第3話 珠南

「まずね、ここは冥界。死んだ人間たちがたどり着く世界。あなたは死んで、ここに来た。それはわかってるわよね?」

 それぞれの自室を案内された後、珠南さんは私を彼女の部屋に引き摺り込んで、唐突に解説を始めた。

「な、なんとなくは。あちらで、殺されてきましたから」

 だけど死後の世界、というものが存在するとは驚きだ。死んだら無に帰すものとばかり思っていたから。

由羅ゆら……それすらちゃんと説明しなかったの?」

「由羅、さんて、あの髪の長い、綺麗な方ですか?」

「違う……、あの方は……。そうじゃなくて、由羅ってのはもう一人の女性の方よ。いたでしょ? もう一人」

「いらっしゃいました。そういえば。すみません、本当に一瞬のことだったので。あのお二人がいらっしゃる部屋に入ってすぐ、私は殺されたんです……」

 私が沈んだ声で言うと、珠南さんは大きくわざとらしいため息をついた。

「本当に何の説明もしなかったのね……。まあ、ご丁寧に説明なんかしたら逃げられちゃうかもしれないから、しょうがないっちゃしょうがないか……。じゃあ、とりあえず簡単にこちらの世界についての情報と、あなたの使命を説明するわね」

「し、使命?」

「使命があるから、こっちに来たのよ。当たり前の話じゃないの。じゃなきゃ何の罪もなく殺されて、冥界送りにされる必要なんてないでしょう」

 なんだかよくわからないが、よくわからないうちに随分物騒なことに巻き込まれてしまったみたいだ。

「あなたはね、メチャクチャになった冥界の王室、銀海ぎんかい王朝を立て直すために、こちらに送られたのよ」

「た、立て直すん……ですか?」

 そんな大役を何故私が?

「こちらでは、八冥神はちみょうじん、と呼ばれる、古から冥界を守っているありがたーい八体の獣がいるんだけどね、その八冥神が、次の王を選ぶの。当代の女王、眞夜様のお子様方の中から最初に選ばれたのは、あなたが死ぬ前に会った見目麗しいお方、第三王女の紫衣しい様だった。誰がどう見ても、一番次の王にふさわしいお方だったわ。お美しいだけでなく、頭脳明晰で、判断力もあって」

 珠南さんは、その女性に殺された私の前で、うっとりと微笑を浮かべながら紫衣という人を褒め称えた。

「……なのに、紫衣様は次期女王の座から引き摺り下ろされた。八冥神によって、王の資質を持ち合わせていないと突然判断されたのよ。そして俗世に送られ、あちらのとある場所に封じ込められた」

 あの森の中の屋敷に閉じ込められている、ということか。出会ってすぐに私を殺した、あの美しい女性のことを、私は思い出そうとしてみた。しかし思い出されるのは、首に回された手の恐ろしいほど強い力だけだった。

「新しく世継ぎとなったのは、第一王女の朱姫しゅき様だけど、この方がまああまり出来のよろしくないお方でね。紫衣様の他にいい方がいらっしゃらないから、とりあえず年長者を据えた、としか思えないような人選なのよ。八冥神も雑な仕事してくれたものよね。まあ、決まったとはいえまだ色々揉めてるんだけど。他にも王女がいるからね」

「冥界の王族は、女性が多いのですね」

「ええ、元々女性が多いし、女系なのよ。この四代はずっと女王ね。そう決まってるわけでもないらしいんだけど、王族では女性の方が重要視される傾向にあるわ」

 その風潮は相当この世界に馴染んでいるらしく、珠南さんは何でもないことのようにそう言った。

「私たちには紫衣様が必要なの。あなたに奪還してほしいのよ、どうしても」

「……なぜ、私なのですか」

 私は弱々しい声で訊いた。

「それは……私がこちらに来てやらねばならないことなのでしょうか。私には何の力もないですし……平凡に普通に生きてきた、ただの人間なのに……」

 それなのに、突然殺されてこんなところに連れて来られるだなんて何だかとても不当なことのように思えた。

「じゃああなたは、あちらの世界にずっと暮らしていたかった? ただ平凡に、静かに生きているだけの世界に」

 そう訊かれると、返す言葉がなかった。生きている意味なんてなかった。いいことなんて何もなかった。それなのにどうして、死んでしまったことがこんなに悔やまれるのだろう。

 あちらの世界で、私は何がしたかったというのだろう。

「少なくとも、こちらの世界にとって、私たちにとって、あなたは必要な存在だよ、鏡子さん」

 その言葉は、私の胸の奥の何かを大きく揺さぶった。心でも感情でもない。魂、というものがあるとしたら、きっとそれだろう。

「……でも、具体的に、何をしたらいいのでしょう?」

「ああ、書記だよ、書記」

「しょ、しょ?」

「書記」

 書記? 何の書記?

「さっき火乃井の旦那様が言ってたでしょう、あなたは下級陣試に若くして受かった天才だって」

「……ああ、そういえば」

「下級陣試っていうのは、下級官吏の登用試験のことよ。もうすでに、手を回してあるの。あなたは試験を突破して、これから八冥神会議の書記を努めることになっている」

「えっ? でも、そのハチメイジン? というのは、獣なんですよね? 獣がどうやって会議を? それに……会議をするとして、私にわかる言葉で話してくれるんですか?」

 私が訊くと、珠南さんは目を瞬かせた。

「ああ、ごめんごめん、ちゃんと説明してなかったね。八冥神は本来は獣だけど、普段は人と同じような見た目をしているし、ちゃんと言葉を話すよ。当代の八冥神は若い方ばかりだけど、皆様官吏に負けず劣らず聡明だから記録もそんなに苦労しないはず。ただ、会議以外にも、八冥神たちの身の回りのお世話なんかも仕事内容に含まれるみたいで、結構大変らしいけど。その辺りのことは正直、私にもわからないから、自力で学んでもらうしかないんだけどね」

 そして珠南さんは、八冥神について詳しく説明をした。八冥神とは、古くから冥界に息づく守り神で、みんな日本の神話に出てくる獣たちだという。彼らは、冥界の王を定める役割も担っているが、一番重要な役目は、亡くなって俗世を旅立ち冥界にやってきた魂たちを転生させるか、消滅させるかの判断を下すことらしい。

 冥界には、珠南さんや火乃井の人々のように元々冥界に生まれた冥界人と、亡くなった人々の魂が共存している。亡くなってこちらにやってきた魂はまず黄泉の門と呼ばれる門をくぐり、その後すぐ門で働く下級官吏たちによって生前悪事を働いたものとそうでないものに分けられる。悪事を働いたとされるものたちは八冥神会議にかけられ、その悪事の重大性を鑑みて転生させても良いか、冥界に留まらせるかの判断がなされる。冥界に留まることを命じられた魂を留魂りゅうこんという。留魂は、しばらく冥界にて労働を課せられ、八冥神との何度かの面談を経て、実際に消滅するか、転生ルートに戻されるかが確定される。一つの留魂の処遇が決定するまでに、何百年もの時が必要とされる場合もあるという。

 これは日本の冥界独自のルール。それぞれの国にそれぞれの「死者の世界」があって、死者の魂は国によって様々な扱われ方をするようだ。

「八冥神は、五つあるくにの長の一族に生まれてくるの。火の邦、水の邦、木の邦、金の邦、そして王たちの住まいがある首都、月の邦。ちなみにここ、火の邦の邦長くにおさは、火乃井仁じん様、つまり先ほどお会いしたこの家の旦那様よ」

「ということは、この家にもその獣、が?」

「そう。ここの御子息お二人、ちょっと変わった髪の色をしているでしょう?」

 淡い銀の光を放つ紫の巻き髪と、煌々と光る金の髪を思い出して、私は細い息をついた。あの二人、本来の姿は獣なのか。

「あなたはあの二人ときょうだいになったわけだけど、あの二人は神様なんだから、それをわきまえて接するように気をつけてね。とにかく、私がこの家に嫁いだのも、あなたが官吏となるのも、全てはこの冥界を不条理に牛耳る忌まわしい現王朝を滅ぼして、正しい後継者、紫衣様をこちらに連れ戻すためよ。紫衣様のために、火乃井一家と八冥神に取り入るの。それを決して忘れないでね」


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冥界魑魅魍魎! 猫谷あず季 @azukichan

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