大嫌いな同級生と大人になって恋をする③

 



「信用しちゃダメなの?」

「……ダメっつーか、良い人で終わるなんてごめんだからな」

「良い人とは言ってない」


 チッと盛大な舌打ちをされた。

 飲み物が届いて乾杯する。いや本当にまさか夕凪くんと乾杯! なんてする日が来ようとは。カチンとグラスをぶつける音が小気味よく響いて胸を弾ませる。「なに食う?」と言いながらまたもや夕凪くんはテーブルをいっぱいにする程の料理を頼んだ。前回もそれでちゃんと食べきったのだから今回も大丈夫だろう。


「他に何か食いたいものあったら頼めよ」

「うん、ありがとう。再会してから本当に夕凪くん? ってくらい気を遣ってくれるよね」

「おまえは変わらないけどな」

「え!」

「…………良い意味で」

「待って。気を遣われた?」


 ふは、と吹き出すように笑う夕凪くんにつられて笑う。学生の頃は滅多に見ることのなかった夕凪くんの笑顔に胸の辺りがムズムズする。大人っぽくて整った顔立ちをしている夕凪くんだけど、笑うとあどけなくて可愛いな。こうやって笑顔を見せてくれるということは、ほんの少しでもわたしに心を開いてくれたと思ってもいいのかな?





 美味しいお酒と料理に舌鼓を打ちながら楽しい時間を過ごす。昔の話、今の話。どこかお互いに“あの頃”を避けて話すようではあったけど、共通の思い出や知らなかったこと、同級生だからできるような思い出話に花を咲かせて気がつけばラストオーダーの時間がきてしまった。


「時間が経つのあっという間だな」

「そーだねぇ。ていうか夕凪くんすごいねー! お酒結構飲んでるのにぃしゃんとしてる」

「まあ、強い方ではある」

「うふふ」

「おい酔っ払い、酒じゃなくて水飲め水」


 少し前から断固として水を飲ませようとする夕凪くんは眉間にしわを寄せていて、少し寂しくなる。せっかくいっぱい笑ってくれるようになったのに、また仏頂面に戻ってしまった。テーブルに乗り出して夕凪くんの眉間に手を伸ばす。しわを撫でるように指を這わせると一拍置いて「は?」と驚いたような声が飛んできた。ストンと席に腰を下ろして「なにしてんだよ」とせっかく伸ばした眉間のしわを再度寄せる夕凪くんの口に、残っていたアスパラベーコンを突っ込んだ。


「んぐ、」

「わたしさ、わたし夕凪くんともっと仲良くなりたかったんだよ」

「……仲良くなかったのかよ」

「うーん?」

「……俺、おまえにもっと近づきたい。あの頃からずっとこの気持ちは変わってないよ」


 夕凪くんの真っ直ぐで、でも不安げに揺れている瞳がわたしを捉える。


「また会いたい。会ってくれる?」


 うん、そう頷けば和やかに終わる話だった。実際アルコールの一つも入っていなかったら笑顔で頷いていただろう。だって楽しかった。再会してからの二度の飲み会もメッセージのやり取りも。もうすっかり日常に夕凪くんが溶け込んでしまった。会いたいと言われたことが素直に嬉しくて、でも同時にどうしてという気持ちが溢れてくる。

 夕凪くんはどうしてわたしの手を掴んだんだろう、どうしてたくさん連絡をくれて飲みに誘ってくれるの? 会いにきてってなに? 会いたいってなんで?


 ——「俺が春日花を好き? まじでありえねーんだけど」

 ——「ないから。あいつだけは絶対にない。無理ありえない」


「どうして?」


 言葉が口をついていた。


「どうして会いたいなんて言うの」


 感情が激しく揺さぶられる。いろんな感情がぐちゃぐちゃと絡まり合って泣きたくなった。


「好きだから」


 一瞬何を言われたのか、夕凪くんの言葉の意味がわからなくて目を瞬かせる。そんなわたしに追い討ちをかけるように「春日花が好き」そう続けた夕凪くんは真剣そのもので、冗談を言っているようには思えない。でもそんなわけないでしょ。


「いやいや、うそうそ」

「あ? 嘘じゃねーよ」

「うそつき」


 夕凪くんの機嫌がみるみるうちに悪くなっていくのがわかる。でも好きだなんて嘘だ。会いたいなんてありえない。だって夕凪くんは……


「わたしとはありえないんじゃなかったの?」

「はあ? なに言って」

「わたしのことなんて好きじゃない、ありえない、付き合いたくないって言ってた」

「いつ」

「席替えする前の日の放課後」


 楽しかったこと悲しかったこと、たくさん思い出がある高校生活でこの日の出来事だけは忘れたことがなかった。思い出すたびに苦く心を締めつける。別に付き合っていたわけでも特別仲良しだったわけでもない。あれから数年経ってわたしたちは大人になった。昔のことを今更掘り返すなんて、とも思う。わかってる。でも、それでもわたしにとっての夕凪千早はあの日から時を止めたままで、その止まった時間の中でわたしは、あの日の教室の前で佇んだまま動かないでいる。あのときも今もどうしてこんなに苦しいんだろう。名前のわからない感情を呑み込んで、にっこりと笑みを作る。


「だから、好きなんて信じないよ」


 ああやっぱりお酒なんて飲まなかったらよかった。そうしたらもう少し感情も制御できたし、こんな酷いことだって言わなかったのに。夕凪くんにそんな苦しそうな傷ついた顔をさせずに済んだのに。

 その日から夕凪くんからの連絡がぴたりとやんだ。



◇◇◇



 やっっっっっってしまった!

 小鳥の囀りが聞こえる爽やかな朝、わたしはベッドの上で頭を抱え後悔に打ちひしがれている。昨日は夕凪くんと飲みに行って、それから楽しかった時間をぶち壊しにして帰ってきた。「好きなんて信じないよ」そう言ったときの夕凪くんの傷ついた顔が忘れられない。スマホを手に取ってメッセージアプリを開く。あのあと夕凪くんはわたしを家まで送ってくれた。帰りは二人とも終始無言で、玄関先で「ちゃんと戸締りしろよ。おやすみ」それだけ言うと夕凪くんは帰って行った。いつもなら送られてきているメッセージも昨日の夕方から音沙汰がない。

 当たり前だ。理由はどうであれ好きだと言ってくれた人に信じないと答えたのだ。不快な思いをさせたに違いない。胸がズキズキと痛むけれど、それも全部自業自得だ。わたしは悩んだ末に『昨日はごめんなさい。送ってくれてありがとう』とだけ送信して土曜日の朝、現実から逃げるようにもう一度布団の中に潜るのだった。



◇◇◇



 それから一週間、夕凪くんからの連絡はない。あんなに毎日送られてきていたメッセージが来なくなった。原因は火を見るよりも明らかで、最後に送った謝罪にも既読が付いただけ。はあ、と我知らず溜め息がこぼれた。


「春日花先輩、食欲ないですか?」


 かけられた声にそちらを向くと後輩の女の子が心配そうな顔をして立っていた。


「大丈夫です? 先輩ここのところ根詰めすぎてるっていうか、無理してないか心配です」

「わーーごめんね。全然大丈夫だよ」

「本当ですか? 余計なお世話かもしれませんけど、彼氏さんと喧嘩でもしました?」

「へ?」


 彼氏?


「スマホ見て溜め息吐いてるから、そうかなって」

「あ、いや、彼氏はいなくて」

「またまたぁ、隠さなくてもいいじゃないですか。先輩が幸せそうに誰かと連絡とってるの私たち知ってるんですから」


 ニヤニヤと「隠さないでもっと惚気てくださいよー。恋バナしましょ」なんて盛り上がっている後輩を前にいや本当にいないからとは言いづらくて曖昧に笑う。恐らくは夕凪くんとやり取りしているときのことを指されているのだろう。幸せそうな顔をしていたかはともかく、楽しかったのは事実だ。同期からも彼氏か、と揶揄われたのを思い出す。夕凪くんが聞いたら卒倒するかもしれないな。わたしと噂になるなんて心底嫌だろう。


 ——「春日花が好きだよ」


「……っ」

「先輩? 本当に大丈夫ですか?」


 顔を覗き込むように見られてハッとする。


「大丈夫だよ。心配かけてごめんね」

「……先輩やっぱり今日は早退して休んだ方がいいんじゃ」

「大丈夫大丈夫。ちょっと考え事してただけだよ。すっごく元気! 午後からも頑張るよー」


 心配そうに眉を寄せていた後輩は「無理はしないでくださいね。それからいつでも惚気聞きますんで」とニヤニヤしながら去って行った。結局訂正できなかったな。夕凪くんとわたしが恋人同士か。高校生の頃はそんな噂の一つも出てこなかったのに。……当たり前か、わたしたちの間に甘酸っぱいものなんてなかったもんね。夕凪くんが言った好きの言葉も過剰に反応してしまったけど、単なる友人に向けたものだったのかも。だとしたらわたし昔のことを掘り返して付き合うだとかなんとか恥ずかしいな。夕凪くんもわたしが勘違いしてるから気まずくなって距離を置こうと思ったのかもしれない。もしかしたら冗談でも好きだとか会いたいとか言ってしまったことを後悔してるのかもしれないし、酔いが覚めて冷静になったらやっぱりあいつはないな、って再確認したのかもしれない。そうやって一つずつ先回りして痛みへの耐性をつくろうとする自分に呆れて乾いた笑みがもれた。結局わたしは、夕凪くんのことを何も知らない。知ろうともしていない。あの日から夕凪くんと正面から向き合うことが怖いんだ。





 

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