第21回 とろろ
『とろろの涙 〜異世界食堂物語〜』
「いらっしゃいませ!」
元気な声が店内に響き渡る。その声の主は、この異世界で食堂を営む私、佐藤美咲だ。
私がこの異世界に来てから、早くも3年が経った。突然、日本の自宅アパートから異世界に飛ばされた時は驚いたものだ。でも今では、この世界での生活にすっかり慣れてしまった。
私の店「和食亭 さくら」は、王都エルミナの中心部から少し離れた商店街にある。決して大きくはないが、清潔で居心地の良い店内には、いつも地元の常連客や冒険者たちが足を運んでくれる。
今日も朝から忙しい一日になりそうだ。朝食を済ませた客たちが次々と店を後にする中、新たな客が入ってきた。
「いらっしゃいませ!」
私は笑顔で出迎えた。店に入ってきたのは、見たことのない顔だった。薄紫色の長い髪をなびかせ、深緑色のローブを纏った若い女性だ。どこか神秘的な雰囲気を漂わせている。
「あの、ここで食事ができますか?」
彼女は少し緊張した様子で尋ねた。
「もちろんです!どうぞ、お好きな席にお座りください」
私は彼女を案内し、メニューを渡した。彼女は慎重にメニューを眺め、しばらくして顔を上げた。
「すみません、これは全部読めないのですが...」
そう言って彼女は申し訳なさそうに微笑んだ。なるほど、読み書きができないのかもしれない。この世界では、それほど珍しいことではない。
「大丈夫ですよ。どんな料理がお好きですか?甘いもの、辛いもの、あっさりしたものなど...」
「あっさりしたものが食べたいです」
彼女はそう答えた。
「では、おすすめは山かけそばですね。のど越しの良いそばに、とろろをかけた料理です」
「とろろ...?それは何ですか?」
彼女は首を傾げた。そうか、この世界にはとろろがないのか。
「とろろは、山芋をすりおろしたものです。ねばねばしていて、のどごしがよく、体にも良いんですよ」
私は説明しながら、彼女の反応を見守った。
「面白そうですね。では、その山かけそばをいただきます」
彼女は少し興味深そうに答えた。
「かしこまりました。少々お待ちください」
私は厨房に向かい、さっそく調理にとりかかった。そばを茹で、とろろを準備する。幸い、この世界にも山芋に似た野菜があり、とろろを作ることができる。
数分後、出来上がった山かけそばを彼女の元へ運んだ。
「お待たせしました。どうぞ、お召し上がりください」
彼女は目を丸くして料理を見つめた。
「これが...とろろですか?少し、不思議な見た目ですね」
確かに、初めて見る人にとっては奇妀に映るかもしれない。
「はい、でも味は格別ですよ。そばと一緒に食べてみてください」
彼女は恐る恐る箸を取り、そばととろろを絡めて口に運んだ。
「これは...!」
彼女の目が大きく見開かれた。
「美味しい!のどごしが良くて、でもコクがあって...こんな味は初めてです!」
彼女は夢中になって食べ始めた。その姿を見て、私は嬉しくなった。料理人冥利に尽きる瞬間だ。
「良かった。気に入ってもらえて嬉しいです」
私はそう言って、他の客の対応に戻った。
しばらくして、彼女が食べ終わった頃を見計らって戻ってきた。
「ご馳走様でした。本当に美味しかったです」
彼女は満足そうに言った。
「ありがとうございます。お気に召して何よりです」
「あの...私の名前はリリアと言います。実は、私は魔法使いの見習いなんです」
彼女は少し照れくさそうに自己紹介した。
「魔法使いの見習い?すごいですね。私は佐藤美咲です。この店の主人です」
「佐藤さん...難しい名前ですね。でも、美咲さんと呼んでもいいですか?」
「ええ、もちろんです」
私は微笑んだ。
「美咲さん、このとろろという食べ物...もしかして、魔法の食べ物なのでしょうか?」
リリアは真剣な表情で尋ねた。
「魔法?いいえ、ただの野菜ですよ」
「でも、あんなに美味しくて、体に良いなんて...魔法としか思えません」
彼女の言葉に、私は少し驚いた。確かに、とろろには様々な栄養素が含まれていて健康に良いのは事実だ。でも、それを魔法だと思うなんて...。
「リリアさん、魔法使いの見習いなんですよね?魔法について教えてもらえませんか?」
私は興味津々で尋ねた。
「はい、喜んで!魔法は自然の力を借りて、不可能を可能にする技術です。例えば...」
リリアは熱心に魔法について説明し始めた。彼女の話を聞いていると、この世界の魔法と、地球の科学技術が似ているように感じた。
「なるほど、面白いですね。でも、とろろは本当に魔法じゃないんですよ。ただの野菜を調理しただけです」
「そうなんですか...でも、どうやって作るんですか?」
リリアは興味深そうに尋ねた。
「山芋をすりおろすだけです。ここで、お見せしましょうか?」
私は厨房からすり鉢と山芋を持ってきた。
「これが山芋です。これをこうやってすりおろすと...」
私が実演してみせると、リリアは目を輝かせて見ていた。
「すごい!本当に魔法みたいです!」
彼女の反応に、私は思わず笑ってしまった。
「リリアさん、もしよかったら、他の日本料理も試してみませんか?」
「はい、ぜひ!もっと美咲さんの魔法の料理を食べてみたいです」
彼女は嬉しそうに答えた。
その日以来、リリアは常連客となった。彼女は毎日のように店を訪れ、様々な日本料理を試した。天ぷら、寿司、うどん...彼女にとっては全てが新鮮で魔法のような体験だったようだ。
そして、彼女が来るたびに、私たちは互いの世界について語り合った。私は日本の文化や技術について話し、彼女はこの世界の魔法や歴史について教えてくれた。
ある日、リリアが珍しく深刻な表情で店にやってきた。
「美咲さん、大変なんです!」
彼女は息を切らしながら言った。
「どうしたの、リリア?」
「魔法学院の院長先生が重病に...」
リリアは涙ぐみながら説明した。魔法学院の院長が突然倒れ、どんな魔法を使っても治らないという。
「それは大変だわ...でも、私にできることはあるのかしら?」
「実は...美咲さんの料理なら、きっと院長先生を元気にできると思うんです!」
リリアは真剣な眼差しで言った。
「私の料理が...?」
「はい!美咲さんの料理には不思議な力があります。私も毎日元気をもらっています。きっと院長先生も...」
リリアの言葉に、私は少し戸惑った。確かに、料理には人を元気づける力はある。でも、重病を治せるほどではない...。
しかし、リリアの真剣な表情を見ていると、何かできるかもしれないという気持ちになった。
「わかったわ。できる限りのことはしてみるわ」
私はそう答えた。
「本当ですか?ありがとうございます!」
リリアは喜びに満ちた表情で私に抱きついた。
「でも、どんな料理がいいかしら...」
私は考え込んだ。重病の人に食べてもらう料理...。
そうだ、おかゆだ。日本では昔から、病人食としておかゆが親しまれてきた。そして、ここは異世界。普通のおかゆではなく、とろろをたっぷり使ったとろろがゆを作ろう。
「リリア、院長先生のところへ案内してもらえる?特別な料理を作って持っていくわ」
「はい、もちろんです!」
リリアは嬉しそうに頷いた。
私はすぐに調理にとりかかった。丁寧に炊いたおかゆに、たっぷりのとろろを加える。栄養価の高いとろろは、きっと病人の体力回復に役立つはずだ。
料理が完成すると、私はリリアと共に魔法学院へと向かった。道中、リリアは不安そうな表情を浮かべていた。
「大丈夫よ、リリア。きっと院長先生は良くなるわ」
私は彼女を励ました。
魔法学院に着くと、私たちは院長の病室へと案内された。病室には魔法使いたちが集まっており、様々な呪文を唱えていたが、効果はないようだった。
「美咲さん、お願いです...」
リリアは震える声で言った。
私は深呼吸をして、ゆっくりと院長のベッドに近づいた。
「院長先生、私の料理を召し上がってください。きっと元気になりますよ」
私は優しく語りかけ、スプーンでとろろがゆを口元に運んだ。
最初は反応がなかったが、しばらくすると院長はゆっくりと口を開け、とろろがゆを飲み込んだ。
「これは...」
院長は微かに目を開けた。
「どうですか?少しずつ食べてください」
私は優しく促した。
驚いたことに、院長は少しずつではあるが、自力で食べ始めた。周りの魔法使いたちは驚きの声を上げた。
「こ、これは奇跡だ...」
「魔法より強力な力...」
彼らは私の料理を不思議そうに見つめていた。
しばらくすると、院長の顔色が良くなってきた。
「ふむ...こんなに美味しい料理は初めてだ。体に力が戻ってくるようだ」
院長はそう言って、ゆっくりと体を起こした。
「院長先生!」
リリアは喜びの声を上げた。
「ありがとう、若いお嬢さん。君の料理のおかげで命拾いしたようだ」
院長は私に感謝の言葉を述べた。
「いいえ、当たり前のことをしただけです」
私は照れくさそうに答えた。
その後、院長の回復は驚くほど早かった。魔法使いたちは私の料理に大きな関心を示し、「食の魔法」と呼ぶようになった。
リリアは喜びに満ちた表情で私に言った。
「美咲さん、あなたは本当に凄いです!料理で人を救うなんて...」
「リリア、これは魔法じゃないわ。ただの料理よ。でも、料理には確かに人を元気づける力があるの」
私はそう説明した。
「でも、それこそが最高の魔法だと思います」
リリアは真剣な表情で言った。
その言葉を聞いて、私は改めて料理の持つ力を実感した。異世界に来て、私は自分の役割を見つけたのかもしれない。
これからも、私は料理を通じてこの世界の人々を助けていこう。そう心に誓った瞬間だった。
院長の回復後、「和食亭 さくら」の評判は瞬く間に広がった。魔法学院の生徒たちが押し寄せ、店は連日大繁盛となった。私は嬉しい反面、少し戸惑いも感じていた。
ある日、リリアが興奮した様子で店に飛び込んできた。
「美咲さん!大変です!」
「どうしたの、リリア?」
「王宮から使いが来ています!美咲さんに会いたいそうです!」
私は驚いて箸を落としてしまった。王宮?まさか...。
案の定、翌日、立派な衣装を着た使いが店を訪れた。
「佐藤美咲様、陛下がお呼びです」
私は緊張しながらも、リリアと共に王宮へと向かった。
豪華絢爛な王宮に足を踏み入れると、そこには威厳ある中にも優しさの漂う王が待っていた。
「佐藤美咲殿、噂は本当だったようだな。君の料理が我が国の魔法使いたちを救ったと聞いている」
王は穏やかな口調で語りかけた。
「はい...ただの料理人ですが、お役に立てて光栄です」
私は緊張しながら答えた。
「謙遜する必要はない。君の力は、まさに奇跡だ。我が国は今、深刻な問題を抱えている。君の力を借りたい」
王は真剣な表情で続けた。
「実は、隣国との戦争が迫っているのだ。我々は平和を望んでいるが、向こうは聞く耳を持たない。このままでは多くの命が失われることになる」
私は息を呑んだ。戦争...。そんな大きな問題に、私に何ができるというのだろう。
「陛下、私にできることがあるのでしょうか?」
「ああ。君の料理で、隣国の王を動かしてほしい。食事会を設けるから、そこで君の腕を振るってくれないか」
王の提案に、私は戸惑いを隠せなかった。料理で戦争を止める...?そんなことができるのだろうか。
しかし、リリアが私の手を握りしめた。
「美咲さん、きっとできます!あなたの料理には、人の心を動かす力がある。私が証人です」
リリアの言葉に、私は勇気づけられた。
「わかりました、陛下。精一杯努めさせていただきます」
私はしっかりと答えた。
準備の日々は慌ただしく過ぎていった。隣国の好みや食文化を調査し、最適な料理を考える。そして、ついに当日を迎えた。
緊張しながら厨房に立つ私。リリアが励ましの言葉をかけてくれる。
「美咲さん、大丈夫です。あなたの料理なら、きっと...」
その時、衝撃的な知らせが入った。隣国の王が、毒を盛られる恐れがあるとして、料理を受け付けないと言い出したのだ。
「どうしよう...」
私は途方に暮れた。せっかくの機会が...。
そんな時、リリアが目を輝かせて言った。
「美咲さん、とろろを使いましょう!」
「え?」
「とろろなら、見た目も珍しいし、毒にも見えるかもしれない。でも実際は美味しくて体に良い。それを食べてもらえば、きっと心を開いてくれるはず!」
リリアの提案に、私は目から鱗が落ちる思いだった。
「そうね...やってみましょう!」
私は急いで、とろろを使った料理の準備を始めた。とろろそば、山かけ丼、とろろステーキ...次々とアイデアが浮かんでくる。
そして、ついに食事会の時間が来た。
隣国の王は警戒心むき出しで席に着いた。彼の前に並べられた料理を見て、彼は眉をひそめた。
「これは一体...?」
「とろろと呼ばれる食材を使った料理です」
私は丁寧に説明した。
「毒ではございません。むしろ、体に良い食べ物なのです」
隣国の王は疑わしげな目で料理を見つめていた。
「陛下、まずはこちらのとろろそばをお試しください」
私は勇気を振り絞って、王に勧めた。
王は周りの家臣たちと目を合わせ、ためらいがちに箸を取った。そして、おそるおそる口に運んだ。
「これは...!」
王の目が見開かれた。
「なんという美味...こんな食べ物があったとは」
王は夢中になって食べ始めた。周りの家臣たちも、おそるおそる料理に手を伸ばし始める。
「こちらは山かけ丼です。とろろの栄養価が高く、体力回復にも...」
私は一品一品丁寧に説明しながら、料理を勧めた。
食事が進むにつれ、場の雰囲気が和らいでいくのを感じた。隣国の王の表情も、徐々に柔らかくなっていく。
「美咲殿」
食事の終わり近く、隣国の王が私に呼びかけた。
「はい」
「君の料理は素晴らしい。こんな美味しいものを作る国と、どうして争う必要があろうか」
王はそう言って、我が国の王に向き直った。
「陛下、私たちの争いを終わらせましょう。こんな素晴らしい食文化を持つ国と、友好関係を結びたい」
場が静まり返った。そして、我が国の王が穏やかな笑みを浮かべた。
「ああ、そうしよう。平和な関係を結ぼうではないか」
両国の王は固い握手を交わした。その瞬間、私の目から涙があふれ出た。
「やりました、美咲さん!」
リリアが駆け寄り、私を抱きしめた。
その後、両国の関係は急速に改善された。私の「食の魔法」は、外交の場でも重要な役割を果たすようになった。
「和食亭 さくら」は、両国の架け橋となる場所として知られるようになり、常に多くの客で賑わうようになった。
ある日、店の閉店後、リリアと二人で話をしていた時のこと。
「美咲さん、本当に凄いです。料理で世界を変えるなんて...」
リリアは感嘆の声を上げた。
「リリア、これは私一人の力じゃないわ。あなたがいてくれたから、ここまでこれたの」
私は心からそう思っていた。
「私も魔法の勉強を頑張ります。美咲さんみたいに、人々を幸せにできる魔法使いになりたいです」
リリアは目を輝かせて言った。
「そうね。私たち、これからもお互いの夢を応援し合いましょう」
私たちは笑顔で誓い合った。
それから数年が経ち、「和食亭 さくら」は、単なる食堂を超えた存在となっていた。
料理を学びに来る者、魔法と料理の融合を研究する者、遠方からの観光客...様々な人々が訪れるようになった。
私は、日本の食文化を伝えながら、この世界の食材や調理法も取り入れ、新しい料理を生み出し続けた。
リリアは立派な魔法使いとなり、「食の魔法」の研究に励んでいた。彼女の魔法と私の料理のコラボレーションは、多くの人々を魅了した。
ある日、店の一角に「とろろ神社」なるものが出来上がった。とろろに感謝を捧げる場所だという。最初は戸惑ったが、人々の純粋な気持ちを知り、静かに見守ることにした。
そんなある日、店に見慣れない老人が訪れた。
「やあ、佐藤美咲殿」
その声に、私はハッとした。
「まさか...神様?」
以前、私をこの世界に召喚した神様だった。
「よくぞここまでやってくれた。君の活躍は、私の予想を遥かに超えていたよ」
神様は穏やかな笑みを浮かべた。
「あの、私をこの世界に召喚した理由は...」
私は恐る恐る尋ねた。
「そうだな...最初は、単に面白そうだったからかもしれない。だが今は、君が本当にこの世界に必要な存在だったのだと確信している」
神様の言葉に、私は胸が熱くなった。
「もし望むなら、君を元の世界に戻すこともできる。どうする?」
神様の提案に、私は少し考え込んだ。しかし、すぐに答えは出た。
「ありがとうございます。でも、私はここにいます。この世界には、まだまだ私にできることがあります」
神様は満足そうに頷いた。
「そうか。では、これからも頑張るといい。私も時々食べに来よう」
そう言って、神様は姿を消した。
その晩、閉店後の店で、私はリリアと他のスタッフたちと語り合った。
「みんな、ありがとう。これからも一緒に、料理で世界を少しずつ良くしていきましょう」
全員で乾杯をし、明日への希望を胸に抱いた。
窓の外では、満月が優しく輝いていた。その光は、とろろのように、まろやかで柔らかく、そして力強かった。
私は心の中でつぶやいた。
「お母さん、私、幸せです。こんな素敵な場所で、大好きな料理を作り続けられて...」
ふと、遠い日本の風景が脳裏をよぎる。でも、それはもう懐かしい思い出。
今、この瞬間こそが、私の人生。
「さあ、明日も美味しい料理を作ろう」
私は静かに微笑んだ。
明日もまた、「和食亭 さくら」には、様々な人々が訪れるだろう。そして私は、一皿一皿に想いを込めて、料理を作り続ける。
とろろの魔法とでも呼ぶべきこの不思議な力で、これからも多くの人々の心と体を癒していく。
それが、異世界に召喚された私の、新しい使命なのだから。
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