大嫌いな同級生と大人になって恋をする④

 



 今日が終わり、夜の十二時を少し過ぎた頃スマホが短い音を鳴らした。ベッドに入っても眠れずにぼーっとしていたわたしは緩慢な動きでスマホを手に取ると暗闇の中で光る画面を確認して飛び起きた。画面に表示された、一週間前までは一日に何度も見ていた名前。夕凪千早——いつの間にか彼からの連絡を待っていたことにわたしは連絡が途絶えてから気づいた。

 『夜中にごめん。会いたい、下で待ってる』こっちの意見など求めていない夕凪くんらしいメッセージにふふと思わず笑ってしまう。それから「え」と部屋に困惑が落ちる。待ってる? え今? 何度読み返しても後日会いましょう、ではなくまさに今、これからとしか読みとれない内容だ。

 ……………………………………………………………………………………。

 慌てて寝間着から着替えてスマホ片手に家を飛び出した。



◇◇◇



 本当にいる。

 エントランスに降りて夕凪くんを見つけた瞬間、浮かんだ言葉はそれだった。さすがに意地悪な夕凪くんといえど夜中にこんな悪質な悪戯をするわけがないのはわかっているけど、わたしの都合のいい夢だったわけではないようでほっとした。スーツに身を包み、夕飯だろか? なにやらコンビニの袋を片手に提げている夕凪くんが「春日花」とわたしの姿を認めて表情を和らげたのを見て若干緊張しながら近寄る。


「こんな時間に呼び出して悪い」

「ううん、大丈夫。それより夕凪くんまさか仕事帰りなの?」


 夕凪くんはお酒を飲んでもあまり顔に出ないようだけど、飲んだ帰りだろうか? それともこんな遅くまで残業? だとしたら早く帰って寝た方がいい。よく見れば目の下にクマができているし心なしか顔色もよくないように見える。

 夕凪くんは首に手を当てて「あー」と視線を逸らした。


「プリン探してたっつーか」

「え、プリン?」

「うん」

「そ、そっか。プリン」


 プリン探してて帰りが遅くなったってこと? なんか意外。夕凪くん、甘いもの好きだったのか。知らなかったな。夕凪くんは窺うような視線をわたしに向けて一度唇を引き結ぶと「……この近くに公園あるだろ」と口を開いた。


「立ち話もなんだし、行きませんか?」

「嘘でしょう。夕凪くんが敬語で話すなんて」

「おいなめんな」


 半眼で睨まれてしまった。衝撃が大きくてつい口に出してしまったんだよ。「俺だって敬語くらい使えるわ」と拗ねてしまった夕凪くんになんだか力が抜けて頬が綻ぶ。軽口を叩ける距離に心底安堵して「いいよ」と頷いた。


「でも夕凪くん、クマできてるよ。もしかして寝れてない? 早く帰って寝なくて大丈夫?」

「……いや、まあ、うん」

「うん?」

「平気。ちょっと寝不足なだけだ」

「寝不足?」

「……春日花とちゃんと話したくて、いろいろと考えてた。もう間違えたくねえし、離したくねーからな」


 「行くぞ」と背を向けた夕凪くんの言葉が真っ直ぐ心に突き刺さる。夕凪くん、わたしと話したいって思ってくれてたんだ。自業自得とはいえメッセージが来なくなった日から、もう愛想を尽かされたんだと思っていた。そうか、夕凪くんはまだわたしと話したいと思ってくれているんだ。わたしも夕凪くんと話したかった。ずっと、ずっと。

 わたしが着いてきていないことに気づいた夕凪くんが振り返る。どうした? と気遣う優しい瞳に「なんでもないよ」と踏み出した。ねえ、夕凪くん。思えばわたしたち、ちゃんと会話してなかったのかもね。



 月灯りに照らされた夜の道を並んで歩く。公園に着くと夜の空気に晒されて少しひんやりとしたベンチに腰を下ろす。隣に座った夕凪くんがガサガサと袋を漁り出した。「ん」と差し出されたものに目を丸くして夕凪くんを見ると「おまえ好きだったろ」と小さく首を傾ける。


「す、好きだけどなんで知ってるの?」

「なんでって、前に一緒に帰ったとき言ってたろ」


 前に一緒に帰ったとき? それっていつの話? この間? その前? いやどっちもそんな話してないよね。——ふと、高校生の頃放課後二人で帰ったときのことを思い出した。

 その日はなんの気まぐれか、昇降口で出会した夕凪くんに「おいノロマ。一緒に帰んぞ」と言われたのだ。おいノロマの時点で一緒に帰る気なんてさらさらなかったのだけど、「遠慮します」と言い切る前に「帰るよな?」と威圧され拒否権を木っ端微塵にされたわたしは大変不満ですと顔に出しながら夕凪くんと帰路についた。夕凪くんと一緒に帰ったのはその日が初めてだったと思う。たぶん。些か記憶が曖昧だけど、その途中でコンビニに立ち寄ったのは色濃く覚えている。


「それ買うの?」


 お気に入りのプリンを見つけて機嫌よく手に取ったわたしの隣に買い物カゴを持った夕凪くんが並ぶ。


「うん。好きでよく買うんだけど、人気みたいで売り切れてること多くて。ラッキーだよ」

「ふーん」


 興味無さそうながらも、そのプリンを一つ手に取りカゴに入れる。それからわたしの手からもプリンを攫った夕凪くんはこれまたなんの気まぐれか「奢る」と有無を言わせぬ態度でレジへと行ってしまった。


「え? え、いいよ。自分で買う!」

「ついでだ」

「自分で! 買う!」

「うるせぇ」


 片耳を押さえて淡々とお会計を済ませてしまった夕凪くんは、いくら騒いでも引っ張っても代金を受け取ってはくれなかった。


「ほら」


 わざわざ別々にしてくれたプリンの袋を受け取る。


「いや怖いな。本当にいいの?」

「いいから素直に受け取っとけ。だいたいなんでそんなに渋るんだよ」

「普段の行いの所為では? ——いひゃい!」


 頬をぐいと引っ張られて恨めしい気持ちで夕凪くんを見上げると、何故か優しい笑みを携えた夕凪くんがいた。珍しい。今日は珍しいことばっかりだ。そんな顔で見られたらささくれていた心が凪いでしまう。


「……ありがとう。大切に食べる」

「ん」


 ぽんぽん、と頭を弾む手に幻かと夕凪くんに摘まれたのとは反対の頬を摘む。夢でも幻でもない普通に痛かった。


「なにしてんのおまえ」

「あ、えっと。なんでもない」


 どうやら今日の夕凪くんは心底ご機嫌らしい。家に帰って食べたプリンは何故だかいつもより甘く感じた。



 そんな思い出を駆け巡り、目の前の夕凪くんを見つめる。記憶の中の彼よりも少し大人びた姿。


「あのプリン美味かった。あれからたまに買ってたけど、今日に限ってなかなか見つかんねーの」

「……」

「おまえと一緒に食いたかったから探したわ」


 プリンの上に乗せられた小さなスプーンに視線を落とす。


「こんな時間に食べたら太るよ」

「おまえは少しくらい太ってもたぶん可愛い」

「たぶんってなに」

「冗談。まんまるになったって絶対可愛い」


 なんなんだ。そんな甘い台詞言うタイプじゃないじゃん。プリンか? このプリンがそうさせるのか? 隣で食べ始めた夕凪くんに「……ありがとう」と呟く。あのときと同じように頭を撫でる手に胸がきゅうっと締めつけられた。

 深夜に二人並んでプリンを食べる。さっきまでぽんぽんと交わされていた会話は途切れ、沈黙が漂う。どれくらい続いただろうか、「悪かった」と先に口を開いたのは夕凪くんだった。突然の謝罪に首を傾げる。


「付き合いたくないとか、ありえないとか本心じゃない」


 続いて紡がれた内容に視線を落とす。じくりと胸が痛んだ。


「揶揄われてつい言っちまったけど、好きじゃないなんてそんなわけねーだろ」

「夕凪くん?」

「本当は好きで好きでたまらなかった」


 真剣なそれでいて不安げで、嘘のない眼差しが真っ直ぐに向けられる。好き。彼の口からまた聞くことになるとは思わなかった。冗談に決まってる、友達としてだよね、そうやって予防線を張って心の内に入れようとしなかった。だけどもう逃げられない。逃げる隙がないくらいに真摯な心に触れてしまったから。


「ずっと意地悪だったよ」

「悪かったと思ってる。意識して素直になれなかったつったらそれまでだけど、なんつーか、楽しかったんだ。おまえと言い合ったりしてんのが。あと言い返してくるの可愛かったし」

「……さっきから可愛いとかなんなの。やめてくすぐったい」

「なにそれ可愛い」


 ふ、と口元を緩める夕凪くんから素早く目を逸らす。心臓がドキドキと早鐘を打って苦しい。


「言わなくて後悔した」

「え?」

「可愛いって、好きだって、ちゃんと伝えなくて後悔した」

「……」

「隣の席じゃなくなってから急によそよそしくなるおまえに、俺に興味がないんだって勝手に落ち込んで、理由を訊こうともしなかった。俺の所為だったんだな。俺のバカみたいな意地のせいでおまえのこと傷つけて……本当にごめん」


 ああ、もうずるいな。

 胸が痛くて苦しくて目頭が熱くなる。夕凪くんに嫌われていると思ってた。わたしだって大嫌いだったはずなのに、いつの間にかわたしの中で大きくなっていた夕凪千早という存在が何年もわたしを縛って、今こうして謝られて、強張った心が緩んでいく。


「もういいよ。……嫌われてたわけじゃなくてよかった」


 今にも泣き出してしまいそうなほど弱々しい夕凪くんと向き合う。なんだか隣の席だったあの頃に戻ったようで懐かしさが込み上げてくる。


「わたしもごめんなさい。嫌われてるんだって何も言わずに避けてた」





 


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