8月30日 サンティアゴ・デ・コンポステーラ 曇り

早起きの必要がないからベッドでダラダラし、身支度にも時間がかかる。部屋の外に出てみるとえらく寒い。温度計は19度を示しているけど、これ本当か? 明日乗るバスの乗り場を確かめておこうと思って駅まで歩いてみた。サンティアゴ・デ・コンポステーラの鉄道駅は道路よりも一階分低い所にある。道路から駅舎とロータリーを見下ろすと、間違いなくこの風景に見覚えがある。係員にバス乗り場の場所を訊ねると奥の別の建物だと教えてくれた。「でも、電車の駅の中を通っては行けません。一度出て、左手にある橋を渡ってください」


バス乗り場に渡るための歩道橋にも見覚えがある。たぶん、前回はア・コルーニャかどこかでヘラクレスの塔でも見てからバスでサンティアゴに到着し、大聖堂をざっと見物してから電車で南に移動したのだろう。


今夜はデイビッドたちと飲みに行く約束があるけど、それまでは何も予定がない。もう観光は十分だったから大聖堂広場に行く事にした。そうすれば誰か知った顔がやってくるだろう。駅から坂道をまっすぐに登っていき、昨日ブラブラした辺りまでくれば、あとは大聖堂への行き方も分かる。バーやレストランや土産屋がひしめく細い路地を抜けて大聖堂広場へ。


まだ10時前だからか、広場は昨日ほど混んでいない。観光客と巡礼が半々くらいといったところ。その中に、いた! 本当にいた! ブルゴスで一緒にアイスクリームを食べたドイツ人青年の2人組、ルシアスとマクシムが以前と変わらない大荷物を背負って歩いてきた。

「おーい、2人とも久しぶり! まさかまた会えるとは思わなかったよ」これは本心で、彼らは僕よりも1日の行程が短めだったから、こんなに早くサンティアゴにたどり着くとは思わなかった。

「僕らもまさか! って思ってますよ」ガリシア州に入って朝が寒くなったから、2人ともネルシャツっぽい生地の長袖シャツを着ている。

「時にルシアス、足は大丈夫?」

ルシアスは膝を故障していて歩行用の杖を使っていたけど、僕と歩いていた日にどこかで紛失してしまった。

「大丈夫です。新しい杖を途中で手に入れたから」

見ると、前の金属製の細長いスティックが木製の魔法使いが使いそうな巡礼杖に変わっている。なんとも柔軟な奴だ。


彼らは大聖堂や町の観光を済ませたら、再び歩き始めるそうだ。かつて、サンティアゴに到達した巡礼の多くも訪れたというフィステーラとムシアまで歩き、そのあとはまたサンティアゴまで徒歩で帰ってくる。片道120キロなので往復で240キロ、それに11日間かける予定らしい。僕は時間があっても全く歩こうと思わないけど、彼らの話を聞いて羨ましいという感情が少しも湧かなかったと言えば嘘になる。達成すべき目標があるというのが、ほんのちょっぴり羨ましい。


その後も続々と巡礼仲間が現れる。南アフリカ人のワイネ、元米海軍人のデイビッドと彼のお母さんシャーリー、僕にスペイン語をできるだけ話させようとしてくれたスペイン人ダニエル、ピザパーティーを共にしたイタリア人たちやピザを介さなかったイタリア人たち。改めてイタリア人巡礼、数が多い。そんな中の一人、レアは広場に到着するや感激で目と鼻を赤くして泣いていた。みんなが狂喜乱舞する広場で泣いている人を見たのは初めてだ。彼女は今日この後、記念のタトゥーを入れるのだそうだ。そういえばサムエルもそんな事を言っていたな。彼もイタリア人。巡礼中に僕が言葉を交わし名前も聞いた面々のほとんど半分と再会した。たぶんただの観光客としてこの場にいたら、広場にいる半数以上の人たちがなんでこんなにはしゃいだり抱き合ったりしているのか理解できなかったと思う。でも僕にはそれがよく分かる。


夕方、ジュリアやサラ、フランチェスコたちに誘われてもう一つのコンポステーラというサンフランシスコ教会で巡礼証とスタンプをもらう。「もう一つの」というのがどんな意味なのか、フランチェスコが教えてくれたけどよく分からない。あとで調べてみるつもり。


デイビッドやワイネたちとビールを飲む。僕の知らないアメリカ人が2人増えていた。このカミーノがスペインにどれだけの経済効果をもたらすかとか、最後の100キロだけしか歩かないのは巡礼じゃなくて観光だ、みたいな話題が出る。そうか、やっぱりデイビッドたちも同じように感じているのかと思って嬉しくなったけど、サリアから歩き始めた大学生5人組の顔を思い浮かべると僕としてはちょっと複雑な思いがある。


彼らに必要なのはビールだけみたいだけど、僕は夕飯をがっつりと食べたかったので、彼らに別れを告げて海鮮を食べているはずのイタリア人グループに合流することにした。通話アプリに送られてきた地図をたどるとフードコートみたいな場所に到着。彼らは基本的にイタリア語で会話するから何を話しているのか全然分からない。僕が話しかけたり、僕に関係する話の時だけ数人が英語に切り替えてくれる。でもそれで構わない。


フードコートの一角に日本料理を出すカウンターがあった。試しにサーモンの握りを2貫頼んでみた。

「やめておいた方がいいわよ。絶対に失敗する」とジュリアが断言する。彼女は建築関係の仕事で日々英語を使っているだけあってめちゃくちゃ流暢に英語を話す。かつて日本で働く事も考えたらしいけど(なかなか高給のオファーがあったらしい)、土日無し夏休み無しと聞いて即座に断ったそうだ。そりゃそうだと僕も思う。

「いや、案外美味しいと思う。さっきネタは確かめてきたから」と自分でも本当は半信半疑ながらそう答えた。やがて運ばれてきたお寿司は美味しそうに見えるけど醤油がない。皿にワサビとガリが乗っているのみ。お、割り箸だ! 久しぶりに箸で食べた日本食は……微妙。理由はシャリ。ご飯がパサパサしていてお寿司っぽくない。醤油無しというのもある。

「どうだった?」僕が答える前から「だから言ったでしょ」みたいな口調でジュリアが訊いてきた。

「君が正しかった。サーモンは良いけどお米がなあ」だから海外で日本食なんて食べるものじゃない、と結論付けられないのが面白い。僕がこれまでの人生で一番美味しいと思ったサーモン握りはアイスランドの首都レイキャビクの回転寿司屋で食べたやつだ。


こうやってワイワイしている巡礼仲間が明日にはもう全員バラバラになって自分の生活に戻っていくというのが本当に不思議に思える。

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スペイン巡礼生日記 土橋俊寛 @toshi_torimakashi

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