大嫌いな同級生と大人になって恋をする⑤

 



 そうなのかな、そうだろうなと思っていたことを明確に突きつけられて怖くなった。もし面と向かって嫌いだと言われたらきっと立ち直れない。だから逃げた。それで夕凪くんがどう思うかなんて考えもしなかった。


「この間も酷いこと言って、本当にごめんなさい」

「悪いのは俺の方だから。春日花が謝ることなんて何もねえよ」


 大きな手がわたしの頭を撫でる。何度も何度も愛おしそうな顔をして撫でるから胸がいっぱいになって不覚にも泣きそうになった。夕凪くんの瞳がどこか遠い記憶をなぞるように伏せられる。


「……なんで連絡先聞いとかなかったんだろうって後悔した」

「そういえば最近まで交換してなかったね」

「聞きたかったけど聞けなかった。自分でも態度悪かったと思うし、嫌だとか言われたらたぶんショック受けて悪態ついてたと思う」


 うん、容易に想像できてしまうな。


「卒業してから人伝におまえが上京して一人暮らし始めたって聞いて、俺も大学出た後すぐこっちに来たんだ。春日花のこと諦められなくて、もしかしたらどこかで会えたりするんじゃねえかって。見つけたときは舞い上がって、多少強引でも絶対逃したくなかった」

「…………ま、待って。それだとまるでわ、わたしに会うためにこっちにきた、みたいに聞こえる、よ?」


 こくりと頷かれて頭が混乱する。住み慣れた街を出ることも就職も、どれも人生の重要な選択の一つだ。そこまでしてわたしに会いたかったの? あの意地悪な夕凪千早が? なんでとこぼれかけた言葉を呑み込んだ。それを訊くには答えが揃い過ぎている。だって彼は既に好意を伝えてくれているのだから。

 夕凪くんはしゅん、と肩を落として「悪い。気持ち悪かったか?」と不安そうにこちらを窺う。びくびくと震える子猫のような姿は記憶の中の夕凪くんの姿とかけ離れている。だけど思えば夕凪くんはときどきバツの悪そうな、こちらの様子を窺うような顔をしていた。どうしたの? と声をかけると決まって「うるせえ」とそっぽを向いてしまっていたからわからなかったけれど、もしかしたら今みたいに不安そうな表情をしていたのかもしれない。

 わたしの返事を大人しく待つ姿に思わず彼の両手を掬うように掴んだ。


「気持ち悪くなんてないよ。会いにきてくれてありがとう」

「……っ」

「夕凪くんがそうやって行動してくれたから、わたしたちまたこうして会えたんだね」


 高校生の頃のわたしたちは仲がいいなんて到底言えなくて、でも今こうして並んでプリンを食べて話をしている。たくさん意地悪もされたし嫌なことも言われて大嫌いだと思ったことは数知れず。だけど不思議と夕凪くんと話す時間は嫌いじゃなかった。ぶっきらぼうで少し乱暴な彼の瞳に映ることが嫌じゃなかった。卒業してから今日まで夕凪くんを忘れた日はなかった。


「ありがとう、夕凪くん」

「おまえはいつも真っ直ぐだよな。そういうところすごく好き」

「そ、そういうこと言わないで」

「なんで?」

「う、嬉しいけど恥ずかしいし、それに」

「うん」

「……あの頃夕凪くんに言われた言葉と好きが一致しなくて混乱してる。事情はわかったけど、でもすごく悲しかったのは本当で、だから、だからその」


 上手く言葉にできなくて言い淀むわたしの口の前にずいとスプーンに乗せられたプリンが差し出された。目を瞬いて「え?」と困惑をこぼしたわたしに夕凪くんは「まあ食えよ」とスプーンを更に近づけてくる。おずおずとそれを口にして、広がる甘さに少し心が落ち着いた。ほ、と肩から力が抜ける。


「ゆっくりでいいからさ、教えて。春日花のこと」

「……毎日のようにノロマ、ぐず、早くしろって言ってた夕凪くんがゆっくりでいいって言った!」

「おまえな」


 ハッと口に手を当てる。心の声が漏れてしまった。


「悪かったよ。本当に」

「う、うん。今のはごめん。責めるつもりじゃなかったの。もう大丈夫だから謝らないで。ね?」

「ん」


 小さく頷く姿にきゅんっとしてしまう。なんだかずっと懐かなかった猫が懐いてくれたような、頭を撫でまわしたい衝動にかられる。さすがに怒られるだろうからしないけど。ふと訪れた静寂とじっとこちらを見つめる双眼がわたしの話を待っている気がして、どうしてか泣きたくなる。じわりと胸に広がる感情がなんなのかわからない。苦しいような、痛いような、でも嬉しいような。上手く話せるかわからない。でも夕凪くんはちゃんと話してくれた。だからわたしも拙くてもきちんと伝えなきゃ。あの日のままの気持ちを抱えているわたしは、きっと何も終われていないから。

 深く息を吸う。夜の匂いが泣きながら帰ったあの日と重なった。


「……わたしね、夕凪くんがわたしのこと好きじゃない、ありえないって言ってるの聞いて、やっぱりねそうだよねって思ったのと同時にすごくショックだった」

「……」

「胸が張り裂けそうなくらい苦しくて辛くて、これ以上傷つきたくなかったから夕凪くんから逃げたの」


 でも。


「夕凪くんと話さなくなって、そのまま卒業して会えなくなってすごく寂しかった。思い出すのは不機嫌な顔ばっかりだし、嫌なことだってたくさん言われたのに。変だよね? このまま思い出として形になるものだと思ってたのに全然なってくれない。……今でもずっと苦しいまま」


 好かれていないのは知ってたはずなのに、どうしてあんなにショックを受けたんだろう。この胸の痛みとモヤモヤはなんなんだろう? 卒業してから数年経ったというのに未だに答えを出せていない。わたしはわたしの気持ちをわかっていない。重たい息を吐くわたしの隣で夕凪くんは上体を倒すと覗き込むように上目遣いをする。なんだそれ、あざとい。あざといな。もうさっきから夕凪くんが一々ツボをついてきて胸が苦しい。


「それって俺のこと好きってことなんじゃねーの?」


 なんでそうなった。


「急に爆弾投げつけてくるのやめてくれる?」

「だってそうとしか聞こえない。俺でいっぱいになってるってことだろ」


 嬉しそうに口角を上げる夕凪くんに開いた口が塞がらない。


「俺もずっと春日花だけだよ」


 じわりと頬が熱くなる。頬だけじゃない、身体中に熱が広がって沸騰しそう。待って待って待って。……好き? わたしが夕凪くんを?


「好きなんて、違うもん。わ、わたし初恋もまだなんだよ! 意地悪な夕凪くんに恋なんてしてないよ」

「俺も春日花が初恋」

「聞いてない! あと“も”てなに!」


 じとりと汗が滲んで喉が渇く。


「い、いろいろあったから、だから忘れられなくていっぱいになってただけ、だと思う」

「じゃあ春日花は今まで嫌な思いさせられてきたやつのこと、そんな風に覚えてる? 引きずってる?」

「それは」

「おまえのこと好きじゃないって言ったやつがいたとして、俺のときみたいにショック受けんの?」


 待って。やだ、待って待って。


「俺に言われたからショックだったんじゃねぇの?」

「えあ、え?」

「俺だったからおまえのことそこまで傷つけられたんじゃねぇの? ——俺のことが好きだから」


 真っ直ぐにぶつけられる言葉と視線にたじろぐ。ドキドキと鼓動が早鐘を打って、脳が警鐘を鳴らす。このまま進んだらきっともう戻れない。


「ゆ、夕凪くんのこと考えると苦しいの。こんなに苦しいのが恋なの?」

「俺も苦しいよ。春日花のことが好きすぎてもうずっと苦しい」


 切なげに歪められた瞳から逃げるように下を向く。頰に添えられた手に促されるように顔を上げると夕凪くんはまた様子を窺うようなずるい顔をして「俺のことまだ怒ってる?」と小さく首を傾ける。


「怒ってないよ」


 本当にもう怒ってない。そもそも怒っていたのとは違う。ショックではあったけど怒りは湧かなかった。


「じゃあなんで苦しいんだろうな」


 そんなのわたしが知りたい。


「俺に会えなくて寂しかったのはなんで?」


 ……なんで? なんでかな。


「もしもさ、俺がこんな風に他の女と一緒にいたらどう思う?」

「……っ」


 想像するまでもなく胸がズキっと痛む。

 夕凪くんがわたし以外の女の子に意地悪で、肩を並べてプリンを食べて、壊れ物を扱うみたいに優しく頬に触れて。


 ——そんなの。


「嫌、だ」


 すごく嫌だ。


 夕凪くんが瞳に涙を浮かべて嬉しそうに微笑む。


「それって俺のことすげー好きってことじゃん」


 その笑顔に心が満たされてじわりと涙が滲んだ。


「ち、違う、かも」

「俺のことすげー好きじゃん」

「だからっ、」

「それ俺のこと好きってことだよ」

「ちが、」

「違くねえ。好きなんだよ、俺のこと」

「うっ、くぅ」

「なあ春日花、好きだよ」


「…………夕凪くんのバカぁ」


 ああもう、まじか。


「わたしも、好き」


 この曖昧でよくわからない感情がようやく恋になった。





 おわり



 

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大嫌いな同級生と大人になって恋をする 姫野 藍 @himenoai

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