第35話 地球を食べる宇宙を食べる


 私たちは見上げる空の向こうにある広大な宇宙を知っている。私という自我はそれを全く知らないというかもしれないが、細胞レベルでの記憶ということになれば、知っているということになるだろう。

 私たちの身体の中には、遙か太古の昔からの宇宙の始まりからの情報が保存されているというのだ。


 見上げた空は青かったり、瞬く星があったりしているが、それは、ビナーのお腹の中から見えている、たった今現在の光景ということになる。肉親である母親の子宮の中からも何らかの光景が見えていたのかもしれない。これらは胎内から見えている風景なのだから内側の世界である。お腹の外側には母親が住んでいる世界が存在していた。私たちはその母親が住んでいる側の世界へと子宮という世界から生まれ出た。


 私たちは常に母体に護られている存在だ。

 自分を産み落とした母親や大地の母であるビナーの子宮が私たち子供の居場所であるなら、何処まで行っても私たちは母親の腹の中に存在しているということになる。私たちは、人間から大地へと母親のサイズを変えて、母という存在を渡りながらの永遠の子供という体験が可能だということにもなる。

 より大きなものの中に常に小さな私たちは住んでいる存在なのだ。


 大きな存在からの保護はその働きが保護であるということを護られている側は感受できない。自らが成長していく過程で、何らかのモノを創ったり、子供を産んだりしていく中で、その保護のありがたみやそれ自体が稀有であることを実感するかもしれない。

 自分という存在よりも小さなものを生み出していくことが出来るのが私たちである。創造者になれる、というのは、ある意味母親になるということを示しているだろう。

 私たちはより大きなものに対しては階層状に子供としての存在でもある。そしてまた、より小さなものに対しても階層状に母親としての存在でもある。そんな二つの方向性がNANAの中に広がっていった。


 NANAは空を見上げる。

 昼の空、夜の空。それぞれの空を見る。雲が形を変え流れていく。星が落ちていくように流れていく。


 多くの人たちと出会うこの地球で見上げる空は、地球全体へと続いていて繋がっている。


「ここはお母さんの、お腹の中……」


 この向こう側へ、いつか生まれ出ていく瞬間はやって来る。

 それは今現在の地上社会を生きている私たちからすると、旅立ちの時ということになる。

 この空が、いつか見ていたはずの子宮の内側から見ていた壁に見える気がした。それは三六〇度のあらゆる方向に存在する境目である。あの時の子宮というひとつの場所と同じ、ここもまたひとつの子宮であり、より広い世界からは閉ざされた、保護されている場所なのだ。


(閉じ込められているのではない。私たちが安全に育つために必要な、それは保護である。時が来たならば、そうだ、それを十月十日システムと呼んでみよう)


 このシステムから出て行く時というのは、次の世界を生きていける準備が整った時ということになる。あるいは危機を体験する人もいるだろうが、それも脚本としてのブループリントにおいては折り込み済みなのだろうと思える。当然当事者の位置に入ってしまえば、そんな悠長なことを言ってはいられないが。大きな位置から見たときの自分という存在は、今現在の自分が考えるものよりも遙かに大きいのかもしれない。もちろんどの人も、本来は、大きな存在だということである。


「太陽」を外に見ているうちは、眩しいものを見ることになる。しかし、自らがいつか「太陽」を生きることになるならば、自らが光を放射し続けて生きる存在となるのだろう。この二つにはとても大きな違いがあり、どうやって渡りを付ければいいのか、わからずに悩む人は多いかもしれない。


 まるでクリスマスのシーズンになるとよく見かけるスノウドームのように、外側から見ているそれは内側にひとつの世界を保ち続けている。私がその透明なドームの中に住んでいるのが見えた。忙しく下ばかりを向いている日もあるが、時々は空を見上げている。まだ育っている最中の自分は、そこから外へ生まれ出るタイミングでは無い。地上生活の中で、思い悩み、苦しみながら体験し、成長し、何かに気が付いたり発見したりしている。夜には物質的な世界の制限から解き放たれて、夢の中を旅している。そこは広がる宇宙である。その時間に、生まれ出ていく先の世界の練習を私たちはしているのかもしれない。昼の時間にはまた誰もが自分の身体のある地上生活へと当り前のように帰って行く。


 思わず声を掛ける。


「終わりは……始まり……いつだって」


 湧き出てきた言葉だった。



 占星術では、私たちは10個の天体を内包することが可能な存在だと言われている。この太陽系の一番端っこに存在している冥王星のさらにその外側には、恒星たちの世界が広がっている。

 食べながら、抽出しながら、排泄しながら、私たちはより大きく育っていく可能性に満ちている。モノの世界とモノではない世界の両方に渡って存在する人への道が用意されている。

 

 食べるということは、私たちが実は時を越え場所を越えた存在であるということと繋がっていくことを知らせてくれているのかもしれない。


 食べられるということは、大きな存在の中に内包されていることなのだという。では、私たちは肉親である母に食べられている。食べられていた。護られていた。内包されていた。

 母の一部であるかのように過ごした幼少期から少しずつ自分の世界を歩き出して成長していく中で、少しずつ母から遠ざかっていく。地上での自立への道を歩いて行くのだ。それはまた同時に占星術の自分の出生図(ホロスコープ)を生きることへの始まりでもある。

 私自身と環境、そして他者という存在もまた自らの出生図の中にはすでに表わされている。


 求め続けていくことが出来るなら、ステージが切り替わっていくように私たちは自らの失われていた記憶を取り戻していくだろう。

 さらに大きなものに食べられるために階層を変えては生れていくかのような私たちは、今日も食べる。見えるものも見えないものも食べていく。


 そしてその手元では今日も、小さな毎日を生み出し続けている。


 






 2024/10/31 完


まだまだ書き加えたいところを抑えて、ここで完了とすることにしました。

ここまで読んでくださった方々、ありがとうございます。

引き続き、新しい作品制作に向っていきたいと思います。 

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食べる地球食べる宇宙 ~七色書房の七色処方~③ PRIZM @prism13

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