第16話

「あ、あの……足洗ってきました……」

 

 しまった。いちこのせいで、どんな備品があるのか見るのを忘れていた。と言うかざっと見てもアルコールと傷薬しかない。どっちも使えないじゃんか。いや、使えるのだけど、塩みたいな効果はない。もしかしていちこはこれを見越して、私を睨んでいたのか。

 ちらっと後ろに視線を向けると、にやけたいちこが私の視線に映っていた。

 いちこめ。やりあがったな。でも、ここで大人しく引き下がると思ったら大間違い。傷薬ドボドボかけてやる。膝ならいちこの位置からは死角だしな。私がどんな手当をしているかは見えない。

 

「とりあえずその椅子に座れ」

 

「は、はい……」

 

「膝出せ」

 

「はい……」

 

 このビチョビチョのガーゼで傷口を拭ってやる。せいぜい喚くがいい。

 

「いっ……」

 

 思いの外我慢強い。最初の一声以外声にすらしていない。軽い傷だからこれ以上処置のしようがない。これからは常時塩を鞄に入れておこうか。魔除けも兼ねて。

 テーブルの上で大型の絆創膏を探していると、私が処置手当していると言うのにこの男はいちこに話しかけていた。

 

「そういえば、本庄さんはどうしたの。体調不良?」

 

「……そんなところ」

 

 いちこが大嘘を吐いた。

 私もこんな恥ずかしいことをやらされているのだから、いちこも少しばかり恥をかかないと平等じゃないよな。

 

「違うよ。自分が落とした絵の具で足を滑らせて捻挫したんだよ」

 

「な、ななちゃん!」

 

 絆創膏を見つけたから、叫んでいるいちこの方を見ると、今にも飛びかかってきそうな勢いで私を睨んでいた。

 怒りからか恥ずかしさからか、顔が真っ赤になっていて、枕も投げたかったのだろか、さっきまで頭の下にあったのに、今は膝の上に置いてあった。

 この男がいて初めて助かったかもしれない。

 

「そ、そうなんだ本庄……」

 

「う、うん……」

 

 めっちゃ気まずそうな空気になっていた。

 男に絆創膏を貼り終えると、さっさと保健室から追い出した。

 

「いちこ私も帰る……と、鍵を忘れるところだったよ」

 

 いちこから美術室の鍵を預かると、いちこは私を悪意に満ちた目で見ていた。てっきりお礼でも言われるのかと思っていたけど、全く違っていた。

 

「ななちゃん最低」

 

「何でだよ。本当は殴りたかったところを、いちこに言われて手当までしたのに最低とは、言われる筋合いがない気がするけどな」

 

「何で捻挫したこと言ったの!」

 

「んー彼にも真実を知る権利はあったからかな。嘘を吐くいちこが悪いと思うぞ」

 

 枕をキツく抱き抱えて私とは視線を合わせようとはしていなかった。今更枕を投げられても困ったけど、投げるつもりはなさそうだ。

 

「……そうかもしれないけど、落とした絵の具で足を滑らせたことは言わなくてもよかったんじゃない」

 

 ごもっともだ。それは私に手当てをさせた仕返しと言うものだ。流石にこれは言えないな。いちこに何されるか分かんないから。適当な嘘で誤魔化すか。

 

「ほら、私頭悪いから、いい言い訳が思いつかなかったんだ」

 

「嘘だね。ななちゃん私と点数変わらないから」

 

 そうだった。いちこ意外と頭良くないんだった。地味な見た目から勉強しかしてなさそうだけど、いや、勉強はしているんだけど、ほとんど美術の勉強ばかりなんだった。と言うか勉強ばかりしているのは私だった。

 いや今はそんなことは関係ない。この場をどう切り抜けるかが大事なんだった。嘘の上塗りは危険だけど、それしかない。

 

「ほら、でも、瞬発力というか柔軟力というか、学校の勉強だけだは計れない、社会生活場に必要なものが私にはないから、それで思いつかなかっただけだよ」

 

「ななちゃんこそ嘘吐いてるね」

 

 いつもは鈍感なくせにこんな時だけ鋭くなるなよ。頼むからこれ以上私を引き止めないで。もうボロを出しそう寸前なんだ。

 こんなタイミングよく扉が開くか。と言いたくなるくらいにベストタイミングで保健室の扉がまた開いた。

 職員会議が終わって、養護教諭が戻ってきたのだと思ったら。全く知らない人が現れた。

 

「お母さん」

 

 この声が聞こえたのは背後からだった。つまり、いちこのお母さんということになる。

 顔を合わせたくなかったのに、いちこが引き留めるから、会ってしまった。

 いちこに迷惑がかからないように、私は何も言わずに立ち去ろう。そうでないと、いちこが何を言われるか。

 私は振り返ることもなく、いちこにバイバイとも言わずに保健室を出ようとしていた。私が扉に手をかけたその時だった。

 

「ななちゃん、また明日!」

 

 右手で大きく手を振って、満面の笑みを浮かべるいちこがベッド上にはいた。

 いちこは本当にバカだ。でも、私が嫌いなバカではない。いちこが手を振らなかったら、私と友達だってことがバレなかったのに。

 私はいちこに手だけを振って保健室を後にした。できるだけ、いちこの親の顔を見ないように。大人の顔は見たくないから。

 今頃いちこは親に怒られているのだろうな。私みたいな見た目のやつと友達のように接しているから。いや、それよりも、「あの子にやられたのか」とか問い詰められてそうだな。もう、何で最後の最後であんなことするかな。

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未完成の絵 倉木元貴 @krkmttk-0715

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