大嫌いな同級生と大人になって恋をする②




「なに飲む? おまえぼーっとしてっからさっきは勝手にソフドリ頼んだけど酒飲めんの?」


 どうしてこうなった?

 ガヤガヤと賑やかな居酒屋の個室、目の前でタブレットを操作する男に頭が追いつかない。駅で会ってご飯を食べたのかと訊かれてあれよあれよと居酒屋に連れて行かれてしまった。いやいやおかしいでしょ。わたしたち仲良くご飯を食べるような仲じゃない。なんなら個室に通されたときに夕凪くんが頼んだカルピスは既になくなりそうだけど、それでもまだわたしのメンタルは混乱を極めていた。

 タブレットから顔を上げわたしを見る双眸がどうした? と語っている。まぁもう来てしまったのだから仕方がない。「見る?」と差し出されたタブレットを受け取ってノンアルコールを選んだ。タブレットを夕凪くんに渡して枝豆を摘む。わたしが何も言わないからか夕凪くんはやたらと注文してテーブルにはたくさんの料理が並んでいる。これ食べきれるのかな。そういえば夕凪くんはよく食べてたっけ。

 ことん、と目の前に唐揚げの乗ったお皿が置かれた。「もっと食え」そう言ってビールを呷る姿に、わたしたち大人になったんだなと改めて実感する。当たり前だけど十代の頃はお酒なんて飲めなかった。こんな時間にそれも居酒屋に食べに行くなんて。思わず凝視してしまっていたわたしに気づいた夕凪くんがふい、と目を背けた。ああ、こういうところはあの頃と変わらないな。


「それにしてもすごい偶然だね」

「ん? ああ、まさかここで会えるとは思わなかった」


 目を細め嬉しそうに緩く口角を上げる夕凪くんは果たして本当にあの夕凪くんなんだろうか。記憶を掘り起こしてみてもこんな表情初めて見た。


「ゆ、夕凪くんも東京来てたんだね。いつから?」

「大学卒業したあと。おまえは高校卒業してすぐ上京したって聞いた」

「うん。こっちの大学行ってたんだ」

「聞いてねえ」

「ん?」

「俺、おまえの口から聞いてないんだけど」


 この人酔ってるのかな?


「まあ、進路を教え合うような仲でもなかったでしょ」

「……」


 しまった。今のは感じ悪かったかも。


「連絡先教えろ」

「え」

「連絡先教えろ」

「嫌だけど」

「あ?」

「いや、だって、なんで?」

「久しぶりに会った級友に冷たくね?」


 それは君の過去の行いの所為だと声高々に言いたい。ダメなの? なんで? と食い下がる夕凪くんに胸中で頭を抱える。逆になんでこの人こんなに連絡先知りたがるの?


「なあ、お願い。ダメ?」


 嘘だろ。そんな可愛くお願いとか言える性格じゃないじゃん。ついさっきの「あ?」とか威圧的な態度はどこにいった。

 一向に諦める様子のない男に深く溜め息を吐いてスマホを取り出す。なんだかいつまでも昔のことをぐちぐち言ってる自分が恥ずかしくなってきた。過去の態度は目に余るけど少なくとも今の彼はわたしの連絡先を知るためにお願いと言えるのだから。

 無事に連絡先を交換して「ありがとうな」と言う夕凪くんに思わず自分の飲み物を確認する。さっき店員さんが手際よく持ってきてくれたドリンクは紛れもなくわたしが頼んだノンアルだ。


「なんだよ。飲めない? 俺が飲むから他の頼むか?」

「大丈夫。ただ夕凪くんがお願いとかありがとうなとか言うから、これアルコール入ってるのかなって」

「つまり?」

「つまり幻覚幻聴かもしれない」


 頬を抓ってみたけどしっかり痛いし、目の前には呆れた顔をした夕凪くんがちゃんといる。となれば幻聴か?


「あのな、さすがに社会人にもなったら礼くらい言えるわ」

「いや高校生も言えなきゃダメでしょ」

「おまえ以外には言えてた」


 わたしにはお礼を口にするような場面はなかったってか? ……いやあっただろ思い出せ。


「言わないと後悔することがあるのも学んだからな」


 ぽつりとこぼされた言葉に何故だか胸が苦しくなる。そうか、あれから数年。夕凪くんにもいろいろとあったのかもしれない。わたしの知る夕凪くんは言いたいことを言いたいだけ言っていた男だから想像つかないけど。


「元気だしなよ。ほら、チーズ揚げ食べな」

「別に落ち込んでねーよ。それに今は久しぶりに気分がいいんだ」

「……そっか」


 それならよかった。なんだこいつ、から大嫌いまで成り下がった夕凪くんだけど、心の底から憎んでいるわけじゃない。なんだかんだ楽しかった思い出も米粒ほどならある。だから、心底嬉しそうな顔を見て不思議と心が温かくなるのを感じた。

 その日は結局いいと言うのに夕凪くんが家まで送ってくれて「またな」と片手を上げて帰って行った。またな、か。おそらくもう会うことはないんだろうな。連絡先だって交換はしたけど連絡が来ることはないだろう。だからもう少しだけ、あの背中が見えなくなるまで見送っていよう。そんなわたしの予想が大きく外れたのはその日の夜だった。律儀に『楽しかった。おやすみ』と送られてきた文面にすう、と息を吸って吐く。


 わたしアルコール飲んでないよね?



◇◇◇



 『猫』『これ美味かった』『花』次の日から一言二言、たまに写真付きで頻繁にメッセージが送られてくる。相手は言わずもがな夕凪千早で、戸惑いを感じながらもぽつぽつと返事を打つ。なんだかあの頃に戻ったみたいだ。夕凪くんが隣にいるような変な感じ。

 それにしても文章からもぶっきらぼうな様が見てとれる。スッとトーク画面を動かして彼とのやり取りを眺めた。その文章とも呼べないような単語と写真を見て思う。夕凪くんは暇なのかなと。おそらく学生時代わたしのことを嫌っていた夕凪くんだ。わざわざこんな他愛もないメッセージを送ってくるなんて相当暇なのか。いやでもこの時間は仕事のはずだ。昨日どこで働いていて何をしていると訊いてもいないのに教えてくれた。その流れでわたしの職場も割れてしまっている。最近では普段あまりスマホを構わないわたしが頻繁に誰かとやり取りしている姿を見て「彼氏か? 彼氏だな」と同僚に揶揄われる始末だ。だけどまぁ、嫌ではない。簡素でそっけない文面ではあるけど送られてくる猫や花の写真は可愛いし、気になっていたお菓子なんかの新作を美味しかった、あれはいまいち、だと教えてもらうのも聞いていて楽しい。問題は何故こんなやり取りが為されているのかだけど、きっと夕凪くんの気まぐれだろう。久しぶりに会った同級生にテンションが上がっているんだ。うん。

 またポコンとスマホが音を立てた。『また会った。こいつ、最近よく会社の近くうろついてる』続いて写真が送られてくる。夕凪くんだろう人の手が可愛い三毛猫の頭を撫でていた。珍しく単語じゃないメッセージと癒される写真に笑みがこぼれる。『もしかしたら夕凪くんに会いにきてるのかもしれないね』送ったメッセージにはすぐに既読が付いた。けれども返事は来ず、終わったのかなとスマホを置いた瞬間通知を報せる音が鳴る。


『春日花も会いにきてよ』


 ドキッと心臓が高鳴った。え? なにどういうこと? 夕凪くんの真意を読み解こうと何度も読み返してみるけれどわからない。わたしに会いにきてって言ってる? 言葉のまま受け取ってもいいのか、新手の悪戯なのか。結局なんと返事をしたらいいのかわからず、わたしは初めて既読スルーをしてしまった。



◇◇◇



 『今日飲みに行かない?』そうメッセージが届いたのはちょうど会社を出て駅に向かっているところだった。夕凪くんと再会してから毎日メッセージのやり取りはしていたけど、実際に会うのはほぼ一ヶ月ぶりである。

 飲みに、飲みにかあ。スマホを片手に立ち竦む。夕凪くんに対して再会したときほどの苦手意識はもうない。毎日のやり取りの中で少しずつ夕凪くんが日常に溶け込んでいて、一ヶ月会っていなかったなんて嘘みたいだ。

 逡巡し『いいよ』と送る。すぐに待ち合わせ場所と時間が送られてきて、わたしは電車へと乗り込んだ。





「ごめん、待った?」


 約束の時間より少し早く着いたわたしの目に飛び込んできたのは柱に背を預けスマホ片手に待っている夕凪くんの姿。慌てて駆け寄ると夕凪くんは「いや、俺もさっき着いた」とスマホをポケットにしまう。


「行こうぜ」


 楽しそうな顔をして歩き出した夕凪くんに置いて行かれないように隣に並ぶ。飲食店が建ち並ぶ通りは既に賑わっていて金曜日の今日は一段と沸き立っている。居酒屋に到着し、最初に飲み物を頼んでふう、と一息ついた。


「今日は酒なんだな」

「この間は一応、酔ったらまずいと思ったからね」


 夕凪くんがわたしに何かするなんて絶対にありえないとわかっていても、わたしの方が万が一酔って余計なことを口走ってしまったらと思うと警戒心は万全に持っていたかった。夕凪くんは頬杖をついてニヤッと揶揄うような笑みを浮かべる。


「ふーん、じゃあ今日は酔ってもいいんだ」


 意味深な物言いにぐっと押し黙る。何度も言うけど夕凪くんがわたしに何かするなんて絶対に天地がひっくり返ってもありえない。それに、


「一応、信用してるから」


 再会してから会ったのはたったの二回。それでも毎日送られてくるメッセージにすっかり絆されてしまった。たまに意地悪だし揶揄われたりするけど、高校生のときとは違うのはわかる。なんというか棘がなくなった? 前回は酔ったら文句の一つでも言ってしまいそうだったけど、今はたぶん大丈夫だろう。そもそも分別がつかないほど飲むつもりはないし。お冷を一口飲んで夕凪くんに視線を向けると複雑そうに目を伏せていた。


「そんな信用すんなよ」


 こぼされた言葉の意味がわからず「え?」と問い返す。夕凪くんは不機嫌そうな拗ねたような瞳をわたしに向けると「だから、信用すんな。ちゃんと警戒してろ」とそっぽを向いてしまった。何故だ。信用するな、なんて初めて言われた。普通信用された方が嬉しくない?





 

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