第22回 環境問題

『緑の契約者』


薄暗い森の中、ミリアは息を切らしながら走り続けていた。彼女の背後では、巨大な木々が次々と倒れていく音が轟いていた。その音は、彼女の故郷である森を蝕んでいく文明の足音そのものだった。

「もう、これ以上は…」

ミリアは立ち止まり、振り返った。遠くに見える煙は、彼女の村が焼かれた証だった。長い緑の髪を風になびかせながら、彼女は悔しさをこらえるように唇を噛んだ。

突然、目の前の空間が歪み始めた。ミリアは驚いて後ずさりしたが、その歪みは彼女を飲み込むように広がっていった。

「え? なに…これ…」

意識が遠のく中、ミリアは不思議な声を聞いた。

「汝、森の加護を受けし者よ。我が世界へ来たれ」

目を開けると、そこはミリアの知らない場所だった。青々とした草原が広がり、遠くには見たこともないほど巨大な木々が林立している。空気は澄んでいて、森の生命力を感じさせるものだった。

「ここは…どこ?」

ミリアが周囲を見回していると、目の前に一人の老人が現れた。白髪に長い髭、緑色の杖を持っている。その姿は、まるで森の精霊のようだった。

「よく来た、若き森の守護者よ」老人は穏やかな声で語りかけた。「私はこの世界の管理者、エルダー・グリーンウッドじゃ」

「管理者? この世界って…」

「そうじゃ。ここは『エヴァーグリーン』。永遠に緑が続く世界じゃ」エルダー・グリーンウッドは杖で地面を軽く叩いた。「しかし、お主の世界と同じように、我々の世界も危機に瀕しているのじゃ」

ミリアは困惑しながらも、老人の言葉に耳を傾けた。

「我々の世界では、『緑の契約』というものがある。人間と自然が共生するための約束じゃ。しかし最近、その契約を破る者が現れ始めた」

エルダー・グリーンウッドは深いため息をついた。

「彼らは『進歩』の名の下に、森を切り開き、大地を掘り返している。そして、その影響は既に現れ始めている」

老人は杖を掲げ、空に向けて指した。ミリアがその方向を見ると、遠くの空が黒ずんでいるのが見えた。

「あれは『枯れの雲』じゃ。緑の力が失われた場所に現れる。あの雲の下では、全ての生命が枯れ果てていく」

ミリアは息を呑んだ。彼女の世界でも似たようなことが起きていた。森が切り開かれ、工場が建ち、空気が汚染されていく…。

「でも、私に何ができるんですか?」ミリアは不安そうに尋ねた。

エルダー・グリーンウッドは優しく微笑んだ。「お主には特別な力がある。森の声を聴き、緑と対話する力じゃ。我々にはその力が必要なのじゃ」

老人は杖を地面に突き立てた。するとミリアの足元から、小さな芽が出始めた。

「見たか? お主の存在だけで、緑は活性化する。お主こそが、我々の世界を救う鍵なのじゃ」

ミリアは驚きながらも、何か使命を感じ取っていた。彼女の世界では無力だったが、ここでは何かができるかもしれない。

「わかりました。私にできることがあるなら…」

エルダー・グリーンウッドは満足げに頷いた。「よかろう。では、まずはお主に我々の世界のことを知ってもらわねば」

そう言うと、老人は杖を振り、二人の周りに光の粒子が舞い始めた。

「これから見せる映像は、我々の世界の歴史じゃ。よく見ておくれ」

光の粒子が集まり、立体的な映像となって広がった。そこには豊かな自然と、それと共生する人々の姿があった。

「かつて我々の世界は、人間と自然が完全な調和を保っていた。『緑の契約』は、その証だったのじゃ」

映像は流れるように変化し、人々が自然を大切にしながら生活している様子が映し出された。木々を傷つけることなく家を建て、動物たちと共存し、植物の力を借りて病を治す…。

「しかし、ある時から変化が訪れた」

映像が暗転し、新たな光景が広がる。そこには、大きな機械を使って森を切り開く人々の姿があった。

「『進歩』を求める声が高まり、自然との調和よりも、便利さを追求する者が現れ始めたのじゃ」

ミリアは息を呑んだ。その光景は、彼女の世界でも見たものとよく似ていた。

「彼らは『緑の契約』を軽んじ、自然を利用するだけの存在と見なすようになった。そして…」

映像は再び変化し、枯れていく森、汚れていく川、そして空に広がる黒い雲が映し出された。

「自然の調和が崩れ始めたのじゃ。『枯れの雲』は、その象徴なのじゃ」

エルダー・グリーンウッドは悲しげな表情を浮かべた。「我々は警告を発し続けたが、彼らは耳を貸さない。このままでは、我々の世界も滅びの道を辿ることになる」

映像が消え、二人は再び草原に立っていた。ミリアは複雑な表情を浮かべていた。

「私の世界と…同じですね」

「そうじゃ。しかし、まだ希望はある」エルダー・グリーンウッドは力強く言った。「お主のような存在が、我々の世界を救う鍵となるのじゃ」

ミリアは決意を固めた様子で頷いた。「私に何をすればいいのか、教えてください」

老人は満足げに微笑んだ。「まずは、『緑の契約』の真の意味を学ぶことじゃ。そして、その力を使って人々の心に働きかけるのじゃ」

エルダー・グリーンウッドは杖を振り、光の道が現れた。「この道を進めば、お主を訓練してくれる者がおる。彼女の名は、フローラ・ウィスパー。緑の力を操る達人じゃ」

ミリアは光の道を見つめ、深く息を吐いた。これが彼女の新たな冒険の始まりだった。故郷を失った悲しみは大きかったが、この新しい世界で何かを変えられるかもしれない。その思いが、彼女の心に希望の灯りを灯した。

「行ってきます」ミリアは老人に向かって軽く会釈をした。

「気をつけて行くのじゃ。そして忘れるな。お主の中にある森との絆を」エルダー・グリーンウッドは優しく微笑んだ。

ミリアは光の道を進み始めた。彼女の長い緑の髪が風になびき、その姿はまるで歩く若木のようだった。彼女の歩みに合わせ、足元には小さな花が咲き始める。

この世界で、彼女は何を学び、何を成し遂げるのか。そして、故郷の世界はどうなるのか。ミリアの心には不安と期待が交錯していた。

しかし、一つだけ確かなことがあった。彼女には使命がある。二つの世界を救う使命が…。

光の道の先で、新たな出会いと冒険が彼女を待っていた。


数ヶ月が過ぎ、ミリアは多くのことを学んでいた。フローラ・ウィスパーの指導の下、彼女は自然との対話を深め、緑の力を操る技術を習得していった。

ある日、フローラはミリアを呼び寄せた。

「ミリア、あなたの力は十分に成長しました」フローラは微笑んだ。「今こそ、あなたの力を試す時です」

ミリアは緊張しながらも、しっかりと頷いた。

「枯れの雲が広がる地域があります。そこで、あなたの力を使って自然を蘇らせてください」

ミリアは決意を固め、その地へと向かった。到着した場所は、彼女の故郷を思い出させるほど荒廃していた。大地は乾き、木々は枯れ、空には黒い雲が広がっている。

深呼吸をし、ミリアは目を閉じた。彼女は大地に両手をつけ、意識を集中させる。すると、かすかな声が聞こえてきた。枯れた木々の悲鳴、乾いた大地のすすり泣き、汚れた川のうめき声…。

「お願い…助けて…」

ミリアは立ち上がり、両手を広げた。彼女の体から緑の光が溢れ出し、周囲に広がっていく。

「聞こえています、みんなの声が…」ミリアは呟いた。「一緒に、この地を蘇らせましょう」

彼女の言葉とともに、緑の光が大地を覆い始めた。枯れた木々に新芽が吹き、乾いた土から草が生え、濁った川が少しずつ澄んでいく。

しかし、それは容易なことではなかった。ミリアは全身全霊で緑の力を注ぎ込み続けた。時間が経つにつれ、彼女の体力は限界に近づいていった。

そんな時、不思議なことが起こった。彼女の周りに、光の粒子が集まり始めたのだ。それは、この地に住む人々の想いだった。

「森を大切にしたい」

「きれいな川で泳ぎたい」

「豊かな自然の中で暮らしたい」

人々の想いがミリアの力を増幅させ、緑の光はさらに強く、広く広がっていった。やがて、黒い雲が晴れ始め、青空が顔を覗かせる。

数日後、その地域は見違えるように蘇っていた。人々は驚きと喜びの声を上げ、ミリアに感謝の言葉を述べた。

この出来事は、エヴァーグリーンの各地に伝わった。ミリアの名は、「緑の契約者」として知られるようになり、多くの人々が彼女の話を聞きに来るようになった。

しかし、全てが順調だったわけではない。緑の契約を軽んじ、自然を搾取し続ける勢力も依然として存在していた。彼らは「進歩」の名の下に、自然破壊を正当化しようとしていた。

ミリアは悩んだ。力ずくで彼らを止めることはできるかもしれない。しかし、それでは本当の解決にはならない。彼女は、人々の心を動かす必要があると感じていた。

ある日、ミリアは大勢の人々の前で演説をすることになった。緊張しながらも、彼女は心を込めて語り始めた。

「皆さん、私たちは自然の一部です。自然を傷つけることは、私たち自身を傷つけることなのです」

ミリアは自身の体験を語り、故郷の世界で起きたことを伝えた。そして、エヴァーグリーンの未来について語った。

「進歩は大切です。でも、それは自然との調和の中で成し遂げるべきものです。私たちには知恵があります。自然を守りながら、より良い生活を築く方法を見つけられるはずです」

彼女の言葉は、多くの人々の心に響いた。しかし、全ての人が納得したわけではない。ミリアの演説の後、反対派の代表が壇上に上がった。

「きれいごとを言っても、現実は変わらない」彼は冷ややかに言った。「我々の生活を向上させるには、時に自然を利用することも必要なのだ」

会場は騒然となった。ミリアは一瞬たじろいだが、すぐに気持ちを落ち着かせた。彼女は壇上に戻り、相手に向き合った。

「あなたの言うことも分かります。でも、それは本当に私たちの生活を向上させることになるでしょうか?」

ミリアは、自然との共生によって得られる恩恵について語り始めた。きれいな空気、豊かな水、多様な生態系がもたらす恵み…。そして、自然を守ることが長期的にはより大きな利益をもたらすことを、具体的な例を挙げて説明した。

「私たちには選択肢があります。自然を搾取するのではなく、自然と協力する道を選ぶことができるのです」

ミリアの言葉に、会場は静まり返った。反対派の代表も、何か考え込むような表情を浮かべていた。

その時、エルダー・グリーンウッドが現れた。彼は両者に向かって語りかけた。

「対立ではなく、対話こそが必要なのじゃ。ミリア、そしてみなの者。これからは共に考え、共に行動する時なのじゃ」

エルダー・グリーンウッドの提案で、「緑の未来会議」が設立されることになった。自然保護派と開発派が一堂に会し、持続可能な発展の方法を模索する場だ。ミリアは、その会議の調停者として重要な役割を担うことになった。

時は流れ、エヴァーグリーンは少しずつ変わっていった。完全ではないにせよ、自然との調和を意識した開発が進み、枯れの雲も徐々に減少していった。

ある日、ミリアは再びエルダー・グリーンウッドと会った。

「よくやった、ミリア」老人は優しく微笑んだ。「お主は、我々の世界に大きな変化をもたらした」

ミリアは照れくさそうに頷いた。「でも、まだやるべきことはたくさんあります」

「そうじゃ。しかし、お主はもう一つの使命を果たさねばならん」

エルダー・グリーンウッドの言葉に、ミリアは我に返った。そうだ、彼女にはまだ帰るべき世界がある。

「私の世界を…救う時なのですね」

老人は頷いた。「お主の学んだことを、お主の世界でも活かす時が来たのじゃ」

ミリアは決意を固めた。エヴァーグリーンでの経験を胸に、彼女は自分の世界を変える準備ができていた。

エルダー・グリーンウッドは杖を振り、光の門を開いた。

「行っておいで、若き森の守護者よ。お主の世界もきっと救えるはずじゃ」

ミリアは深く息を吐き、光の門に向かって歩き出した。彼女の長い緑の髪が風になびき、その姿は強く、凛々しかった。

門をくぐる直前、ミリアは振り返った。そこには、彼女を見送る大勢の人々の姿があった。フローラ・ウィスパー、緑の未来会議のメンバーたち、そして多くの市民たち。

「みなさん、ありがとう。必ず戻ってきます。そして、二つの世界の架け橋になります」

人々は笑顔で手を振った。その光景を胸に刻みつつ、ミリアは光の中へと踏み出した。

彼女の目の前には、荒廃した故郷の風景が広がっていた。しかし今の彼女には、それを変える力がある。

ミリアは両手を広げ、緑の光を放った。新たな挑戦が、今始まろうとしていた。

「さあ、ここでも緑の契約を…」

彼女の言葉とともに、乾いた大地に小さな芽が顔を出した。希望の芽が、ゆっくりと、しかし着実に育ち始めたのだった。

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Claude(AI)による一発ネタ系異世界ファンタジー短編小説集 シカンタザ(AI使用) @shikantaza

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