股間は、驚くほど不便がなかった。少しは困りたかった。


 びっくり人間として様々なLowTube動画に出演したり、アメリカン・ゴッズ・タレントの予選に出て落選したり、股間の発光によって得た経験もあった。むしろ、ちょっと人生好転してるのが解せないところだ。なんでだよ、まじで。めちゃくちゃだよ。


 俺が思うに。

 誰もが、眩しすぎて目も当てられないような光を放っているんじゃないかと思う。

 恥ずかしい場所を、みんなビカビカ光らせてるんだよ。本当は。

 自意識だとか、美学だとか、自己表現だとか……あるいは、命だとか。そういう名前の光を放ちながら、みんな自分を受け入れてくれる誰かを、何かを探している。


「……なんてな」


 壁に飾った賞状を眺めながら、ドンキで買ってきた激安缶コーヒーを飲む。糖尿病だから、無糖のやつ。


 一昨年、地域で大規模停電があった際にもらった賞状だ。恥を忍んで公衆の面前でズボンを脱ぎ去り、股間の光で復旧作業を大いに助けた……というボランティア活動が認められたのである。消防署からの感謝状だ。


 本当であれば俺も、あの日意味のわかんねぇ安価をつけてくれた匿名掲示板の>>149に感謝状のひとつでも送りたいけれど、顔も名前もわからないからそれも叶わない。


 とにかく俺は人生で初めてもらった賞状が、マジで嬉しくてさ。

 春谷の娘がクレパスで描いてくれた、俺の似顔絵の隣に飾ってるんだわ。


【終】

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